じぶん更新日記・隠居の日々
1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山では6月24日から28日まで5日連続で最高気温30℃以上の真夏日が続いており、また6月29日の最低気温(朝まで)は24.4℃で熱帯夜に近い蒸し暑い夜となっている。
 気になるのは梅雨明けの時期であるが、テレビなどで報じられている週間予報(画像A)ではおおむね6月30日までが梅雨空、7月1日以降は梅雨明けのような晴れの日が続くと予想されていた。
 いっぽう、私が一番参考にしている気象サイト(画像B)では、7月1日以降も曇りや雨マークが続いている。
 もっとも、これは、天気マークの表示基準の違いによるもので実際の降水予報はそれほど差違がないのかもしれない。別の気象サイト(画像C)はテレビの週間予報と同様で晴れマークが多くなっているが、降水確率自体は30%前後で画像Bの確率とそれほど違いはない。
 あくまで素人予想であるが、この先の天気に影響を与えそうなのは、オホーツク海に出現した高気圧がどこまで勢力を拡げるのかという点と、南海上に発生した熱帯低気圧が梅雨前線にどこまで影響を与えるのかという点。太平洋高気圧が予想外に勢力を拡げれば7月1日に実質梅雨明けという可能性もあるが、早期に梅雨明け発表をしてしまうと大雨災害への警戒を緩める恐れがあり、気象庁がそんなに早く発表することはあり得ないと思われる。

2018年6月28日(木)


【連載】

大モンゴル(4)世界征服への道(1)

 6月25日に続いて、1992年4月から8月にかけて毎月1回、計5回シリーズとして放送された、

NHK 大モンゴルの話題。

 シリーズ第三集では、チンギス・ハーンの三男で、モンゴル帝国第2代皇帝となったオゴデイの話題が取り上げられていた。前にも書いたように、高校時代に世界史の授業を受けていたものの、モンゴルの歴史を学んだかどうかは不明であり、第5代のクビライを除いて、歴代皇帝(第2代〜第4代、クビライ以降の元の皇帝)の名前は全く記憶に残っていなかった。

 前回の日記で、「1214年4月、モンゴル軍団は金王朝を滅ぼし、人質となっていたヤリツ・アハイの家族を解放した。」と記したが、正確に言えば、この時点ではまだ滅亡しておらず、モンゴルの支配を受け入れて君臣になっただけであった。ウィキペディアによると、金の滅亡は都を開封に移したのちの1234年であった。このときのモンゴル皇帝が2代目のオゴデイであった。ウィキペディアの当該項目によると、オゴデイには2人の兄がいたが、チンギス・ハーン自身によって後継者として指名された。ちなみに当時のモンゴルでは末子相続の慣習があり、これを踏襲すれば、オゴデイの弟にあたるトルイが後継となるはずであったが本人が固辞し、トルイは金との戦いに勝利してオゴデイの本軍と合流して帰還する途上、モンゴル高原に至ったところで急死した。

 番組によると、オゴデイはチンギス・ハーンとは違った方法で世界征服への道を進んだ。すなわち、金王朝制服後、確実な税制とカラコルムの建設など、経営力の面で力を発揮したようである。

 次回に続く。