じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 明け方の南西の空に輝く月齢19.0の月と木星。写真には写っていないが、左側(東側)には火星や土星も輝いており、明け方の空が賑やかになっている。(昨日の写真にあるように、金星と水星は夕方、西の空に輝いている。)

2018年3月7日(水)


【思ったこと】
180307(水)徹底的行動主義をめぐるBaumとMooreの論争(8)

 3月6日の続き。

 Baumによれば、推測によってしか論じることのできない私的事象を含む形で徹底的行動主義を素朴心理学(folk psychology)と実用上同じように扱うことはさまざまな混乱をもたらす。私的事象を考慮しないような説明は不完全であると見なされるばかりか、ラットやハトのような動物においても私的な思考や感情を想定しなければならないという考えに陥ってしまう。

 121頁からは、この点に関して、Lubinsky and Thompson (1993)の実験研究が引用されている。この実験では、ハトは薬Aが投与された時に特定のキーをつつき、薬Bが投与された時にはもう1つのキーをつつくように訓練された。こうした弁別は、薬の違いがもたらした内的状態を手がかりにしているように見える。しかし、内的な状態がどういうものであるのか、神経回路がどう影響されたのかといったことを推測しても何も新しい知識は得られない。仮に、薬Cが投与された時に、薬Aが投与された場合と同じキーをつついたとすると、正しい結論としては、薬Aと薬Cはキーつつき行動に共通の効果をもたらしたということになる。

 123頁からは、これらに基づいて、Baumが推奨する巨視的視点による解釈が展開されている。スキナーは「歯痛とタイプライターはどちらも物理的存在であるという点で何ら変わらない」と論じているが、歯痛はタイプライターと同じ対象物であるということを意味しているわけではない。我々はタイプライターを操作できるが歯痛は操作できない。歯痛があるという事実は、行動を観察するなかで確認されることである。歯痛のある人は「私は歯が痛い」という言語反応をたくさん発し、しかめ面となる。痛みを紛らわせようとする行動、最後にはアスピリンを服用したり、歯医者に通ったりする。これらの行動の全部または一部を観察することによって、この人は歯痛があるということが確認されるのである。いくら「歯が痛い」と叫んでも、それを裏付ける行動を発していなかったら、その人は実用的観点から言えば歯痛は無いとみなされる。思考や感情も同様であり、それらは公的な行動のパターンとして表出する。よって、わざわざ私的事象を仮説構成体として推測する必要はない。

 私的事象が実在するかどうかは別として、それらの影響は短期的な行動制御の局面においてのみ重要であるようだ。Mooreの挙げた例で言えば、雨の予報が出ていた時、雨傘を携行する。「雨の予報→傘携行」のあいだに外に表出されない行動連鎖があることは誰も異論を唱えないだろうとMooreは言っているが、その必要が想定されるのは、「雨の予報→傘携行」のあいだに時間的隔たりがあった時に限られる。

 Baumによれば、じっと座って音楽を聴きながら考えている人についてMooreは「音楽鑑賞を楽しんでいる人は私的にそれを楽しんでいる」と述べているがこれでは答えにならない。そのような内的プロセスの推測ではなく、より巨視的に捉えた時の公的行動の違いを示すことがより正しい答えになる。

 以上、要約引用しながらBaumの論点をまとめてみた。これらの部分は、Moore(2011)から反撃されることになる。

次回に続く。