じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 写真で綴る岡大20年(9)文学部西側の空き地(現・駐車場)  文学部西側は、もともとは戸建ての官舎があり、取り壊し後は、自然豊かな荒野となっていて、デイキャンプを楽しむことができた。
 その後、2000年度には文化科学系総合研究棟新設工事の残土置き場になったとの記録があるが、駐車場造成工事がいつであったのか、記録写真が見つかっていない。

 写真左は、1994年と1996年撮影。写真右は2018年2月17日撮影。

2018年2月18日(日)


【思ったこと】
180218(日)ボーム『行動主義を理解する』(87)自由(2)

 2月15日の続き。

 本書の242頁では、社会的問題を解決する上で、「自由意志」尊重は必ずしも役に立たず、むしろ弊害をもたらすことが論じられている。例えば、コカイン使用の自由を認めるとコカイン依存者が増える。依存に陥るのは当人の過失であり支援する必要は全くないということになる。教育においても、労働においても、個人の自由選択を可能にするだけでは問題は解決できない。一定レベルの知識や判断力を身につけさせるためには、学ぶことが強化されるような機会を作ることが必要であり、また、安定した仕事に就くためにはスキルアップが必要である。

 続く243頁では、自由を感じることへの重要な障壁として強制が挙げられている。強制には、「正の弱化と負の強化」(「嫌子出現による弱化」と「嫌子消失による強化」)の2つのタイプがある。強制は、コントロールする者(支配者)とコントロールされる者(服従者)の関係から成り立つ。「コントロールされる者の行動の負の強化と対にな<る>」という非対称が存在するときは、「いつでも、コントロールされる者は、強制されており、自由がなく、自由を感じない。」。ちなみに、嫌子出現による弱化や嫌子消失による強化、あるいは嫌子出現阻止による強化といった随伴性は自然の随伴性の中にも多数存在している。危険な行動を中止することはすべて「嫌子出現による弱化」であるし、真冬の寒さから逃れるための暖房や猛暑から逃れるための冷房は「嫌子消失による強化」と言える。といっても、これらの行動をする時、我々は強制されているとは感じない。要するに、自然環境に適応する行動自体は、自由でも強制でもない。上に引用したように、自由も強制も、他者との関係の中で生じる感覚であると言える。

 次回に続く。