じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 1月22日は関東地方で大雪、東京では4年ぶりに20cmを超える積雪になったという。いっぽう、岡山県南部は一時的にみぞれが降った程度で積雪には至らなかったが、半田山の高いところでは樹木にうっすら着雪しているのが見えた。


2018年1月22日(月)


【思ったこと】
180122(月)「対応づけフレーム理論」(5)

 引き続き大小関係の比較に関する話題。(当初の連載タイトルは「視点取り」であったが、話題が「対応づけ」ばかりとなってしまったので、「対応づけフレーム理論」に変更した。)

 1月3日の日記に述べたように、「対応づけ」の定義は「関係づけ」の定義と何ら変わることはない。『Relational frame theory: A post-Skinnerian account of human language and cognition.』(Hayes, Barnes-Holmes, & Roche, 2001)の第2章(Hayes, Fox, Gifford, Wilson, Barnes-Holmes & Healy, 2001)における「関係づける」の以下の定義がそのまま「対応づけ」の定義に相当する
「関係づける(relating)」とは、ある事象に対して別の事象の観点から反応することである。("Relating" means to respond to one event in terms of another. )
 すなわち、上掲の「ある事象に対して別の事象の観点から反応する」は「ある事象に対して、別の事象を対応づける」という意味になる。要するに、ある刺激配列(事象)のもとで、特定の刺激(事象)Xに対して何らかの反応をすることである。具体的には、
  • いろいろなモノの中からXを選ぶ(指さす、手に取る)
  • Xと記されたボタンを押す
  • 「エックス」と発声する
などが対応づけに相当する。

 「関係づけ」の代わりに「対応づけ」という呼称を用いることのいちばんのメリットは、相互的内包が派生されるということをうまく説明することにある。日常生活の中で関係という言葉は「相互の関係」という意味に使われることが多いので、「AをBに関係づける」と言ってしまうと、最初から相互的内包が前提にされてしまう恐れがある。いっぽう「AをBに対応させる」と表現されば、「A→B」という一方通行の矢印を伸ばすような行動を思い浮かべるはずで、「A→B」という訓練が行われた後で「B→A」という対応づけが勝手に起こりやすくなったとすれば、これは面白い現象であるということに気づくはずだ。

 さて、それでは最も基本的な「AとBを比較して、より大きい方を選ぶ」という課題では、どこで対応づけが行われているのであろうか? これまで述べてきた記号で表現するならば、この課題は、

[AvsB]

となっていて、どこにも矢印が現れていない。しかし、実際には、選択肢と同時に「より大きい方を選んでください」という言語的教示が与えられているのである。もし、何の基準も示されずに「AとBのうち1つを選んでください」とだけ教示されたのでは、当事者は、好きなほうを選んでいいのか、高価に見えるほうを選んでいいのか、迷うことになるだろう。ということで、例によって「より大きい」を「○」で表すならば、この課題は、

(○)→[AvsB] 【A】

という構造になっていると考えるべきであろう。

 では、「より大きい」という言葉が分からない外国人はどうやって正解を出せるのか? これは、この選択場面全体が特定の文脈を構成しており、

(特定の文脈)→[AvsB] 【A】

という対応づけがなされているためと考えられる。というか、幼児が「より大きい」という言葉を学習していくプロセスにおいては、まずは、「より大きいものを選べば正解」というような訓練の文脈が与えられ、選択に先行して「大きいほうはどっち?」というような音声が常に呈示されることで「より大きい」に対応して正解を出せるようになるのである。

 日常の言語訓練場面では、おそらくこれと並行して、

(A→B)→[○vs□] 【○】

という逆向きの訓練が行われる。これは、「まずAが呈示され続いてBが呈示される。先に呈示されたほうが、より大きい」というような訓練となり、これにより対称性が成立する。

 なお、上記の[AvsB]や[○vs□]は、いずれも選択肢を相互比較する行動を必要としている。相互比較自体もまた、相互に対応づけしていると言える。

 次回に続く。