じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月25日朝の文学部中庭。前日夜に降った雨で濡れていたコンクリート敷石が少しずつ乾き、足跡のような形になっているのが興味深い。文学部中庭にはメタセコイアの落ち葉が作る模様も面白い形になることがある。岡大七不思議に入るかどうか検討中。


2017年12月25日(月)


【思ったこと】
171225(月)関係、対応づけ、文脈をめぐる議論(5)文脈とは?(4)

 昨日の続き。

 トールネケ(2013、『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』、武藤・熊野監訳)の23頁には、「文脈」と弁別刺激に関して詳しい記述がある。
 私の声かけ(「どうしましたか?」)が強化されたからといっで,そのときを境に,私がいつも同じ声かけをするようになる,ということはない。この行動は,ある具体的な文脈の中で強化されたのであって,私が再びこの声かけをする確率が高まるのは,この文脈―より正確には,類似の文脈―の中でだけのことである。先行事象を正確に記述すると,以下のようになる。それは「以前に,私の行動がある結果(今では,その行動に影響を与えるようになっている結果)と関係を持ったときの『条件(状況)』」のことを意味する。...【略】...新しい状況に出くわし,その状況が以前に経験した状況と十分に似ていた場合,以前の結果が現時点の行動に影響を与える。このようなAが持っている機能のことを弁別的(discriminative) 機能と呼ぶのである。さらに,この機能を強調する場合に,先行事象を弁別刺激(discriminative stimulus)と呼ぶのである。
 ここで定義されている「弁別刺激」は、行動分析学の入門書などでSとSΔによって定義される「弁別刺激」とはやや異なる立場に立っている。独立した刺激が弁別刺激になるというよりも、種々の文脈の中のうちのある文脈が弁別機能を持つという見方を強調している。そうした文脈(環境刺激の総体、過去の経験)の中で特に一部の部分を強調する時に弁別刺激という用語が使われるというものである。

 この考え方には私も異論がない。信号が青の時に横断歩道を渡り、赤の時には待つという事例では、青が弁別刺激になる。しかし、これは「青」が普遍的に「渡る」という行動の弁別刺激になっているわけではない。交差点の歩行者用の信号という文脈においてこそ、弁別刺激として機能しているだけである。また、深夜に同じ交差点を渡る時、車が一台も通っていないことが確認できるような文脈では、歩行者用信号が赤であっても渡ることがあるだろう。つまり、同じ交差点であっても、道路事情や時間帯などの文脈においては、「青」が弁別刺激として機能しない場合もあるということだ。

 実験的行動分析では、弁別刺激は再現可能な操作とセットにして定義されることが多い。しかしこれは、実験箱という環境がきわめて安定していて外の世界の変化の影響を受けにくいため、つまり、同一の文脈が保障されていることによって再現可能となっているのである。

 次回に続く。