じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 12月23日の日没(写真上)と、数日前の、雲が無い時の日没(写真下)。冬至の日は、昼間の時間が最も短くなるが、日没時刻に関しては、冬至より2週間以上前の、12月5日頃が最も早い日没となる。国立天文台によると、岡山の場合、日没が最も早いのは12月2日から12月8日頃で16時53分頃、冬至の日の日没は16時58分頃で、すでに5分ほど遅い日没となっている。このズレが生じる原因についてはこちらに詳しい説明あり。


2017年12月23日(土)


【思ったこと】
171223(土)関係、対応づけ、文脈をめぐる議論(3)文脈とは?(2)

 昨日の続き。「文脈」についてもう少し復習をすることとしよう。

 トールネケ(2013、『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』、武藤・熊野監訳)では、何カ所かで「文脈」に言及されている。索引に挙げられているページをたどってみよう。

 まず、山本淳一氏は「監修者まえがき」の中で、
...ヒトならではの高次の機能として,刺激と刺激とが結びつく働きがある。いわゆる「等価関係」の成立である。ただ,等価関係は,2つの刺激が「=(同じ)」で結ばれるもののみに限定される。RFTでは,「反対の」「前の」「となりの」「意味する」など多くの関係を示す「文脈刺激」によって,心理的,行動的世界が広がっていくと考える。この文脈刺激が間に挟まれ,刺激と刺激との時間的・空間的近接性が繰り返されると,意味とと関係の世界が拡張することになる。
という部分で、「文脈刺激」という言葉が使われている。もっとも、本書の本文の中では、「文脈」と「刺激」をくっつけた「文脈刺激」という表現は出てこないようである。(←「文脈手がかり」という言葉はいっぱい出てくる。)

 ここからは私の考えになるが、私自身は、文脈と刺激は区別したほうがよいのではないかと考えている。まず、刺激というのは、あくまで、実験者や観察者の用語であり、その呈示を受けた当事者(実験参加者や被験体動物)は、その一部または全部に対して反応をする。例えば、「」(←「ゆえに」という記号)が刺激として呈示されたとしても、当事者は、3つの点のうちの上部の1つのみに注目するかもしれないし、下部の2つのみに注目するかもしれないし、あるいは3つの点を三角形として知覚するかもしれない。ともあれ、「∴」は、大きさや呈示時間などが再現可能であるという点で「刺激」であることは間違いない。これに対して、「文脈」というのは、個別に呈示したり引っ込めたりといった操作はできないし、単独には量的に記述することも困難であるが、環境全体として、別の環境と区別できる特徴を持っている。その特徴は、強化随伴性の違いであるかもしれないし、言語的に教示されたルールであるかもしれない。

 以上の議論は、確立操作についても言えそうだ。確立操作というのは「操作」という名前の通り、実験者・観察者側の用語であり、例えば、餌をたっぷり与える(飽和化)とか、23時間餌を与えない(遮断化)といった形で量的に記述される。しかし、餌がどれだけの強さの強化機能を持つかということは、本当は、被験体動物側の満腹中枢の状態、あるいはそのもとで生じる空腹反応の大きさによって決まってくるとも言える。そういう点では、確立操作は、文脈を操作しているものの、文脈そのものとは言えないのかもしれない。

 けっきょく、我々は、文脈のすべてを語ることはできない。できるのはその一部を切り取って刺激の呈示や除去という形で操作すること、もしくは、共通点の少ない別の環境にまるごと移し変えてしまうことで、これこれとこれこれは「異なる文脈である」と分類することに限られている。

 次回に続く。