じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、鳥取キャンパスの広さは163万5064平米、このうち「乾燥地研究センター」の97万8344平米を除くと、岡大の津島キャンパスの敷地面積63万9616平米とほぼ同じ広さになると述べたが、念のため同じ縮尺の地図で比較してみると左の画像のようになった。もっとも、学生数は鳥取大が5300人、岡大は10200人(いずれも他キャンパスの学部学生数を含む)で岡大のほうが約2倍なので、学生1人あたりの敷地面積は鳥取大のほうが2倍程度広いことが分かる。

 なお、こちらのランキングでは、岡大は56ヘクタールで第12位、鳥取大はランク外となっている。いずれも、キャンパス内の農地や附属学校の敷地を除いた上でのランキングとなっているようだ。


2017年11月27日(火)


【思ったこと】
171127(火)五木寛之『孤独のすすめ』(16)「老人力」と「孤独のすすめ」

 11月26日の続きで、この連載の最終回。


 最後の第6章では、五木さんの言う「嫌老社会」の深刻化を前提とした上で、その解決策が論じられている。この問題は世代間の対話や「道徳」では解決しない。それよりも、高齢者が「老人力」を発揮し、産業の担い手に加わることが必要であると主張されている。

 この連載の最初のところでも述べたが、高齢者の社会進出を説くということと、本書のタイトルである「孤独のすすめ」はあまり両立しないように思われる。もし、孤独のすすめを徹底するのであれば、11月12日に要約引用したように、
  1. なにはともあれ、経済的な基盤を自力で築くこと。最初から年金を頼りにするのではなく、働けるうちはしっかり働いて、生活資金を確保する」ことが挙げられている。
  2. できるだけ医療機関に依存しないで暮らしていく方法を発見すべき」という点であり、これは「養生」、「治すのではなく治める」、「自然の摂理に寄り添いながらケアしていく」。
  3. 人に頼らずに孤独を楽しむ上で必要なのは「精神の自立」であり、そのためには死生観の確立が重要。
といった条件を整えることが必要であるが、第6章で説かれているような「老人力」の発揮は必ずしも求められていないように思う。もちろん第6章で披露されているような、さまざまな「高齢者ならではのアイデア」は生かすべきであるし、高齢者に喜ばれるような新たな技術開発やサービス提供は大いに意義があるとは思うが。

 ということで、第6章の終わりのほうで論じられている「嫌老社会から賢老社会へ」という、高齢者が社会に積極的にかかわる提案は、1つの考え方としてアリだとは思ったが、このことがなぜ「孤独のすすめ」に結びつくのかはイマイチ納得できないままに終わった。

 なお、本書では第6章のあと、「回想」のすすめという終わりの章がある。私自身も体が不自由になった時は、回想にかなりの時間を費やすことになるとは思う。とはいえ、過去は過去。「いま、ここ」に接続する生き方がメインであって、回想はほどほどというバランスを保つことも大切。