じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 11月13日05時53分頃、東の空で、金星(上)と木星が接近している様子が見えた。天文年鑑によると、同日15時10分に0°17′まで近づいた。左側は備前富士(芥子山)。

2017年11月13日(月)


【思ったこと】
171113(月)五木寛之『孤独のすすめ』(6)高齢者は階級か?

 11月12日の続き。

 45頁以降では、「何を頼りに生きるか」という見出しのもとにいくつかの提案がなされているが、私はあまり賛成できない。

 まず、高齢者は単なる世代ではなく「階級」になったという指摘について。確かに、後述される「嫌老」という言葉に示されるように、高齢者を疎む若者はいるかもしれないが、だからといってそれが階級間の対立になるとは思えない。

 なぜなら、まず、若者世代といっても、自分の両親や祖父母から何らかの援助を受けているはず。何らかの社会的対立があっても、実際の利害は家族単位で生じるものである。例えば、祖父母の資産や受け取る年金が多ければ、子や孫も何らかの支援を受けられるし、いずれは遺産を継承できるはずである。

 また、若者世代という「階級」に属する人たちは、いずれは高齢者「階級」に「移籍」せざるをえない。仮に若者が高齢者の収入を制限するような制度を実現させたとすると、いずれ自分が高齢者になった時に同じかそれ以上の不利益を受けることになるのである。

 要するに、若者とか高齢者というのは、別々の人種や民族ではない。月日の流れの中で、同じ人が変化するだけである。以前、こちらの論文の中で引用したことがあるが、英語では「I am a boy.」というように名詞に冠詞がつけられるのに対して、日本語では「私は少年だ」というように冠詞はつけられない。この場合の「少年」はモノではなく、「私はいま少年時代にある」というコトを示していると言われる。日本語的感覚では、「若者」、「高齢者」というのも、1人の人間の中のコトを表しているように思われる。

 次に、「一定以上の収入のある豊かな人びとは、年金を返上すればよい。」というご提案であるが、これは給与所得についてはすでに実施されている。現に私なども65歳になるが、定年退職までのあいだは年金は支給停止となっていて一銭も貰えていない。年金を受け取れる富裕層というのは不労所得の多い人のことであるが、不労所得が不公平であるというのであれば、富裕な若者に対しても同じように批判が向けられるべきである。となれば、これは不労所得を含めた課税のあり方の議論になるべきで、世代間の問題とは考えられない。

 ちなみに、若者の重荷となっている年金や福祉目的の税金は、富裕な高齢者ではなく、低所得の高齢者のためにより多く使われている。これを解消するには、健康な低所得高齢者が安定して働けるような雇用機会を確保することのほうが先決であろう。

 もう1つの提案として「選挙権の委譲」が提案されているが、高齢有権者の全てが利己的、もしくは高齢者のみの利益を考えているわけではあるまい。ある程度高齢になると、自分の所得よりは、次の世代の暮らしや環境にも目を向けるようになるかもしれない。自分の生活で精一杯の若者が考える政策よりも、利益相反の起こりやすい高齢者の声のほうが、より長期的な施策を提案できる可能性がある。(というか、高齢者の意見を「判断力が鈍ったり、柔軟な思考ができなくなったり」と見なしてしまうことは、高齢者の立場から発言されている五木さんご自身のアイデアを自己否定してしまうことにも繋がりかねないように思う。

 次回に続く。