じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 岡大西門・西側花壇に咲くハナトラノオ(写真上)とサルビア・アズレア(写真下)。建設工事が取りやめになったため、毎年この場で咲き続ける見込み。

2017年10月05日(木)


【思ったこと】
171005(木)ボーム『行動主義を理解する』(81)ルール支配行動と思考(4)

 10月4日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 219頁からは、2つの強化関係として「近接的関係」(行動の直後に結果が随伴する三項随伴性)と、究極的関係が説明されている。巨視的行動主義の視点によれば、究極的関係は近接的関係を正当化する。例えば、日々のウォーキングや筋トレは健康と生存という究極的関係によって維持されている。さらには、子孫や血縁の繁栄も究極的関係であるとされている。人間社会において妥当とされるルールは、究極的レベルでは、個人や子孫の繁栄に繋がるように設定されている。というか、不適応的なルールに従おうとする宗教や思想は、結果として衰退を招く。
 例えば、僧侶は結婚してはならないというルールがあったとする。その宗教が広まり多くの人が僧侶になったとすると、少子化が進み、信者の数は減っていく。もっとも、食糧資源がきわめて貧しい地域においては、人口の一定割合を僧侶として非婚化してしまうことが結果的に人口抑制をもたらし適応的な結果を招くこともあるだろう。聞いたところによれば、イスラム教で豚肉が禁止されていることも、ある時代においては豚がきわめて不衛生な環境で飼育されており、食中毒や伝染病をもたらしたことに起因するとか。いっぽう、飲酒については、それを禁止した場合と適度に認めた場合で究極的な結果がどの程度異なるのかははっきりしていないようにも思える【←私自身はお酒は飲まない主義である。】

 223頁からは、近接的強化と究極的強化の関わりが説明されている。話し手がルールについて語ることは、近接的関係としてはマンドとして機能し、究極的関係としてはタクトとして機能するとされている。この場合のマンドとは、ルールに従うことの要求であり、関係フレーム理論で言えばプライアンスに相当するとも言える。究極的関係のタクトはトラッキングに対応しているが、タクトすることが動機づけ操作として機能している点にも注目する必要があるだろう。

次回に続く。