じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 この時期に大学構内で見られる赤いキノコ。カサを広げ、最後はめくり上がっていく。種名は、ドクベニタケ、ドクベニダマシ、チシオハツ、シュイロハツ、ヤブレベニタケ、ケショウハツ、ニオイコベニタケなどの候補があり、断定できていない(2015年7月7日の楽天版参照)。


2017年7月10日(月)


【思ったこと】
170710(月)ボーム『行動主義を理解する』(50)

 7月10日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

Moore, J. (2011). A review of Baum's review of conceptual foundations of radical behaviorism. Journal of the Experimental Analysis of Behavior, 95, 127-140.

 訳書の132頁からは「過去について語る」という話題が取り上げられている。将来についての予測は、「このような状況では、そのような事象が起こりやすい」という過去の経験に基づいて行われる。他者の行動を予測する場合も、自分自身が次に行う行動について語る場合も、じつは、「過去のこのような状況では・・・」に言及しているのである。過去の強化履歴を調べずに「内的な意図」に説明を求めるのは心理主義であり、予測力を持たないトートロジーになってしまう。

 さて、本題の「感情としての目的」であるが、本書では、まず、私的事象としての感情は意図的な発言の手がかりとなるとしている。しかし、私的事象には当人自身も気づかない変化が多く含まれている。むしろ、感情の主な原因である公的な状況を示すほうがはるかに楽であるとも指摘されている。実際には、感情が起こってから行動するのではなく、ある文脈で感情と行動が同時に起こる。しかし当人は、感情が原因で行動が生じたというように錯覚してしまう。私的出来事の扱いについてはMooreなどが指摘した重要な議論があるが、「感情は、行動の原因というよりは、行動に伴う副産物である。」という考え方自体は、徹底的行動主義者のあいだの共通理解といってよいかと思う。

 なお、感情は単に副産物にすぎないが、本書では例外の1つとして、感情についての報告が挙げられている。この点については、刺激性制御のしくみを理解する必要があり、次章以降で取り上げられる。

 第5章の要約では、目的の3つのタイプについて次のようにまとめられていた。【長谷川による要約・改変】
  • 機能としての目的:ある行為の目的がその行為の機能と同じである場合、すなわち、環境に及ぼす効果という意味で目的が使われる場合、科学的な説明として何ら問題は起こらない。
  • 原因としての目的:内的な原因をでっちあげても説明にはならない。そのようなものを考えると、心理主義になり、 心理主義のすべての問題の犠牲になる。目的的行動をきちんと科学的に説明するには、そのような行動の強化履歴に言及する必要がある。
  • 感情としての目的:目的や意図についての感情を自己報告する場合、その手がかりは、現在の環境と私的事象である。感情は、感情について語るというオペラント行動と同じように、強化や弱化の履歴の副産物であって、レスポンデント条件づけに起因する。感情が、感じられた目的の言語報告を説明する文脈の一部であるとしても、感情とそのオペラント行動との間に因果関係は存在しない。


 次回に続く。