じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 4学期制の1学期目の授業終了まであと一週間となった。期末試験対策のためか、このところ夕方になってから図書館前に大量の自転車が駐められるようになった。緊急車両の進入や、車椅子利用者の入館が妨げられる事態となっており、何らかの対策が必要かと思われる。といっても、これだけの数の自転車の駐輪場を確保することは困難。それよりも、自転車は通学・通勤時のみ利用を許可し、大学構内の施設間の移動は原則として徒歩で行うことを推奨したほうがよいかもしれない。といって、そのように呼びかけるだけでは効果は上がらない。学生・教職員に、大学構内のみでカウントされる特殊な歩数計【←GPS位置情報で判定する方法もあるが、安価に運用するのであれば、平日の日中のみ起動するような歩数計があれば利用可能。】を貸与し、大学構内での歩数に応じて生協で利用できるポイントを付与するようにすれば、徒歩移動がもっと増えるはずであり、結果的に、自転車移動による迷惑駐輪は解消していくのではないかと思われる。

2017年6月2日(金)



【思ったこと】
170602(金)ボーム『行動主義を理解する』(21)公的事象・私的事象・自然事象・架空事象(12)私的事象(2)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 翻訳書69頁以下では、私的事象(私的出来事)が、思考事象(thinking event)と感覚事象(sensing event)に分類されている。思考事象とは、「私的に語る」事象、つまり公的な発話と関係するが、感覚事象では、それに対応する公的事象がない。

 本書には
  • 【思考事象】「映画に行こうと思っている」←「映画に行く傾向がある、行きそうである」という公的事象に対応
  • 【感覚事象】「昔見た絵を思い描いている」
  • 【思考事象】「このボタンを押すとどうなるのだろう」←声に出してつぶやいても、無言で考えても同じ
といった例が挙げられていたが、これらの例だけではイマイチ区別がつけられないようにも思える。

 このうち思考事象については、第3章には、あまり詳しい説明はないが、初版に比べると第3版では若干の加筆修正が行われているようである【私のところでは、第2版は翻訳書しか手元にないので原書で比較することができない】。
【初版41頁】
 Thinking, for the present discussion, is speaking privately. This may seem too narrow, because thinking is used in many other ways in everyday talk. "I am thinking of going to a movie" means I am inclined, or likely, to go to a movie. "I am thinking of a painting I once saw means I am imagining the painting, and is best understood as a sensing event.
 Thinking is usefully set apart from sensing events, because thoughts have a relationship to public speech that sensing events do not. A thought may be stated publicly or privately. (Skinner uses the words overt and covert.) 【以下略】
【第3版46頁。下線は長谷川による】
 Thinking, for the present discussion, is speaking privately, what Watson called "sub-vocal speech. This may seem too narrow, because thinking is used in many other ways in everyday talk. I am thinking of going to a movie" means I am inclined, or likely, to go to a movie. "I am thinking of a painting I once saw" means I am imagining the painting, and is best understood as a sensing event. "I think capital punishment should be abolished" puts thinking in the same position as believing, which means I am likely to argue against capital punishment and engage in other activities like that.
 Thinking as sub-vocal speech is usefully set apart from sensing events, because thoughts have a relationship to public speech that sensing events do not. A thought may be stated publicly or privately (Skinner used the words overt and covert).
 第3版では、(あくまで本章に関係する議論として)「思考」はワトソンのいう「発声を伴わない言語反応」として扱われているようである。また、第3版では、「死刑は廃止すべきだと思うという思考」の事例が追加されていた。

 「思考」については前にも述べた通り、それが行動の原因になりうるのか、それとも、思考とは別の原因により巨視的な行動が形成され、それを言語化しているのが思考なのかという議論がある。私自身は、関係フレーム理論のほうが、思考の成り立ちと影響という点でうまく説明できているのではないかと考えている。

 次回に続く。