じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 2階の講義室から眺める半田山の広葉樹、津島北キャンパス内のクスノキ・ケヤキ、手前の針葉樹の緑のグラデーション。赤いレンガの建物は考古学資料室&校友会二部BOX。建物の上にある白っぽい部分はセンダンの花。

2017年5月25日(木)



【思ったこと】
170525(木)ボーム『行動主義を理解する』(15)公的事象・私的事象・自然事象・架空事象(6)

 昨日に続いて、

ボーム(著)森山哲美(訳)(2016).『行動主義を理解する―行動・文化・進化―』 二瓶社.

の話題。

 哲学者ギルバート・ライル(1900-76)による論考として、「団結心(team spirit)」が取り上げられていた。団体競技が行われている最中、選手たちのどこを見ても「団結心」を観測することはできない。ライルによれば、「団結心」というのは、選手たちが、叫んだり、叩いたり、抱き合ったり、といった活動を1つの行動カテゴリーにまとめて、そのカテゴリーにつけたラベルであると考えるべきである。知識、目的、情動などのあらゆる種類の精神的能力や精神的状態も同様。これらの精神的能力や精神的状態は、行動の原因ではなく、実際の諸行動をまとめ上げたラベルのようなものである【長谷川の理解による】。

 いっぽうライルの主張に対しては、
  • ライルの言う「カテゴリー」は、諸活動のまとまりとして定義されるが、諸活動には数え切れないほどの種類が含まれているため、正確な特定化が難しくなる。
  • ライルの言う「カテゴリー」は、観察可能な諸活動のまとまりであるため、結果的に公的出来事のみを扱うことになる。
といった批判があるようだ【長谷川の解釈によるため、本書の主張と同一であるかどうかは断言できない】。

 なお、ライルの主張とそれに対する批判、ボームの対応については、第6章の刺激性制御と第7章の言語行動のところで、くわしく論じられる。

 以上までのところで私の考えをもう少し述べると、人間はもとより、人間以外の動物においても、何かの目的を達成するための一連の行動があることは確かである。群れで狩りをするとか、つがいで子育てをするとか、水場を求めて集団で移動するといった行動は、個々バラバラの行動が個別に強化されているのではなく、包括的な行動であり、かつ継続性がある。この場合、我々は「○○のために行動している」と表現し、さらには「その行動には目的がある」とも言う。しかし、人間以外の動物の場合、動物の脳内のどこかに目的が明示されているわけではない。一連の行動が連関し、何かを志向している場合、それらをひとまとめにした上で「目的」というラベルをつけているだけと言ってよいだろう。この意味であれば、植物が生育して種を残すという一連の変化も、目的的と言える。なお、人間の場合は、そうした指向を言語化することは、ルール支配行動を可能とする。この場合も、行動の原因が「目的」にあるわけではない。目的というラベルのもとで生成されたルールが、ルールに一致する諸行動を包括的に強化しているだけのことであろう。


 次回に続く。