じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 妻の実家のある北九州は、超高齢化で廃屋や空き地が目立つ。写真はウォーキングの途中で見つけた桜の大木で、遠くからもよく見えているが、近づいてみると民家の空き地の隣に生えていることが分かった。かつてこの桜の毎年の開花を楽しみにしていた家族がこの場所で暮らしていたものと思われる。

2017年4月6日(木)



【思ったこと】170406(木)関係フレーム理論をめぐる議論(4)

 4月5日の日記の続き。

 派生的関係反応や刺激機能の変換についてはACTの入門書でも紹介されているが、引用されている実験的証拠は、ちょっとした反応比率の増減を示したもので、「そういうことが起こりうる」という可能性を示唆したレベルにとどまっているように思われる。いっぽう、臨床場面への応用事例はかなり強固かつ深刻である。

 たとえば武藤(2006、73頁)[]には以下のような記述がある。【長谷川により一部省略・改変】
<A→B>という関係を直接経験によって獲得した場合,<B→A>という関係がほぼ自動的に派生する。それはまるでAとBが分かちがたく結びついているような状態となる(この状態は,認知的フュージョン(cognitive fusion)と呼ばれる。それにより,ネガティブな「信念」体系が確立し,回避するための行動が広範囲にわたって生起する場合がある(この状態は,体験の回避(experiential avoidance)と呼ばれる。さらに,言語ルールは,セルフ・コントロールと呼ぱれるような時空間的に離れた結果事象に制御される行動を可能とする。しかし.その反面,当該のルールが不機能だとしても,それに従って効果のない行動を繰り返し生起させることがある(以上の状態は総じて,心理的硬直性・非柔軟性 (psychological rigidity or inflexibility) と呼ばれる。
]武藤崇(2006).第4章 関係フレーム理論(応用編):精神病理,「素朴な」心理療法のアジェンダ・メタファー,そしてACTモデル. 武藤崇(編)アクセプタンス&コミットメント・セラピーの文脈―臨床行動分析におけるマインドフルな関係― ブレーン出版.【その後、武藤(2011)として星和書店から改訂・再出版】


 上記で、「<A→B>という関係を直接経験によって獲得した場合,<B→A>という関係がほぼ自動的に派生する」というのは、誰でも起こりうるとは思う。しかしそれが「まるでAとBが分かちがたく結びついているような状態となる」というのはそんなに滅多に起こるものではあるまい。

 あらゆる人に同じように起こる現象に対しては、社会的・文化的に対応の仕組みがちゃんとできあがっているものだ。例えば、肉親との死別は大きな悲しみをもたらすが、死後に行われる種々の宗教儀式や墓地などはそれを和らげる仕組みとして機能している。これに対して、一部の人だけに生じる強度の状態(上記では「フュージョン」や「体験の回避」)に対しては、ある種のセラピーが必要となる。そのことは分かるとしても、なぜ、一部の人だけにそういう現象が起こってしまうのか、それは偶然なのか、何か別の原因があるのか、もう少し検討していく必要があるように思う。

次回に続く。