じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 夕食後の散歩時、半田山植物園ゲート付近から眺める金星。2月17日に最大光度マイナス4.6等を迎えたばかりで明るく光っている。

2017年2月21日(火)



【思ったこと】170221(火)「自分」の移し替えは可能か?

 いつもより早めに帰宅したところ、NHK-BSの「BS世界のドキュメンタリー」で

「不老不死を追いかける男たち」

という番組を放送していた。【原題:The Immortalist、制作:BBC (イギリス 2016年)。邦題がなぜ「人たち」ではなく「男たち」となったのかは不明。】
なお、番組途中からの視聴であり録画もしていなかったので、以下は、あくまで記憶に基づく感想である点をおことわりしておく。

 「不老不死」というと自分の寿命を延ばすことが浮かぶが、ここで取り上げられているのは、自分の頭脳のすべてをロボットに移すという発想。いまの身体が癌に蝕まれても、老化で衰退していっても、頭脳の中身を別の身体に移すことができれば実質的に不老不死が実現できるという発想。

 番組後半では、ヒドラの神経活動の解析、赤外線などへの新たな感覚を生み出す試み、身体障害がイメージ通りにロボットを動かす技術などが紹介されていた。
 日進月歩の開発が進む中で、各種の感覚障害や身体障害を回復させることは大いに期待できる。

 もっとも、アバターの映画のように、異なる身体に自分を移し変えることは原理的に不可能ではないかと思う。理由は、「自分」というのは、
  • 私的出来事を記述し言語化する力
  • 自分と他者の視点取り
  • 「いま、ここ」の環境刺激と、過去の記憶や将来に関する思考(言語活動)との相互干渉の体験
といった働きによって存在しているものであって、脳内情報をまるごと移したとしても、それらの要件を満たすことはできないからである。もし、Aという人間からBという人工生命体に脳内情報を完璧にコピーできたとしても、AはAの「自分感」を維持するであろうし、BはBのもとで新たに「自分感」を取得するだけである。Aから見るとBは自分そっくりには見えるが、別人であることには変わらない。Aが死ぬ時の苦痛は避けられないし、Bに生まれ変わったというような感覚をA自身が持つことはできないだろう。

 要するに、「自分」というのは広義の言語行動を身につけた生活体が感じる特殊な感覚のようなもの。最近人気のマインドフルネスに関して、一部の人に離人症性障害が出るなどと言われているが、その真偽はともかく、一時的に「自分感」を低減させることは可能と思われる。