じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 時計台前の白梅が花を開き始めた。同じ場所にある紅梅よりは2週間ほど遅い。リンク先にも書いたように、来年度中にはこの場所に新しい建物が建つ計画があり、この風景が見られるのは今季が最後となる。

2017年2月7日(火)




【思ったこと】170207(火)ACTの価値論(13)価値vs.ゴール(9)

 昨日の続き。「価値とゴールの区別に関する5つのキーポイント」のうち4番目は、

●価値は「軽く」持っているくらいの感覚がよい(価値に固執しない)。

であった。これに関しては、
  1. ACTでは,「積極的に価値を追い求めなさい。しかし,価値は「軽く」持っているくらいに」と教示している。
  2. 自分の抱く価値を認識し,接触を持てるようになるのは望むところであるが,価値とフュージョンするのは望ましくない。
  3. 価値とフュージョンしてしまうと,それがどうしでも従わなくてはいけない命令であるかのように,息苦しく,重たく感じられてくる。臨機応変な道案内ではなく,厳格なルールとなってしまうのだ。
と説明されていた。

 すでに言及したように、ゴールの達成を重視したライフスタイルは、その人の飛躍的な成長・発展をもたらす可能性を含みつつ、その一方でさまざまな弊害をもたらす。ACTの対象は、成功者あるいは勝ち組と呼ばれている人たちではなく、ゴール達成に失敗・挫折した人たちが中心となるであろうから、ここに挙げられているキーポイントもそうした人たち向けに挙げられているものと思う。

 もっとも、ここでイマイチ分からないのは、ゴールではなくて、「価値とフュージョンする」ということの中身である。本文では
これをコンパスのメタフアーに当てはめてみよう。あなたが旅をしている間,どこに向かうときもどこを進んでいるときも,必ずコンパスを握りしめているわけではないはずだ。おそらく背中のリュックサックにしまっておくだろう。進路を定めたり,進む方向を見つけたりしたいときは,すぐに取り出して使うことができるとわかっているのだから。
と語られているが、このメタファーにあるコンパスの利用は、ゴールまであと何kmあるのかをGPSで確認することと大して変わりない。本来の価値との接触をすでに逸脱しているような気もする。


 次回に続く。