じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 四半世紀ぶりに訪れたレオマワールド。写真上は、入口ゲート付近。中段はオリエンタルトリップの「プラサット・ヒン・アルン」前。雨が降っていたこともあり、午後の時間帯は閑散としていたが、おかげで静かに景観を楽しむことができた。イルミネーションが見られる時間帯になると、隣接するホテルの宿泊者と見られる人たちでかなり賑わっていたが、採算をとるのはなかなか大変であるようにも見えた。↓の記事参照。

2017年1月8日(日)




【思ったこと】
160108(日)四半世紀ぶりのレオマワールド(1)

 1月8日(日)は来客があったので、イルミネーション目当てに瀬戸大橋を通ってニューレオマワールドに行ってきた。前回ここを訪れたのはこの施設ができたばかりの頃であり、四半世紀ぶり()ということになる。
]当時はまだデジカメではなくプリント写真の時代だったので、過去のアルバムを取り出してみないと正確な日付は確認できない。2000年5月11日の日記に関連記事あり。
1/9追記]昔のアルバムを引っ張り出してきたところ、レオマワールドを訪れたのは1991年10月10日であったことが確認された。

 これまでレオマワールドに一度しか訪れていなかった理由としては、
  1. もともと、人工的なアトラクションには興味が無かったこと。
  2. 入園料金が高かったこと。
  3. 瀬戸大橋の通行料金が高かったこと。
  4. リピーター向けの施設が殆ど無かったこと。
などが挙げられるかと思う。

 じっさい、ウィキペディアの当該項目を見ると、この遊園地は、1991年3月のプレオープン以降、2000年9月に無期限休業(事実上の閉園)、2004年4月11日から2010年7月16日までは旧レオマワールドの園内を4つのエリアに分割、別々の企業が担当して独立採算方式で運営、さらに2010年7月17日から現体制の「NEWレオマワールド」に移行、というように苦難の歴史を歩んでこられたことが拝察される。

 以下は今回久しぶりに訪れた時の印象。あくまで、雨天の日の1回限りの個人的な感想であることをお断りしておく。

 まず、上掲1.の乗り物については、今回は全く利用していないので何とも言えない。但し、どこでもそうだが、この種の遊具は何度も乗っていると飽きられてしまう。そう言えば、最近、スペースワールドが2017年末で閉園になるというニュースが伝えられていた。「経営難が理由ではない」とされているが、ときたま近くを通過する時に見る限りでは、平日の園内は閑散としており、乗り物も動いているのかどうか分からないほどであった。(ちなみに私は、スペースワールドには一度も入場したことがない。)

 次の2.については、今回はETCカード提示で500円割引!!を利用したので、ワイド入園券(入園+オリエンタルトリップ)利用で1人あたり500円引きで1600円で済ますことができた。一度限りで、かつイルミネーションつきであればまあまあの金額かもしれないが、繰り返し何度も訪れるには少々高すぎるように思えた。

 今回は雨が降っていたこともあり、隣接する大江戸温泉物語の日帰り温泉で2時間程度過ごしたが、こちらのほうも「NEWレオマワールド利用割引」で1人あたり700円で利用することができた。岡山からわざわざ日帰りで利用するほどの温浴施設ではないが、この料金自体は、岡山市内のいくつかの同等の施設と比べても妥当であると言えるだろう。なお、この大浴場自体はホテルの宿泊者向けとなっており、ホテル内はかなり賑わっているように見えた。このホテルに泊まってレオマで遊ぶ場合は、格安の送迎バスもあり、1泊2食つきで8100円といった宿泊プラン(レオマのチケットは別)を利用すれば、それなりに楽しめるようにも思えた。

 あと、施設案内では有料駐車場料金が1000円となっているが、その手前に広大な無料駐車場スペースがあり、駐車場からゲートに向かうエスカレーターを利用すれば、殆ど歩かずにゲートに向かうことができるのも便利であった。

 3.の瀬戸大橋の通行料金も以前よりはだいぶ安くなってきた。リンク先にも案内されている通りで、岡山からの場合、早島IC〜瀬戸大橋〜坂出ICが片道1,950円。以前は2倍以上の料金であったと記憶している。この通行料金の問題は、レオマの入場者数にも大きく影響している。この施設の創設者であり、「レジャーは・大西に・任せろ」の名前の由来にもなった大西氏は、かつて本州と四国を結ぶ3つの橋が開通すれば利用者数が大幅に増えると豪語していた。実際にはそのようにはならなかったが、その一因が通行料金の割高さにあったことは否めない。もっと早期に値下げしていれば、大西氏の目論見通りの西日本屈指の人気施設になっていた可能性もある。

次回に続く。