じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



07月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 カナダ・ナイヤガラで見かけたOKギフトショップ・ナイヤガラ店。2001年撮影。

2016年07月21日(木)


【思ったこと】
160721(木)大橋巨泉氏、ご逝去

 大橋巨泉さんが、今月12日に入院先の病院で急性呼吸不全のためお亡くなりになった。82歳。各種報道によれば、巨泉さんは、2005年に胃がんの手術を受けたほか、3年前には中咽頭がんと診断され、その後手術と放射線治療を受け、さらに2015年の秋には腸閉塞の手術を2回受け、ことし4月には体調が悪化して、一時的に意識を失い、緊急入院した。

 2月6日の日記に記したように、私にとっては、大橋巨泉さんは、中学生の頃に聴いていた深夜ラジオ「プレイボーイクラブ」、その後の「11PM」、「クイズダービー」、「巨泉のこんなモノいらない!?」など数々の番組を拝見した。ラジオご出演の頃から、最後に拝見した徹子の部屋「永六輔・大橋巨泉」まで、およそ50年間もの長きにわたりお馴染みであった。

 なかでも一番よく視たのは、クイズダービーであった。もっとも、この番組は、初回が1976年1月3日、最終回は1992年12月19日、全862回であったというが、私が視ていたのは、最初の5年間程度であったと思う。

 このほか、巨泉のこんなモノいらない!?もなかなか参考になった。番組の中でいちど「血液型性格判断」が取り上げられたことがあり、その時の録画は今でも残っている【但し、VHSテープなので再生できるかどうかは不明】。

 数々の人気番組の司会をつとめられたせいでもあると思うが、巨泉さんの番組で大人気となった方の中にはその後すっかりテレビ界から姿を消した方もおられる。
  • 前田武彦さん:巨泉×前武ゲバゲバ90分!で有名。2011年8月5日、肺炎のため東京都内の病院で死去。82歳没。
  • はらたいらさん:クイズダービーの大本命。2006年11月10日、肝臓癌により、埼玉県富士見市の病院で死去。63歳没。
  • 篠沢秀夫さん:クイズダービーの大穴。「教授」という職業のイメージを一変させた。2009年2月より筋萎縮性側索硬化症(ALS)と闘病中。


 もう1つ、「11PM」(イレブン・ピーエム)も、内容はあまり興味をひかなかったが、夜型の生活をしていた時代に、時たま視ていた記憶がある。リンク先に記されているように、この番組は日本テレビと読売テレビ(当時は「よみうりテレビ」表記)の交互制作で1965年11月8日から1990年3月30日まで約24年半に渡って放送されていた深夜番組であった。私が視ていた頃の司会者は、月・金曜日が大橋巨泉、水曜日は愛川欽也、火・木曜日は藤本義一となっていた。改めて、当時の司会者について調べてみると、
  • 愛川欽也さん:2015年4月15日午前5時11分、肺がんのため東京都内の自宅で死去。満80歳没(享年82)。
  • 藤本義一さん:2011年(平成23年)春に中皮腫を患っていることがわかり、余命は1年と宣告された。2012年10月30日死去。満79歳没。
となっており、今回の巨泉さんご逝去をもって、3人の司会者すべてが他界されたこととなった。

 以上、いくつか思い出話を書かせていただいたが、私は別段、巨泉さんのファンというわけでもなかった。私は、かつてはボリビアの5395mの山頂で阪神タイガースの優勝を祈願するほどの熱烈な阪神ファンであったため、「野球は巨人、司会は巨泉!」という言葉を聞くたびに、ムカムカしたものである。また、晩年の政治的言動・行動については、そもそも私の関心事ではなかったので詳しいことは存じ上げていないが、改めて関連記事を拝見した限りでは特定の事柄にこだわりすぎているような印象を受けないわけでもなかった。

 私自身は今年の10月で64歳となるが、今回の巨泉さんをはじめ、お亡くなりになった方々をリストにしてみると、私もせいぜい余命20年、どのように有意義な余生をおくるべきか考える時期となってきた。また、幸いにして長命をたもつことができたとしても、同年代以上の人たちはしだいに姿を消し、自分より若い世代の人たちばかりの世界となってしまう。そうなった時にはどんな気持ちになるのか、今のうちから心の準備をしておいたほうがよいかもしれない。

 ということでいろいろ書かせていただいたが、謹んで巨泉さんのご冥福をお祈りいたします。