じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 春落葉が終わり、鮮やかな新緑に様変わりしたクスノキ。

2016年04月22日(金)


【思ったこと】
160422(金)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(6)ABCと三項随伴性と行動随伴性(2)

 昨日に続いて、ABC(三項随伴性)と行動随伴性の話題。

 昨日も述べたように、マロットらの提唱する「行動随伴性」では、弁別刺激はA(先行事象、Antecedent)の必須項目ではなく、オプションとして組み入れられている。その理由は「随伴性によっては弁別刺激がない(特定できない、あるいは、それほど重要ではない例がかなり存在するからだ。」とされていた。いっぽう、ABC(三項随伴性)では、「Aが表している先行事象は,ある行動が生起するその時点で,そこに存在している条件のことを意味している。行動分析では, Aには少なくとも2つの異なるタイプの機能があると考える。それは,弁別機能と動機づけ機能である。」【トールネケの翻訳書22〜23頁】とされており、弁別機能はそのうちの必須条件となっている。

 ここからは私の個人的な見解になるが、弁別機能にどれだけ重きを置くのかということは、
  1. 特定の行動を増やすこと(または減らすこと)自体に関心があるのか
  2. 特定の行動が適切な場所で生じるように(不適切な場所では生じないように)改善することに関心があるのか
というニーズによって変わってくるように思う。

 喫煙行動を例にとれば、喫煙には様々な疾患のリスクがありかつニコチン依存の弊害があると主張している人にとっては【←私もその一人だが】、とにかく、いかなる場所、いかなる時間帯においても喫煙行動を減らそうとするだろう。その場合、行動が起こる文脈はあまり重要ではない。喫煙を弱化する有効な方策を追究していくであろう【←但し、厳密に言うと、禁煙治療においても、タバコを吸いたいと思った時の文脈にどう対処するのかに目を向ける必要があるので、文脈フリーというわけではない。念のため。】

 いっぽう、喫煙は個人の自由だが受動喫煙の被害は防止すべきだと主張する人にとっては、喫煙行動そのものを弱化するのではなく、喫煙者が所定の喫煙場所のみで喫煙するように誘導すること、つまり、喫煙場所という弁別刺激のもとで喫煙し、それ以外の場所では喫煙をしないという弁別行動をしっかり形成する方策を検討するであろう。

 あくまで私の個人的な印象であるが、応用行動分析に携わる人たちのあいだでは、行動随伴性よりもABC(三項随伴性)のほうが普及しているように思われる。

 その第一の理由は、「問題行動」とされる多くの事例では、行動が起こること自体が問題なのではなくて、その行動が不適切な場所で生じていること、つまり、弁別がうまくなされていないことが問題となるためである。例えば、電車の中で大声で歌うというのは、他の乗客に迷惑になるので問題行動と言える。この場合、望ましくないとされるのは「大声で歌う」という行動自体ではない。電車の車内で歌うから問題なのであって、どこかの海岸で海に向かって大声で歌うのであれば誰からもとがめられないであろう。同じく、所構わず排泄してしまうという事例でも、排泄そのものは必要な生理現象であって弱化することは不可能である。問題とされるのは、適切な場所(=トイレ)に限定した排泄がなされていないことにある。このように、臨床場面では、行動の生起頻度そのものより、弁別訓練が必要とされるケースのほうが多い。

 第二の理由として、臨床場面では、オペラント行動とレスポンデント行動が複合的に生じているような場合が少なくない点が挙げられる。【このあたりの詳細は、『臨床行動分折のABC』(日本評論社,2009) の第8章を参照】。

 第三に、関係フレーム理論を適用するとなれば、Aの役割はさらに重要となる。

 いっぽう、Aを重視するということはそのぶん、行動を文脈の中でとらえるということになる。もっとも文脈的であったからといって、例えば基本随伴性のような一般原理が成り立たないというわけではない。杉山ほか(1998)の8頁で、行動分析学が

●行動分析学:人間を含めた動物全般を対象として行動の原理が実際にどう働くかを研究する学問

というように定義されているのも、行動の基本原理がさまざまな文脈の中で実際にどう働いているのかを検討するという立場を表明しているものと思われる。

 次回に続く。