じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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【音声注意】
 3月14日は、3.14にちなんで円周率の日とされているという。
 円周率に関連してこちら

円周率をメロディにしたら、芸術的なピアノ曲が誕生!! 神秘なる数字の音とは?

という話題が取り上げられていた。リンク先の演奏は確かに神秘的であるようにも聞こえる。循環小数のような繰り返しにならず、常に異なるパターンのメロディが流れているためだろうか。

もっとも私自身は、十進数表記の数字の並びにはそれほど神秘性は感じていない。n進数で表記すれば、並びは著しくことなってくるからだ。

 と思って検索したら、こちらには十二進数で表記されたメロディが紹介されていた。さらにはeのメロディなどもある。いずれのメロディも美しく聞こえるのは、編曲や伴奏の効果と言えよう。

2016年03月14日(月)


【思ったこと】
160314(月)行動分析学における自己概念と視点取得(3)セルフコントロール(1)

 昨日の続き。今回からしばらくのあいだ、スキナー自身が「自己」についてどのような考えを持っていたのか、原著に基づいて考えていくことにしたい。

 まずは、セルフコントロールについて。この話題は、

Skinner, B. F. (1953). Science and human behavior. New York: Macmillan.

の「第15章 “SELF-CONTROL”」で取り上げられており、「自己」関連テーマの重要な柱の1つとなっている。第15章のでは、自己について次のような問題提起がなされている。
When we say that a man controls himself, we must specify who is controlling whom. When we say that he knows himself, we must also distinguish between the subject and object of the verb. Evidently selves are multiple and hence not to be identified with the biological organism. But if this is so, what are they? What are their dimensions in a science of behavior? To what extent is a self an integrated personality or organism? How can one self act upon another? The interlocking systems of responses which account for self-control and thinking make it possible to answer questions of this sort satisfactorily, as we shall see in Chapter XVIII. We can do this more conveniently, however, when the principal data are at hand. Meanwhile, the term "self" will be used in a less rigorous way.
あの人は自分自身をコントロールしているというときには、誰が誰をコントロールしているのかを明らかにすべきである。同様に、あの人は自分自身を知っているというときには、その言葉の主語と述語を区別すべきである。明らかに自己は多面的なものであり、それゆえに生物学的な生活体と同一視されるべきものではない。しかし、もしそうであるとして、自己(self)とはいったい何なのだろうか?自己というものの行動科学における重要性はどこにあるのか?自己とはどの程度統合された人格や生活体であるのだろうか?どのようにすれば、ある一つの自己は他の自己へ働きかけることができるのだろうか?セルフコントロールと思考について説明する反応の相互システムは、この種の疑問に答えることを十分可能にする。この点に関しては、第18章で取り上げる。しかしながら、主要なデータが手元にあれば、このような問題に対する回答は簡単にできる。しかし、もうしばらくの間、“自己"という用語は、暖味な用法で用いられることになるであろう。【杉若訳,269-270ページ】
 「セルフコントロール」というのは基本的には「自分で自分をコントロールする」という意味である。上記の記述にもあるように、この意味の限りにおいては「自己」という概念は必ずしも必要ない。出発点から厳密に定義したうえで使用するのではなく、研究対象を大まかに特定する概念として使用したほうがよいということになろう。

 「自分で自分をコントロールする」ことについては、その後のスキナーの著作においても取り上げられており、晩年に刊行された共著、

Skinner.B.F. Vaughan.M.E. (1983). Enjoy old age: A program of self-management. New York:Norton.

もその実践例の紹介と言うことができるだろう。なお、上記タイトルにもあるように、「セルフコントロール」はその後「セルフマネジメント(自己管理)」としてより広い意味を含んで取り上げられることが多い。

O'Donohue, W. & Ferguson, K. E. (2001). The Psychology of B.F.Skinner. C.A:Sage Publications. 【オドノヒュー・ファーガソン (2005). スキナーの心理学 応用行動分析学(ABA)の誕生.】

という解説本では、自己管理について次のような定義が引用されている。
自己管理とは、行動分析の知見からすると、自分の行動を望ましい方向に変容させる目的で、自分自身に行動変容法を系統的に適用することである(Heward,1987,p.517)。したがって、自己管理というのは一連のスキルのセットと考えることができる。
 自己管理は、日常生活における悪癖、依存、退廃などから脱却する場合に必要となる。初期状態が望ましくない状態にあるのはそれ自体、その人を取り巻く環境のもとで強化されているためである。自分自身の手でその随伴性に変更を与えることで、結果的に別の行動が強化されていくようになれば、生活は改善される。そのさい、「やる気」とか「根性」は必要ではない。「自覚」は必要だが、それは、現状において自分が何によってどのように強化されているのか(もしくは無強化状態にあるのか)を正確に把握することを意味する。

 元のスキナーの原著に戻るが、「第15章 “SELF-CONTROL”」では、セルフコントロールの具体策として、身体的制限(身体的補助)、刺激変化、摂取制限と欲求充足、情緒的条件の操作、嫌悪刺激、薬物、オペラント条件づけ、罰、不両立行動という手法が紹介されている【オドノヒュー・ファーガソンの本でも詳しく解説されている。179〜187頁】。

 オドノヒュー・ファーガソンの本によれば、こうした方法は、スキナー自身の生活でも日々実践されていたという。
スキナーは、寝ている以外のすべての自分の行動に対して、分析と管理を試みている(Epstein, 1997)。彼は、自己管理による生活スタイルによって成功と幸せが得られたと信じていたようだ。人生最後の数カ月まで、彼は、きわめて活動的だった。【175頁】

【中略】

高齢になってからのスキナーがなお旺盛な執筆活動を続けられたのは、すぐれた自己管理能力を考えれば当然と言える。最晩年の16年間に健康上の問題を抱えながら、およそ70編の著作を公刊している。全体で1,100頁に及ぶ3巻の自叙伝も含めて9冊の本、分担執筆が6編、残りは科学関係の記事である。なんと死んだその日の夕刻にも苦しい中で書き続けていた(Vargas,1990)。【176頁】


次回に続く。