じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 岡山では大学祭が終わった土曜日の夜から雨模様の天気が続いており、11月10日朝06時の時点での24時間積算で5.0ミリ、72時間積算では16.5ミリの降水量を記録した。この雨で、イチョウ並木のほか、時計台前のアメリカフウ並木の落葉も進んでいる。

2015年11月09日(月)


【思ったこと】
151109(月)関係フレーム理論における3つの「自己」(1)

 関係フレーム理論やそれを土台に体系化されたACT(アクト)ではしばしば「3つの自己」に言及されている。その「3つ」は、日本語では、
  • 「概念としての自己」(概念化された自己、内容としての自己、物語としての自己、記述としての自己)
  • 「プロセスとしての自己」(継続的な自己認識のプロセスとしての自己)
  • 「文脈の自己」(視点としての自己、観察者としての自己)
などと訳されているが、カッコに示すように、必ずしも定まった用語があてられていないように思う。

 その理由の1つは、ACTが、行動分析学者向けと、実践家向けと、クライエント向けで異なる表現を用いる傾向があるためと推測されるが、ACTの発展の中でその位置づけに一定の揺らぎが生じているという可能性もあるように思う。

 手元にある関連書を参照した限りでは、どうやら以下の論文が最も直接的に「3つの自己」を論じているように思われた。

Barnes-Holmes, D., Hayes, S. C., & Dymond, S. (2001). Self and self-directed rules. In S. C. Hayes, D. Barnes-Holmes, & B. Roche (Eds.), Relational frame theory: A post-Skinnerian account of human language and cognition (pp. 119-139). New York: Kluwer Academic/Plenum.

上記の通り、この論文は書籍の章となっているが、私の知る限りでは日本語訳は出ていないようだ。これを機会に、要点をまとめておきたいと思う。

 冒頭ではまず、ルール支配行動はしばしば「他者によって記述されるルール」と「自己生成、自己志向ルール」に分けて論じられており、自己という用語がルール支配の分類のための重要なカギとして使われているにもかかわらず、「自己」自体については十分に検討されてこなかったという問題が指摘されている。でもって当該の章では、関係フレーム理論(RFT)の観点から自己志向型ルールについて検討を行うが、まずもって、自己という概念を明確にする必要がある。その一部は問題解決と重なり、またしばしば自己知識、さらに私的出来事についての議論を含む。これらをふまえて、RFTの視点から自己を捉え直してみましょうといった趣旨である。

不定期ながら次回に続く。