じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 夕日を浴びる岡大・石庭。砂目(砂紋)が目立つ。

2015年08月4日(火)


【思ったこと】
150804(火)『嫌われる勇気』(25)相互利用社会

 本書の内容から脱線するが、昨日の日記
今の自由主義社会のもとでは、おおむね、人々は相互にサービスを提供することで生活をしている。よく言えば互助互恵であるが、お互いを利用し、利用されながら生きる時代と言えないこともない。
と述べたことについて追記させていただく。これは「相互利用社会」と呼ぶこともできる。「人に利用されるのは嫌だ」とか、「あいつを利用してやろう」と表現されるように、「利用」という言葉は、あまり良い印象を与えていない。しかし、「利用」のもともとの意味は、
(物の機能・性能を十分に生かして)役立つようにうまく使うこと。また、使って役に立たせること。【大辞泉】
であり、「機能・性能を十分に生かして」、「役立つように」が基本となっている。一般に望ましいとされている「人に役立つ人間になりたい」という志は、「人に利用される人間になりたい」ということと殆ど同義であって、それ自体悪い意味は含まれないように思う。但し、一般に「利用」という言葉は、物を対象とする時の表現であるため、「人を利用する、人に利用される」というと、どうしても、人を物のように見なしていると反発される恐れがある。ちなみに、よく似た「活用」という言葉は
物や人の機能・能力を十分に生かして用いること。効果的に利用すること。【大辞泉】
となっていて、上掲の「利用」が「物の機能・性能を生かして」と説明されているのに対して、「活用」のほうは「物や人の機能・能力を十分に生かして」となっていて、物ばかりでなく人もちゃんと含まれている。実際、「人材活用」という言葉からは「人を物のように扱っている」という印象は受けない。であるからして、「相互利用社会」は「相互活用社会」と言い換えれば、無用な反発を招かなくて済むかもしれない。

 もっとも、ここで「相互利用」と言っているのは、必ずしも「世のため」であることを意味しない。泥棒のボスは手下を利用しているし、手下のほうも庇護を受けているという点でボスを利用していると言える。また、悪徳商人が「悪徳人生のススメ」という本を出版すれば、それを購入した利己主義者たちは、より悪徳な道を実践するためにそれを利用することができるし、本を執筆した側は本の利益が出るのでやはり「相互利用」が成り立つことになる。

 仮に私自身が、何年かのちに、認知症になったり、重度の寝たきりになったとする。その時の私はいっけん利用価値の無い人間になってしまったように見えるが、そういう中でも(自分自身もしくは周囲の人々のサポートにより)何かしら自分の生きざまを発信できれば、同じ状況にある人たちが利用可能な情報になりうる可能性がある。【もちろん、社会全体として、介護職にある人と要介護の人たちとの間には、介護制度や雇用を通じた相互利用関係がある。】

 本書の内容に戻るが、「他者からの承認」を前提としないという主張はアリだとは思う。しかし、実態として、現代社会に生きる人たちは、好むと好まざるに関わらず、他者から常に評価されており、相互利用関係のしがらみから完全に逃れることはできないように思う。となると、現実的には、「他者からの承認を最大限に求める」のではなく「他者からの承認は最小限にとどめる」というライフスタイルを選ぶことくらいしかできないかもしれない。

 不定期ながら次回に続く。