じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月29日の岡山は最低気温が25.9℃の熱帯夜、最高気温は35.3℃の猛暑日と、夏本番の暑さとなった。
 期末試験期間ということもあって、図書館は満員状態となっているが、気になるのは図書館前の迷惑駐輪である。朝方は守衛さんの誘導があるためきっちりと駐輪されているが、午後以降は放任状態となり、道路の真ん中やスロープなど、駐輪エリア以外にも多数の自転車が駐められていた。

 こういう現象はしばしば「モラルの低下」と呼ばれるが、図書館前に来た時に限ってそれが低下するというのは説明力に乏しい。迷惑駐輪行動が何によって強化されているのかという、機能的文脈主義に基づいて解決をはかるべきである。

2015年07月30日(木)


【思ったこと】
150730(木)『嫌われる勇気』(22)人生の嘘?

 昨日の日記で「人生のタスク(ライフタスク)」について取り上げた。また、「私のような利己的で、かつ他者との交流を最小限にとどめようとしている者には大いに抵抗がある。」と述べた。「task」には
  • 【1】(一定期間内にやるべき)仕事,課業,学業;任務,務め;自発的に請け負った作業,職務
  • 【2】(一般に)仕事
  • 【3】困難な[つらい]仕事,骨折り仕事,労役

というような義務的な意味があるが【ランダムハウス英語辞典】、「仕事のタスク」、「交友のタスク」、「愛のタスク」という3つのタスクは私たちに義務的に課されたものなのだろうか。それとも、それが必要だと納得した人たちだけが自主的に課し、それによって、人間関係上の悩みを解決し、よりよい人生を構築するという任意性のある課題なのだろうか?

 この点について本書では、「ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。それが人生のタスクです。」【111頁】と述べており、「せざるを得ない」と表現されていることからみて、前者、つまり「タスクは義務的に課されたものだ」と主張されているように見える。

 さらに、120頁では
アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとする事態を指して、「人生の嘘」と呼びました。
と論じられていた。してみると、私などは、日々、人生の嘘にすがってタスクを回避している典型のようなものになる。

 もっとも、タスクが義務的なものであるとするなら、その分量を最小限にとどめる工夫もできるはずである。
  • 「仕事のタスク」に関して言えば、できるだけ対人接触を少なくするような仕事を選ぶことは可能。例えば、営業や接客業ではなく、可能な限り自給自足型に近い農業を選ぶとか、ネットを利用した在宅就労を選ぶことなどは可能。
  • 「交友のタスク」については、交流が無くても別段孤独に感じない人はわざわざ人付き合いを増やす必要はない。
  • 「愛のタスク」については、「おひとりさま」という生き方もあることはある。
 いずれにせよ、タスクが義務的なものであるなら必要最小限にとどめればよいはず。逆に、タスクを遂行すればするほどhappyになれるというなら、それを任意で選択した人は最大限のエネルギーを投じてそれを遂行すればよいし、それが面倒な人はそれほど重視しなくてもよいということになるはずだが、実際はどうだろうか。

 不定期ながら次回に続く。