じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月3日の岡山は雲の多い天気となったが、夕刻、薄雲のあいだから金星と木星の接近の様子を眺めることができた。私が見ている限りでは6月29日以来である。6月29日には木星の右下(北西側)にあった金星が7月3日は木星の右側(南側)に移動していることが分かる【写真右上は拡大図】。残念ながら、7月1日の最接近の時は雲に隠れて眺めることができなかった。このあと7月19日になると、月と金星の大接近(南半球の一部では金星食)が見られる。ぜひとも晴れてほしいところだ。

 なお、7月3日の朝、大学構内でクマゼミの初鳴きを確認した。

2015年07月03日(金)


【思ったこと】
150703(金)『嫌われる勇気』(6)トラウマは否定できるか?

 まず、昨日の続き。

 本書の「第一夜」ではさらに、「トラウマは、存在しない」という話題が取り上げられている。第一夜(第一章)の見出しである「トラウマを否定せよ」に関連した、中心的な論点であるとも言える。

 ここで念のため、「トラウマ」とは何かを復習しておく。まず、辞書的定義では、
  • 【新明解】精神的に大きなショックを受けたことの後遺症として後あとまで続く心理的な障害。
  • 【三省堂国語辞典】精神的な外傷。後遺症(コウイショウ)を残すような、はげしい精神的なショック
  • 【大辞泉→精神的外傷】恐怖・ショック・異常経験などにより精神に受けた傷。神経症やヒステリーなどの精神症状の発生因となる。
などと説明されている。またウィキペディアでは「心的外傷」に転送され、
心的外傷(しんてきがいしょう、英語: psychological trauma、トラウマ)とは、外的内的要因による衝撃的な肉体的、精神的な衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態で、また否定的な影響を持っていることを指す。特定の症状を呈し、持続的に著しい苦痛を伴えば、心的外傷後ストレス障害(PTSD)ともなりえる。
と説明されている。トラウマやPTSDについては、厚生労働省の「みんなのメンタルヘルス」というサイトにも解説があり、その中では、PTSDについては、
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になるといわれています。 突然、怖い体験を思い出す、不安や緊張が続く、めまいや頭痛がある、眠れないといった症状が出てきます。とてもつらい体験によって、誰でも眠れなくなったり食欲がなくなったりするものですが、それが何カ月も続くときは、PTSDの可能性があります。ストレスとなる出来事を経験してから数週間、ときには何年もたってから症状が出ることもあります。こうしたつらい症状が続いているときは、専門機関に相談しましょう。
と説明されており、さらに
  • PTSDは、とても怖い思いをした記憶がこころの傷【=トラウマ】となり、 そのことが何度も思い出されて、恐怖を感じ続ける病気です
  • 人によって、怖い経験は異なります
  • しかし、このような経験をした人が全員PTSDになるわけではありません。同じ事故にあっても、PTSDになる人とならない人がいます。
  • PTSDになる人はこころの弱い人なのでしょうか? 実際にはそんなことはなく、屈強な男性がPTSDに悩まされている例もたくさんあります。どんな人がPTSDになりやすいのかはわかっていません。PTSDは、誰がなるかわからない障害です。言いかえれば、誰にでもその可能性があるのです。
  • いつまでもこころの傷を克服できないからといって、自分を責めないでください。とても怖い思いをしたあなたにとって、PTSDは自然の反応ともいえるのです。
  • その症状がPTSDだと気がつかないこともあります。生命の危機に直面するほどの体験をしていても、今悩まされている症状とその体験を結びつけることができないこともあります。
  • 原因がわからないまま、こころの不安定な症状が続くと、原因がわかっている時以上に本人も周りの人もつらく、疲れてしまいます。それが過去の体験に関係していると気づくことができれば、それは回復への第一歩となります。
といった、より詳しい解説が記されている【長谷川により一部省略、改変】。上掲の最後の部分、「それが過去の体験に関係していると気づくことができれば、それは回復への第一歩となります」というのは、明らかに、本書で否定されている「原因論」の立場であると言える。

 これに対して、本書では、
アドラーはトラウマの議論を否定するなかで、こう語っています。「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック−−−いわゆるトラウマ−−−に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。
...【中略】...
たとえば大きな災害に見舞われたとか、幼いころに虐待を受けたといった出来事が、人格形成に及ぼすの影響がゼロだとはいいません。影響は強くあります。しかし大切なのは、それによってなにかが決定されるわけではない、ということです。われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの性を決定している。人生とは誰かに与えられたものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるのかを選ぶのは自分なのです。【長谷川により一部省略、改変。下線部は原文では太字】
という理由で、トラウマを否定している。要するに、「トラウマを否定する」という真意は、「過去体験は厳然と存在するが、それが決定論的に現在の行動を支配するという説明モデルは採用しない」という意味なのだろう。

 ここからは私の考えになるが、まず、昨日も述べたように、過去の経験の影響は決して排除できないとは思う。但しそれは、通常は、習得性好子、習得性嫌子、弁別刺激、条件刺激という形で現在の行動を強化したり弱化したりしている。重要なことは、どのような文脈で、どういう刺激・出来事が、どの程度、現在の行動をコントロールしているのかを知ることであって、それらが過去のどのようなプロセスで条件づけられたのかという情報は必ずしも必要ではない。例えば、飛行機が怖くで乗れないという人がいた場合は、系統的脱感作のような方法で、搭乗がもたら恐怖や不安の反応を起こりにくくすればそれでよいのであって、その人が、過去にどのような恐怖体験をしたのかという情報は必ずしも必要ではない。

 その人の人生に関わるような強烈な体験、例えば、大きな災害とか幼い頃の虐待のような体験の場合は、それを繰り返し想起すること自体が現在の行動に影響を及ぼしている可能性がある。要するに、特定の過去体験に注意を向けたり、それを想起したり、さらには、それを想起しやすいような弁別刺激を自ら用意するといった行動が、現在に悪影響を与えているのである。こういう時は、別の対象に注意を向けたり、「この瞬間の体験に意図的に意識を向け、 評価をせずに、とらわれのない状態で、ただ観る」というマインドフルネスのトレーニングを積むことも有効ではないかと思う。

 もっとも、本書では「人生とは誰かに与えられたものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるのかを選ぶのは自分なのです。」と語られているが、私は、人間はそこまで主体的(←アドラー心理学では「創造性」と呼ぶらしい)にはなれないと考えている。なぜなら、人間には「自由意志」なるものは存在しない、あくまでオペラント条件づけの枠組みの中でしか選択することができないと考えるからである。当然、「自分はどう生きるのか」という選択も、任意に変えられるようなものではない。また、「自分がどう生きるのかを選ぶのは自分なのです」というくだりで、自分を「A」に置き換えると「Aがどう生きるのかを選ぶのはAなのです」となるが、どう生きるのかによってAが定義されているとすると、生き方を変えてしまえばAはAでなくなってしまう。このあたりは、「人は変われる」という議論と、変わらない「このわたし」を明確にしないと先に進めないと思う。


不定期ながら次回に続く。