じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 北福利施設(マスカットユニオン)で、豆腐・スタミナ料理の人気投票をやっていた。得票が多いメニューが実際に食堂で提供されるという企画。これまでのところ、「カリカリ豚のスタミナ炒め」、「おろし豆腐ハンバーグ」、「ねばねばスタミナ丼」が首位を争っている。私個人としては「豆腐と山芋のサラダ」、「夏野菜のスタミナ丼」、「ピリ辛サラダうどん」あたりが好みだがいずれも得票は少ない。若者向きばかりでなく、年配の教職員向き料理も提供してほしいところだ。


2015年06月08日(月)


【思ったこと】
150608(月)NHK 100分 de 名著43「荘子」(3)「和して唱えず」と「主体性」

 6月6日の続き。

 放送第1回の終わりのほうでは、「哀駘它(あいたいだ)」の話が紹介された【内篇 徳充符(とくじゅうふ)】。ここで説かれたのは、
  • 常に人に和するのみ
  • 和して唱えず
  • 物と春を為す
  • 我々が会話の中で求めているのは、正しいかどうかのジャッジではなく、同調。
 番組でも指摘されたが、「何も主張しない」というのも物凄い主張であり強烈な個性とも言える。この議論はさらに第2回の、「主体性」にもつながる。

 ふつう主体性というのは、周囲に流されず、むしろ、周囲を引っ張って前に進んでいくような意味で使われると思うが、番組ではこれとは真逆で「受け身こそ最強の主体性」ということが説かれた。蛇のように、地面のでこぼこに合わせて地に足着いた進み方をするのが主体的ということになるらしい。

 さらに「主人公」というのは、自分(小我)をなくし、「どんな役にも成りきれる、主体的な人格」を意味するのだという。不遇を恨んでいる限りは自由になれない。天命だと思えば誰かを恨むこともない。「やむを得ずの思想」が一番、これが究極の受け身だそうだ。

 ここから先は私個人の考えを述べるが、まず、「唱えず」は、種々の学会や会議で「唱える」ことの多かった私には全く当てはまらない生き方である。さらに私は、みんなで同じことをしたり、大勢でワイワイすることが大嫌いであり、「和して」は100%当てはまらない。

 とはいえ、歳をとるにつれて会議での発言回数は減り、また、人が集まる機会(懇親会など)への出席を最初から断るようになってきた。もっとも、他者との交流を避けるためには、他者からの援助を受けずに生活できる強さが必要となる。そのこともあって、最近、特に、健康寿命を延ばすための努力を続けているところだ。

 次に「主体性」の議論だが、私自身は、もともと行動分析学的な生き方をしているので、オペラント行動の原理から独立した「行動の自由」とか「主体的な行動」などはありえないと考えてきた。すべての(オペラント)行動は強化の原理から逃れることはできない。いっけん強化の原理に逆らって行動していても、実は、その裏で別の好子(コウシ)が付加されていたりする。地面のでこぼこに合わせて移動する蛇がもっとも主体的かどうかはなんとも言えないが、人間や動物は結局のところ、行動随伴性のコントロールから逃れることはできない。その中で敢えて主体性を求めるのであれば、
  • 自分の行動がどのような行動随伴性によって強化されているのかをしっかり把握する
  • (他者から提供される)付加的強化随伴性の影響を減らし、代わりに自然随伴性で強化される機会を増やす。
といった余地に注目するべきであろう。

 不定期ながら次回に続く。