じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 ソメイヨシノからのバトンタッチで、八重桜が見頃を迎えている。写真は時計台前。2004年の台風23号で倒木被害があったが、被害を免れた樹木や新たに植えられた樹木が成長している。




2015年04月11日(土)



【思ったこと】

将棋電王戦FINALとゲームソフト

 将棋電王戦FINAL第5局が2015年4月11日に開催された。今年の対戦成績はプロ棋士とコンピュータソフトが2勝2敗、かつこの企画は今年限り、ということで最終局の展開が注目されていたが、なっなんと、プロ棋士側の「大将」にあたる阿久津主税八段がわずか21手でコンピュータソフト・AWAKEに勝利というあっけない幕切れとなった。

 その後、ネット経由で各種情報を入手したところ、阿久津主税八段は△2八角を打たせる山口システムに誘導する戦略をとったという。現時点では棋譜を拝見できないので、なぜこの手が勝利につながったのかはよく分からないが、なんでも、コンピュータソフト・AWAKEの弱点を見抜いた「ハメ手」であり、人間相手には同じ手は指せないとのことだ。

 今年度の電王戦では、第2局でも、コンピューターソフト「Selene(セレネ)」が角不成という王手を認識できず、プログラムの不備でその王手を放置して別の手を指すという反則負けになった。

 2013年には三浦弘行八段(当時)が「GPS将棋/田中哲朗・森脇大悟 他」に、また2014年には屋敷伸之九段が「ponanza/山本一成」にそれぞれ敗れるというように、A級棋士にも勝てるコンピュータソフトが現れ、人間の頭脳では太刀打ちできないのかとも思われたが、電脳側もパーフェクトではなかった。「ハメ手」を使うことには異論もあるようだが、相手の弱点を見抜いてより有利な局面を導くというのも将棋の面白さではないかと私は思う。仮に来年以降に何らかの対戦が企画された時には、コンピュータソフト側は当然、かつての弱点を改良してくるとは思うが、その対策のために発生した負荷によって、またまた別の弱点が生まれてくるはず。それをまた人間側が見抜く。まだまだ人間の脳も捨てたものではないと思う。

 ちなみに阿久津八段は、昨年度A級に昇級したものの、0勝9敗というまことに不本意な成績に終わり、今年度は再びB級1組に降級となった。3月にNHK杯女流棋士枠決定戦の時に解説を拝聴したが、切れ味鋭い指摘で、大いに勉強になった。今回の勝利をきっかけに再びA級を目ざしていただきたいところである。

 ところで、コンピュータソフトは、将棋以外の思考ゲームではどの程度勝てるのだろうか。ウィキペディアによれば、囲碁については
  • 2000年代前半、日本棋院から段級位認定されたことを売りにするアプリケーションがあったが、重要な場面での手抜きなどコンピュータ囲碁特有の弱点が有り実際には級上位レベルであった。
  • 数十年の研究にもかかわらずアマチュア級位者の実力を脱することがなく、これらのプログラムが人間の初段と互先で戦って勝つのはほぼ不可能という評価をされてきた。
  • 2000年代後半に入ってモンテカルロ法を導入することにより、アマチュア段位者のレベルに向上したとされる。
  • 【現在は】プログラムの棋力はアマチュア県代表レベルであり、98%のアマチュアはもう勝てず、プロとは4子の手合(将棋の飛香落ちに相当)で、コンピュータ将棋に比べると10年遅れている感じだという。
とのことである。

 もう1つ、私が学生時代に楽しんだ麻雀はどうだろうかと思ったが、これは対戦ゲームではなく4人で遊ぶため、参加者がどういう打ち方をするのかによって、勝敗は大きく変わってくる。基本的な方略は、より高い点でアガリを早めるための方略(アガリとなる確率と期待値)、相手に振り込んだ時の損失の見積もり(確率と期待値)から最適の手を選ぶということになるとは思うが、
  • 参加者の中に初心者が混じっていれば、その人に振り込ませることで高得点を狙える
  • 他の人の手を読む人がいれば、敢えて、それを読み誤らせるようなハメ手を打つこともある
などなど、いろいろな駆け引きが考えられる。またどっちにしても確率ゲームなので、その時の運に左右されるため、絶対に勝てるとは限らない。

 私自身は、将棋も囲碁も麻雀も、かつて、WindowsXPマシンを購入した時に付録でついていたパソコンソフトで何回か遊んだことがある程度で、最近は全くやったことがない。【というか、ゲームソフトは一切インストールしていないし、かつてのソフトのCDもどこかへ消えてしまった。】 定年退職後には思い切り遊んでみたいという気持ちもあるが、そういうことに時間を費やしているうちに健康寿命が尽きてしまうのはまことに勿体ないという気持ちもある。【楽しむという目的ではなく、認知症予防のためのトレーニングとして遊ぶことはあるかもしれないが。】