じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 4月10日の岡山は、ほぼ1日中雨が降り、24時間積算降水量は53.5ミリとなった。この日を含めて。今年の4月の特徴は雨が多い。気象庁統計によると、4月1日から10日までの10日間のうち降水量0.5ミリ以上を記録した日数はなんと8回。また4月の積算降水量は96.5ミリに達した。岡山の4月の平年値は92.3ミリなので、10日間ですでに1ヶ月分を超える雨が降ったことになる。
 岡山では3月にも平年値86.7ミリを上回る100.0ミリを記録しており、多雨傾向が続いている。

 写真は、黒正巌先生像から南北通り方向と、霧立ち上る半田山。



2015年04月10日(金)



【思ったこと】

どうして言っちゃう?「独り言」

 少し前の番組になるが、3月24日放送のNHK「すイエんサー」、

どうして言っちゃう?「独り言」

を録画再生て視た。ちなみにこの放送は2014年度の最終回であり、渡辺徹、岡田圭右、小島瑠璃子はこの回をもってMCを「卒業」された。

 大辞泉によれば「独り言」とは「聞く相手がいないのにひとりでものを言うこと。また、その言葉。」。また、ウィキペディアでは、
健康な成人にもしばしば見られるが、認知症や統合失調症などの妄想性疾患・自閉症では特に顕著な症状である。
 独り言自体は全く無関係な他者の観点からは異質性を醸し出す嫌悪の姿に他ならない。しかし独り言を呟く人間が全て異常という観点も誤りである。
とした上で、発声の機序を
人間は強烈な精神的衝撃を受けた場合、必ず自己の主観を取り戻そうとする為に、様々な逃避、代謝行動を行う。この行動内容は多岐に渡り、誰に伝聞の結果を求めるでもない言語を呟く事(自己の立ち位置が現実であると自我による認識を再確認する為)により、自身を保とうとする行動も例に含まれる。ごく一部の明らかな精神疾患に基づく行動(奇声、大声)はともかく、一般の日常生活を送る人間は、上記の呟き等の行為を行う事によって、様々なショックから立ち直ろうとするのが平均とされる。
と説明している。しかし、ショックから立ち直る時のみに独り言を発しているわけではないようにも思える。

 今回の番組では、
  • 感情の整理がつかなかったり、心にゆとりがないなど、自分の気持ちが抑えきれなくなると、ついつい言ってしまうらしい。
  • 【新潟医療福祉大学 高橋直樹講師】独り言は焦ったり不安になったりするときだけでなく、喜怒哀楽どんなときでも、自分の心に抑制が効かなくなるとついつい言ってしまうものなのです。

というように解説されていた。もっとも、上記の解説は、「独り言」が発せられる生起条件を述べたものであって、行動の説明としては不十分であるようにも思われる。

 ここからはあくまで私の推察になるが、他者への話しかけや、周りに大勢の人たちが居るときに発してしまう奇声のようなものは、他者からの反応しだいで強化されたり弱化されたりする。一般的には、周囲が注目するような行動は強化されやすく、無視されれば消去され、また他者から「うるさい」と窘められれば弱化される。これに対して独り言は、それを発しても発しなくても結果は変わらない。となると、行動分析学的に言えば、
  • 一定の条件が揃った時に生じるレスポンデント行動
  • それを発した時に生じるポジティブな情動変化によって自己強化されるオペラント行動
のいずれか、もしくはそれらの複合と考えられるように思う。

 このほか、本来は口に出しながら考えるほうが便利であるが、周囲から「うるさい」などと言われるために、敢えて、声を出すのを抑制している場面で、その抑制が外れた時についつい声になってしまうこともあるかもしれない。【例えば、掛け算を暗算でする時には、九九の計算をつぶやきながらしたほうが間違えにくい。しかし、静粛な環境では、敢えて声を出さずに暗算する。】

 独り言が問題行動と言えるかどうかは、周囲の人間の迷惑しだいであろう。私は年に1度ほど、海外ツアーに出かけることがあるが、ツアー参加者の中に時たま、他の参加者相手に、四六時中話しかける人がいることがある。それも、旅行先の風景とは全く関係の無い身の上話のたぐいで、これはかなり迷惑。小声で独り言を発してもらったほうが遙かに有難い。また、よくありがちな愚痴話も同様。

 番組でも取り上げていたが、独り言は、一般には本音を発していると受け止められる。これを逆手にとって、「去り際などに相手が喜ぶような独り言をあえて聞えるように言えば相手は本音を聞いてしまったと思い、うれしくなるはずです。」というテクニックもありうる。実際、相手がつくった料理を食べる時、プレゼントを貰った時など、独り言で「おいしい」とか「うれしい」と発すれば喜ばれるはずだ。もともとウソとかお世辞というのは、相手に対する会話の中で意図的に発せられる偽言であるからして、相手が居なければ起こりようがない、よって本音を発しているだろう、というように推測されるのであろう。