じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 ありえへん∞世界スペシャル「ブルネイ&マケドニア」の再現シーン。↓の記事参照。


2014年10月21日(火)

【思ったこと】
141021(火)「ありえへん∞世界」ブルネイ編

 夕食時に、ありえへん∞世界スペシャルの「ブルネイ&マケドニア」編を視た。この番組はほぼ毎回録画しているが、民放の娯楽番組の宿命のせいか、毎回、ありえへん部分が誇張されていたり創作されていたりするような気がかりな点もある。

 今回のブルネイ編では、木村さん(日本の統治下にブルネイ県知事をつとめた木村強氏)のエピソードが紹介されていた。番組の概要はこちらに正確に記録されているが、要点をまとめると、
  • 1942年、ブルネイ県知事に就任したのは、日本軍とは全く違う考えを持った軍人木村強であった。 就任直後、木村は当時のブルネイ国王の下へ。国王から「何か希望はありますか?」との問いに「現地のブルネイ人を1人私につけてくれませんか?」 国王が木村の部下に推薦したのは20代の若いブルネイ人青年。
  • 1964年、木村は地元の宮城県に戻り検事の職に就いていた。ある日のこと、東南アジアを飛び回る商社マンが木村の下に「ブルネイ県知事をつとめていらっしゃった…木村さんですか?」
    「はい」「ブルネイの国王があなたを探しています」
    木村は22年ぶりにブルネイに渡り、新しい国王の下へ向かった。
    その新国王こそ、22年前、あの秘書をしていたブルネイ人青年だった。

というようになる。日本の目先の国益ではなく、ブルネイの独立と発展に尽力し、何十年も先の両国の関係の礎を築いたという点でまことに泣ける話ではある。しかし、ネットで検索したところ、こちらに、「元ブルネイ県知事 木村 強」というお名前で執筆された回顧録が公開されており、その中では該当部分は以下のように記されていた。
  • 【県知事就任時】幸い王様に弟があり、当時二十六歳であったし、運動家で明朗闊達かつ頭脳も極めて明噺で愉快な青年であったから、私の秘書として懇請したところ快諾して秘書になってくれ、日本人の県庁委員十人足らずの者と一緒に仕事をすることになった。
  • 【1964年】三月五日晩、炬燵で茶呑み話しにブルネイ時代の思い出、王様の消息、ブルネイの戦後の状況など話し、一度ブルネイに行ってみたいなどと夢物語りをしていたが、測らずも翌六日、元日農産林株式会社におり、ブルネイにも戦時中勤務したことのある上野辰郎という人から の書簡は私の夢物語りを現実化した。
     ある日本の有力な商社の幹部が商用でブルネイに行き王様を訪れた際、戦時中木村という知事がいたが、彼はいまどうしているか、会いたい。ブルネイに是非呼びたいが何とかならぬかと頼まれたとの文面である。東亜港湾株式会社で旅費、滞在費、手続き等は一切負担するから是非行ってもらいたいと懇請され、三月二十九日羽田空港を発った。

 この回顧録【←以下、この回顧録がご本人の執筆によるものであるという前提で話を進める】によると、ブルネイ県知事時代に当時の国王の弟に秘書になってくれるように懇請したのは木村氏自身であって、国王が20代の若者を適当に推薦したというわけではなさそうだ。また、細かいことだが、1964年の再会では、商社マンが突然木村氏を訪れたのではなく、書簡であったことが分かる。

 ま、娯楽番組でどこまで脚色してよいものかは判断が分かれるところだが、番組内容をは鵜呑みにしないほうが良さそうだ。

 なお、上掲の木村氏の回顧録の中には
 私は、戦争に負けることば聊かも想像したことばないが、仮に万が一期待に反するような結果になっても、日本人の行動、日本人の行為が後世に笑われ、批判されるようなことがないように、品位を維持し日本の国際的信用を高め、長く良い印象を残しておけばいつか海外に発展飛躍ができるから、好感と信頼感を保つようにしたいという信念で、異民族の統治に当たったのであった。
という、品位、信用、信頼感を大切にされていたという記述があり、番組の趣旨そのものが史実から大幅に逸脱してはいないことは間違いなさそうだ。