じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 9月に入り、時計台両脇のカイノキに紅葉の兆しが見えてきた。もっとも、岡山の9月3日の最低気温は25℃ちょうどの熱帯夜となっており、まだまだ暑い日もありそう。



2014年9月2日(火)

【思ったこと】
140902(火)2014年版・高齢者の心と行動(15)

 最後に、選択(チョイス)の意義と留意点について述べたいと思います。少し前に刊行した紀要論文にも記した通り、選択には
 「選択」は、古代ギリシアの時代から、人間を特徴づける重要な概念として、あるいは「自由」の本質として位置づけられるなど、さまざまな形で議論されてきた。これに加えて近年、人々の生活がますます豊かになるにつれて膨大な数の選択肢が氾濫するようになり、自由や幸福、QOLなどとの関連で、「選択術」の必要が説かれるようになった。
といった意義と課題があります。要するに、少数の権力者によって支配されていた時代には、多くの人々は、「嫌子消失の随伴性」(働くことで暴力から逃れる)、「嫌子出現阻止の随伴性」(働き続ければ暴力を受けない)、「好子消失阻止の随伴性」(働かないと衣食住の最低条件が奪われる)といった命令や強制の随伴性によって、無理やり働かされているという状況にありました。こうした時代のもとでは、能動的な選択は著しく制限されており、選択(移動の自由、職業の自由、自主的な決定、...)の機会を増やすことがすなわち自由の獲得であると考えられてきました。
 アメリカの心理学者シュワルツ(Barry Schwartz)は、TEDプレゼンテーションで次のように述べています。
【西洋の産業社会では】 The more choice people have, the more freedom they have, and the more freedom they have, the more welfare they have. 選択肢が多ければ多いほど、より多くの自由が得られる。より自由であればあるほど、より幸せになれる。 【という「ドグマ」が誰も疑わないほどに浸透している。】
 しかし、現代の自由主義社会(といっても、世界各地ではまだまだ紛争や著しい格差がありますが)、少なくとも日本やアメリカでは、いま上に述べた「○○からの自由」はすでに獲得された段階にあります。ところが、これに伴って、今度は「○○する自由」のジレンマ、つまり、あふれるほどの選択肢に日夜晒されることによる、
  • 無力感(paralysis)
  • 選択の結果に対する満足度の低下
  • 選択したことについての自己責任や後悔
といったネガティブな影響が出てくるようになりました。高齢者においても同じ問題を考慮する必要があります。

 さて、著名な応用行動分析学者のお一人、望月昭氏は、2001年の論文(望月, 「行動的健康」へのプロアクティブな援助. 行動医学研究, 2001, 7, 8-17.)で、選択を重視した以下のような「行動的QOL」を提唱しています。(【   】内は、長谷川による補足)
  • 第一のレベル:ある個人において、「正の強化を受ける行動【好子出現の随伴性で強化される行動】」を成立させる段階。選択はできないが、正の強化【好子出現による強化】で維持される行動が個人に準備されているもの。
  • 第二のレベル:正の強化【好子出現による強化】を受ける行動選択肢が存在し対象者が選択できる段階。個人にいくつかの選択肢が準備され、それぞれの選択ができるもの。
  • 第三のレベル:拡大する選択肢の内容決定に本人が関与できる。個人が既存の選択肢を拒否して新しい選択肢を要求できる。あるいは、特定対象は指定しないが、新たな欲求を探索するような行動を許容する選択事態。

要するに、高齢者のQOLを高めるためには、
  • (1)まずは、(オペラント)行動が好子出現の随伴性で強化されていること
  • (2)高齢者が自ら選択できる機会が保障されていること。
  • (3)選択肢の内容決定、変更、拒否などができること。
が必要だという考え方です。重要な点は、(1)なしに(2)や(3)だけを保障してもダメだということ、つまり、何かを選ぶだけでなく、選んだあとの行動がちゃんと強化されなければ意味が無いということです。また、やみくもに選択肢を提示しても、それが、当事者にとってどうでもよい(関心の低い)選択機会であれば、かえって煩わしく感じられるようになります。例えば、お酒を飲まない人に「日本酒にしますか、ビールにしますか?」と尋ねても無意味ですし、音楽に興味の無い人に「どんな音楽を流しましょうか?」というのも無意味です。
 もっとも、高齢者施設においては、あまり意味の無い選択肢であっても、スタッフと利用者さんの会話の機会を増やす効果が期待できる場合もあります。単に機械的に「水分補給です」といってコップの水を配るより、「どの色のコップにしますか?」と尋ねればそのぶん会話が増えます。
 あと、これも本質的な意義ではないのですが、当人の不満を軽減するために選択機会が用いられる場合もあります。国際線の航空機内で機内食をいただく場合、たいがい、2種類か3種類のメインディッシュが用意されていて、「チキンにしますか? フィッシュにしますか?」というように選択できるようになっています。もしこれが1種類だけのメニューですと、あの航空会社の機内食はまずくてたまらんという苦情が出るところ、とりあえず、本人に2〜3種類から選ばせておけば、「まずかったのはチョイスに失敗したからだ」と自己責任に帰せられることで、クレームが減るわけです。もっともこのテクニックは、本質的な質の向上にはつながりませんので、あまりオススメはできません。
 最後に、「選択機会」自体の価値と、選択したことで満たされる好みとを分離する必要がある点を指摘しておきます。
  • 自由に選んだ椅子に座って窓の外の景色を眺める場合
    席を自分で選べたこと自体の価値と、座ったあとで眺める景色の満足度を分離しなければ真の選択研究とは言えない。
  • 回転寿司と注文寿司の例:全く同じネタ、同じ質・量であった場合、どちらが好まれるか?
  • 定食とビュッフェ(バイキング)形式:バイキング形式は好きなモノが自由に選べるように思われるが、けっきょくいつも同じモノばかり選んでしまうことが多い。メニュー豊富な日替わり定食のほうが結果的に多彩な食事を楽しめるかもしれない。