じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日の日記で、8月30日の日照時間が8.6時間となり、8月最長になったと書いたところであるが、8月31日はこれを上回る8.8時間となった。けっきょく8月全体の日照時間合計は78.6時間であり、この2日間がその22%を占めた。平年値は207.0時間。
 もっとも、前線の北側の高気圧に覆われたため、晴れた割には最高気温は29.4℃どまりで30℃を下回った。
 写真は、晴天のもと、はやくも萎れ気味な百日草。



2014年8月31日(日)

【思ったこと】
140831(日)2014年版・高齢者の心と行動(13)

 高齢者施設でレジャーを実現する環境を整えても、必ずしも楽しんでいただけない場合があります。あくまで私自身が調べた範囲からの類推ですが、以下のような原因が考えられます。
  1. 好子の取り違え:スタッフさんにとってはいくら楽しい出来事であっても、当事者の好子にはなっていなかった。
  2. 人生の終活としては無駄な時間。遊んでいるヒマがあったら、自分の人生を静かに振り返り総括したい。
  3. 社会貢献の欠如。自分だけが楽しむのは気がとがめる。家族や親族、地域、社会のためにお役に立つことが生きがい。

 このうち1.は、集団イベントではありがちなことです。スタッフさんが楽しいと思うような歌や踊りやゲームが、利用者さんから見れば「こんなことまでやらされている」と迷惑に感じられていることもあります。これは、個々人に対する事前のAssessmentが不十分であることに起因しています。

 もっとも、好子というのは固定的ではなく、常に創り出されていくものです。例えば、「園芸には興味がある」、「タブレット端末に全く興味が無い」という方が、草花の写真をタブレットで撮影してアルバムを作ることに熱中するということはあり得ます。要するに、その人にとってすでに好子となっているモノや出来事だけに固定するのではなく、新しいものとの連携や複合をはかることで、好子の質や量を増やせるという可能性があります。もちろん、そういった好子は、能動的な行動の結果として獲得・達成されることが肝要であり、ただ単にプレゼントするというような形では生きがいにはなりません。

 次に2.ですが、人生を振り返ったり、終活に関心のある方に対しては、対応が可能な限り、そちらを優先するべきだと思います。大切な物の整理、遺言、墓参り、自分のお葬式のスタイルなどです。あくまで個人的な考えですが、「死」を禁句にして、「死」について語ることを一蹴してしまうのような風潮はよろしくないと私は思っています。今をしっかりと生きるためには、「死」についてしっかりとした考えを持つことが必要です。といっても、死をpositiveに考えるのか(「天国へ行く」)、negativeなものとして恐れるのか、ゼロ状態以外の何物でもないと考えるのか、は人それぞれで大きく異なっており、お寺や教会のように、みなが同じ考えで集まってくる場でないと、なかなか話題にできないという問題はあります。

 ちなみに私自身は何年か前より、自分のライフスタイルを「活動の束」として捉えるという考えに至っています。【参考記事はこちら】。

この考えで生きていく限りは、挫折というのは活動の束の1本を終了させるという程度の出来事にとどまるため、人生全体が大打撃を受けることはありません。しかし、あくまで束の集合体ですので、端から見ると一貫性に欠けるように思われるかもしれません(「一筋の道」人生ではないということです)。なお最近、BS朝日の「熱中世代 大人のランキング」という番組に、『自分の壁』で話題の養老孟司先生が出演されていました。『自分の壁』は、
「自分探し」なんてムダなこと。「本当の自分」を探すよりも、「本物の自信」を育てたほうがいい。脳、人生、医療、死、情報、仕事など、あらゆるテーマについて、頭の中にある「壁」を超えたときに、新たな思考の次元が見えてくる。「自分とは地図の中の矢印である」「自分以外の存在を意識せよ」「仕事とは厄介な状況ごと背負うこと
というような趣旨ですが、私もそれに近い考えを持っていたため、目からウロコの指摘というよりも、私が漠然と考えていたことがそのまま本になった、という印象を持ちました。


次回に続く。