じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 土曜日の午後、少し早い時間から大相撲中継を視ていて、十両に、逸ノ城という、とてつもなく強そうな力士が活躍していることを初めて知った。リンク先のウィキペディア当該項目から要約させていただくと、
  • モンゴル国アルハンガイ県バットツェンゲル郡出身(遊牧民)で、湊部屋所属の現役大相撲力士。本名はアルタンホヤグ・イチンノロブ。身長190cm、体重183kg。最高位は西十両3枚目(2014年7月場所)。 、2013年に全日本実業団相撲選手権大会で優勝して実業団横綱となったことで、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得。
  • 生年月日 1993年4月7日(21歳)
  • 2010年に鳥取城北高校相撲部監督の石浦外喜義に才能を見出されて来日し、同高校に相撲留学した。2年次、3年次に合計5つのタイトルを獲得。
  • 2013年に全日本実業団相撲選手権大会で優勝して実業団横綱となったことで、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得。その後湊部屋に入門。
  • 新弟子検査に合格した直後の2013年11月場所は興行ビザが発給されていないため出場できなかったが、12月2日付でビザが発給され、同月20日には相撲協会の理事会で幕下付出が承認されたことから、2014年1月場所で初土俵を踏んだ。
  • 新十両の2014年5月場所は、11勝4敗で4人による優勝決定トーナメントに進出し、新十両優勝を果たした。

 ということで、今後、怪我などの事故が無ければ、白鵬の次の時代を担う大横綱になりそうな気配。

 さて、逸ノ城はモンゴル国アルハンガイ県バットツェンゲル郡出身で、遊牧民出身としては初ということであった。2007年8月にモンゴル・北部大草原オーバーランドの旅行をした時、バットツェンゲル郡(Battsengel、こちらの地図の8月16日から17日の間のルート)を通過したことがあった。おそらく写真のような大草原でたくましく成長されたものと推測される。



2014年7月19日(土)

【思ったこと】
140719(土)長谷川版「行動分析学入門」第13回(9)人間と社会に関する諸問題(9)外国語学習のコツ

 外国語学習に関しては、10年ほど前に、

「英語が使える日本人」再考 岡山大学文学部紀要, 38, 41-76.(2002年12月)

という小論を発表したことがあります。私の基本的な考え方はその後も変わっておりませんが、この10年余りのあいだにいくつかの大きな変化がありました。

 まず、私の勤め先である岡山大学では、グローバル人材育成院が設置され、一定レベルの英語力を備えた学生に対して、エリート養成コースが開設されるようになりました。また、文科省のほうでもグローバル人材育成推進事業が強化され、直近では平成26年度「スーパーグローバル大学創成支援」が公募されたようです。この事業の目的は
若い世代の「内向き志向」を克服し、国際的な産業競争力の向上や国と国の絆の強化の基盤として、グローバルな舞台に積極的に挑戦し活躍できる人材の育成を図るため、大学教育のグローバル化のための体制整備を推進する。
となっています。

 なお、念のためお断りしておきますが、グローバル人材養成というのは、必ずしも、「英語が使える日本人の養成」ということではありません。岡山大学がめざす「グローバル人材」の場合は、
  1. 高度な外国語力とコミュニケーション力
  2. グローバルな社会を牽引する気概
  3. グローバルな社会変動の実態を洞察する力
  4. 地域文化・日本文化に対する深い理解とアイデンティティー
  5. 固有分野における高度な専門知識
をめざしており、単なる外国語力だけでなく、リーダーシップや洞察力、専門知識、さらには、地域文化や日本文化に対する深い理解やアイデンティティーも重視されています。

 そういう現状もありますので、私自身は、大学の中では、「英語が使える日本人」再考、特に、「ニホン英語」に関する主張は殆ど口にしていません。

 このほか、この10年余りで変化したこととしては、インターネットの普及が挙げられます。世間では未だに、高額な英語教材の宣伝が行われているようですが、別段お金を払わなくても、ネット上で、いくらでもナマの英語に接することができるようになりました。例えば、TEDのプレゼンテーションにアクセスすれば、ナマのスピーチのほか、英語原稿や【しばしば機械翻訳的な誤訳もありますが】日本語の訳も閲覧することができます。このほか、私は全く利用していませんが、YouTubeなどの動画サイトや、種々のブログ、つぶやきサイトを通じて、英語でコミュニケーションができるようになりました。そういう点では、英語を学びやすい環境が整ってきたことは確かであると言ってよいかと思います。

 もっとも、そのわりには、いまの大学生の英語力が向上したという実感はありません。「英語が使える日本人」再考の中で強調した、
  • 間違いを罰するような教育システムの弊害
  • 日本人はなぜ英語ができないのか
は、やはり正しかったと思わざるを得ません。

 ここで、英語学習に関する私の持論をまとめておきますと、以下のようになります。
  1. 英語を自発する機会が保証されていることが必要。
  2. 自発された英語が正しかった場合と誤りがあった場合それぞれにおいて、適切なフィードバックがなされること。
  3. 英語学習の成果が直ちに利用できること。
  4. 英語学習の上達の度合いに応じた達成感が得られること。
  5. 言語行動の根本や、英語と日本語の認識の仕方の違いについてもっと学ぶこと。闇雲に学習するよりもそのほうが効率的。
  6. 大学において、英語の達人を養成することは必要だが、国民全員を「英語が使える日本人」にする必要は必ずしもないし、そもそも不可能。但し、コミュニケーションツールとしての英語レベルであれば、一般人にも習得可能であり、その際にはある程度の「自信」と、「察知」、「双方向」がカギ
学校での英語学習の時間をいくら増やしても、学校以外の場所で英語を使う機会が無ければ上達するはずがありません。また、単語のスペルや文法の間違いを正すことばかりを重視すると英語を使う行動自体が弱化されてしまう恐れがあります。

 ま、ネガティブなこともいろいろ書きましたが、悲観的に捉えるほどのことはないと思います。オリンピック東京招致のプレゼンを拝見していると、けっこうやれそうだなあという気もしています。

次回に続く