じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 農学部農場のエンドウ畑。半田山の新緑も美しい。


2014年4月22日(火)

【思ったこと】
140422(火)長谷川版「行動分析学入門」第3回(1)環境への適応方略としての行動(1)

 今回から第3回の内容に入ります。

 第3回以降では、これまで述べた「行動の定義」や「刺激の定義」に基づいて、行動の予測や制御を目ざします。より具体的には、個体と環境の相互作用を第三者が観察し【セルフモニタリングもあります】、行動の予測や自己管理、弱者支援に活用し、さらに、より望ましい制度設計や人生計画に役立てようというのが行動分析学の主たる課題ということになります。

 その前に、根本的な問いを1つ。そもそも、人間や動物はなぜ行動するのでしょうか?

 第1回目で述べたように、行動分析学は、行動の根本原因ではなく、行動が増えたり、減ったり、質的に変化していく原因をさぐる学問ですので、上記の根本的な問いには答えるには別のレベルで考える必要があります。

 いくつかの宗教であれば、神様が創ったからと答えるかもしれませんし、「我思う、ゆえに我あり」というデカルトの命題を拡張して、「行動する、ゆえに動物あり」と考える哲学者も居るかもしれません。

 いずれにせよこれは、「行動が増えたり、減ったり、質的に変化していく原因をさぐる」こととは異なるレベルの問いですので、皆が必ずしも同じ考えを持つ必要はありません。そのことをお断りした上で私自身の考えを述べると以下のようになります。

 まず、その根本は、地球上での生物がどのように環境に適応し、生き残り、繁殖していったのかという点にあります。偶然的な要因(運がいい)も大きく左右しますが、基本的には、環境の変化に適応する機能を備えた生物が結果として生き残ったと考えられます。

 ここで少し脱線しますが、いま、文学部(文法経一号館)の西側出入口の空き地にキンギョソウが綺麗に咲いています。他に、ラムズイヤームラサキバレンギクも育っています。先日の昼休み、その場で雑草を抜いていたところ、通りすがりの方から、「どういう肥料をやっているのですか。私も自宅で植えているのですが、このように立派には育ちません。」と尋ねられました。しかし、あの場所にキンギョソウを植えたり、肥料を与えたり、灌水をしたりしたことは私は一度もありません。別の方がそういう世話をされているという話も聞いていません。私がやったことは、別の花壇で大量に採取したキンギョソウ等の種を空き地にばらまいたことと、繁殖しやすい雑草(カラスノエンドウ、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、キュウリグサなど)を適宜抜き取っていることだけです。その通りすがりの方にお答えしたのは、「この場所に咲いている植物は、この場所の日当たりや土壌、湿気などに適応し、結果として生き残った品種です。この場所はがれきの多い荒れ地なので、種をばらまいても99%は育ちません。運良く根を張ることのできた株だけが生き残って花を咲かせていますので、元気の育っているように見えているだけです」とお答えしました。

 岡大西門を入って西側にある花壇にはテンニンギクが大量に生えていますが、あれはもともと、2002年、文化科学系総合研究棟が完成した当時、園芸業者さんの手で混色されたテンニンギク、ガザニア、アイスランドポピー、カワラナデシコの中の生き残りです。同じく、文法経講義棟・西棟の南、ヒイラギモクセイの下にはオキザリス【写真右】が一面に生えています。あれも、20年ほど前にガザニアなどとともに植えられた何種類かの園芸植物の中で、乾燥や夏の暑さ、病害虫などに耐えて結果として生き残った品種です。

 不定期ながら次回に続く。