じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 日曜日の朝、室内のどこかから蚊の羽音よりさらに弱々しいレベルでFAX送信時のような音が鳴り続けた。音というのは普通は、両耳の聞こえ方の違いや、近づくほど大きくなるという特徴があるので、簡単に発生源の位置を見つけることができるのだが、今回は、あまりにもかすかな音であったため、どちらを向いても、室内のいろいろな場所に立ってみても大きさが変わることはなかった。ひょっとして、別の階でFAXを使っているためかと思ったほどである。

 しかし数時間後、妻がやっと発生源を見つけ出した。奇怪な音を出していた犯人は写真のような誕生祝いメロディカードであった。妻が何年か前に186円で購入したものであったが、他のカードと一緒に積み重なっているうちに、スイッチや電源部分が長時間の接触状態となり、ごくわずかの音を出し続けたものであると分かった。

 その後、科学少年だった55年前に戻って、このカードの中身を調べてみた。構造はきわめてシンプル。接触不良部分を直したら元通りにメロディが流れるようになった。



2014年3月3日(月)

【思ったこと】
140303(月)高齢者施設でゲームは必要か?

 一週間前になるが、大阪でダイバージョナルセラピーワーカー(DTW)のプレゼンテーション(主としてダイバージョナルセラピーの取り組みの事例報告)が開催された。朝から夕刻まで、発表件数は21件という盛りだくさんな内容であった。

 通常の学会年次大会とは異なりクローズドな発表会なので、発表の具体的内容についてのコメントはこの場では差し控えさせていただくが、複数の施設で、施設の方針として、ゲームを行わない方針であるという興味深いお話を伺った。

 ここでいうゲームというのはおそらく、集団で行う(狭義の)ゲームのことを言うのではないかと思われる。利用者さんが個別に将棋や麻雀を楽しむとか、パズルを楽しむといったことは別段禁止されていないはず。季節の行事(餅つき、お花見、そうめん流し、七夕、クリスマス会など)については、施設内の飾り付け程度はするが、施設職員が企画するような積極的なイベントは行われていない模様であった。

 ではなぜゲームをしないのかということになるが、伺った限りでは、「入居型の高齢者施設というのは生活の場である。私たちは、ふだん、ゲームばかりで遊んでいるわけではない。もっと、基本的な生活を大切にするべきだ。」といった理由によるものらしい。このほか、現実的な問題として、
  • ゲームのイベントを企画しても、参加しない人(ゲームが嫌いな人、あるいは、心身上の理由で参加が困難な人)が出てくる。スタッフがゲームのために時間を投じることは、参加者と不参加者の待遇に不公平感を与える。
  • ゲームには好みがあるため、特定の人たちの要望を採用すると、それを好まない別の人たちの要望を無視したことになる。
  • スタッフの人員や労働時間からみて、日常生活のお世話をするのが精一杯。
といった理由があるようだ。

 いっぽう、最近いろいろな形で紹介されているように、認知症の予防や進行防止、あるいは、心身機能の維持に役立つようなゲームを積極的に取り入れていこうという施設もある。じっさい、うまくゲームを取り入れることで、利用者さんの深夜の徘徊や不穏、不安、暴言などが減少する事例もあり、総合的にみると、適切なゲームを適度に導入することは、利用者さんご自身はもとより、スタッフ側の負担やストレス軽減にも有用であるように思える。

 もちろん、ゲーム参加は強制であってはならない。周囲の人々に役立つことを喜びとしてきた方にとっては、自分だけが楽しむようなゲームは時間の無駄というようにも受け取られかねない。この場合は、奉仕的な活動の場(公園のお掃除、花壇づくり、園児との交流など)をつくり、それに参加してもらうべきだろう。

 また、信心深いお年寄りにとっては、ゲームで遊んでいるヒマがあったら、少しでもお祈り(宗教、宗派により、念仏あるいはお題目を唱える、瞑想する、日々お参りをするなど様式は異なる)の時間を増やしたいと思っておられるかもしれない。その場合は個性を尊重し、その方の望む行動機会を可能にして、サポートするべきだと思う。