じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2月8日の大雪のあと岡大構内に出現した雪のモニュメント。単なる雪だるまではなく、ユニークな造形を楽しむ傾向があるようだ。なお、詳細なアルバムをこちらに掲載中。
  • A:農学部
  • B:国際交流会館東
  • C:大学会館南西
  • D:一般教育棟南
  • E:文学部中庭の雪文字
  • F:ピーチユニオン東
  • G:陸上競技場グラウンド
  • H:陸上競技場グラウンド
  • I:陸上競技場グラウンド



2014年2月10日(月)



【小さな話題】

スポーツ競技における絶対評価と相対評価

 ソチオリンピックが始まり、連日、各競技の様子が伝えられている。
 オリンピックのメダル争いは基本的には競技成績の相対比較であるが、細かく見ていくと、
  1. 絶対比較に限りなく近いもの。「世界新記録樹立」というような形で過去の大会の選手との比較も可能。夏のオリンピックで言えば、100メートル競走、走り幅跳び、走り高跳びなど。
  2. 気象条件や、競技場の設計によって左右されるが、ある程度の絶対的測定が可能なもの。スケートなどのスピード競技。
  3. 絶対的測定のほか、審査員による評価がある程度反映するもの。スキーのジャンプなど。
  4. 審査員による評価がかなり反映するもの。フィギュアスケートなど。但し最近では、審査の透明性が重視されているようだ。
  5. 対戦型の競技。相手がいなければ競技が成立しない。
 それぞれの競技にどの程度興味を持つのかは人それぞれであるかと思うが、私の場合は、できるだけ絶対評価だけで勝敗が決まるものが好みである。冬季五輪以外で言えば、マラソンや駅伝などの陸上競技である。

 もちろんどんなに絶対評価が可能であっても、出場選手の中でのメダル争いは相対評価とならざるをえない。たまたまその時に有力なライバルがいなければ金メダルをとりやすいし、どんなに努力しても、たまたまもっと強いライバルが3人以上いればメダルには手が届かない。自分の努力の成果に対する評価が他者の存在によって左右されるというのは、少々気の毒なような気もする。

 いっぽう、対戦型のスポーツの場合は、特定の個人やチームを応援する立場の人であれば上記と同じ「他者の存在によって左右される」という問題が出てくる。しかし、何も贔屓せずに、純粋に観戦を楽しむという場合は、できる限り強い個人やチームどうしでないと面白くない。大相撲などまさにそうだが、いくら横綱が強くても、ライバル不在では楽しみがなくなる。