じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 土曜日、岡大敷地内喫煙ゼロをめざす安全衛生委員活動の一環として講義棟周辺を巡回したところ、「国際地理オリンピック」選抜大会のポスターが貼られてあることに気づいた。そうか、そんなオリンピックもあるのかと思って検索したところ、ウィキペディアに以下のような説明があることが分かった。
他の科学オリンピックと違い、試験はすべて英語で出題されるのが特徴である(引率教員等による母国語訳は認めない。ただし、辞書等の持ち込みは自由)。地図や図表を使った論述問題、マルチメディア(景観写真を見て選択肢を選ぶ)、フィールドワーク(制限時間内に、街を歩き、決められた設問に答える)は、全て英語で解答する必要がある。「上手い英文」を書くよりも、ポイントを押さえた論理的な文章を書く必要がある。参加者によるアクティビテイが充実しており、選手同士の交流も非常に盛んである。
 となると、地理の知識のほかかなりの英語力が求めるようにも思える。
 国内予選問題の過去問世界大会の過去問も掲載されていた。論述問題は苦手だが、海外旅行経験豊富?ということもあって、この写真はどこの都市か?といった問題は私でもほぼ正解できた。


2014年1月12日(日)

【思ったこと】
140112(日)100分 de 幸福論(7)『精神現象学』(4)承認と強化

 昨日の日記で、「承認欲求」よりも承認に関わる「好子出現の随伴性」もしくは「好子消失阻止の随伴性」が行動を強化しているのではないか、さらに「承認欲求は先天的な欲求ではなくて、対人関係を学習する過程で育まれる後天的な欲求である可能性が高い。」という記述は「承認に関係する好子は、対人接触の中で学習される習得性好子が大部分を占める」に置き換えられるではないかと述べた。

 ここでもう1つ、1月10日に述べた「4.人間による承認が必要なのか? 」に関して付け加えておくことにしたい。もちろん、承認という言葉には「他者からの」が含まれており、人間以外からの承認されるというのは単なる擬人的表現に過ぎないとも言える。しかし、人は、植物や人間以外の動物からも承認され、それによって強化されることもあり得るのではないかという気もする。例えば、たくさんの植物を育てている人にとっては、植物の世話をすることは美しい花が咲くことで「承認」される。また、ペットに囲まれて生活することに喜びを感じている人にとっては、ペットに慕われることが他者からの「承認」以上の価値を持つかもしれない。

 もちろん、平和な互助互恵社会を築くという観点から言えば、人間同士の相互承認は大切にしたほうがいいには決まっているが、だからといって、それが最良の幸福をもたらすという保証はない。だいいち、現実社会には、自分のために他人を利用しようという人も少なくない。他者からの承認に喜びを感じるのは、もしかしたら騙されているだけ、あるいは、うわべだけの感謝をされているだけかもしれない。そうなってくると、人間よりもペットのほうがよっぽど、ウソ偽りの無い承認を与えてくれるようにも思えてくる【←もちろん動物であっても本当のところは、飼い主を慕っているのではなくて飼い主を利用しているだけかもしれないが。おそらく飼い猫などはそうだろう。】

 他者からの承認に支えられて生きるためには、他者との関係を良好に維持する必要がある。時にはご機嫌取りも必要で、これは結構煩わしいことだ。また、歳をとれば、親切にしてくれた仲間が先に死ぬこともある。家族や友人が多ければ多いほど、死別の悲しみも大きい。

 上掲では、人間以外からの承認の可能性として植物の世話の例も挙げているが、植物の場合は、1年草であれば枯れて当たり前、それほどの腐れ縁もないので、安心して関われる可能性がある。

 けっきょく、何らかの努力をすれば、努力の質と量に応じて結果が伴うようになる。それらは累積すれば大きな成果になる。そのことによる好子出現の随伴性こそが生きがいの本質なのであって、承認はその一部ではあるが、必要条件ではないというのが私の考え。

 あと、他者から与えられる承認を「好子出現の随伴性」として捉えた場合の検討課題として、
  1. 他者から与えられること自体に意義があるのか?→付加的強化随伴性
  2. 他者からの感謝、承諾などの内容に意義があるのか→社会的好子
を区別する必要がある。

 要するに、前者は強化の随伴性のタイプの違い、後者は、好子の質の違いであって全く別物である。例えば、感謝のしるしにお菓子を頂いたとする。この場合、お菓子自体は「生得性好子(甘味があるという点で)+習得性好子(好みの違い)」ではあるが、社会的好子ではない。好きなお菓子であるなら自分で購入することもできる。但し、他者から与えられるということであれば、付加的な随伴性ということになる。いっぽう、感謝や承諾などは、第三者が存在しなければ決して出現することのない好子である。また、その場合、第三者が自然に示す笑顔のようなものもあれば、行動改善のために計画的に付与する賞賛のようなものもある。一般論として、付加的な随伴性は、しばしば、うわべだけのお世辞、機嫌取りに陥りやすい。いっぽう、真の協力、協同関係のもとで何かを遂行している時は、その作業がうまく進むこと自体が承認になりうるので、いちいちお礼をする必要はなくなる。

次回に続く。