じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 昨日に続いて北九州の廃屋の写真。建物全体は5年前とあまり変わっていないように見えるが、細かい部分を比較すると、壁がはがれるなど確実に崩壊を続けていることが分かる。なお、写真下のタイプの家は、昭和30年代には、私が生まれ育った東京・世田谷でもよく見かける造りであり、懐かしさをおぼえる。


2014年1月6日(月)

【思ったこと】
140106(月)100分 de 幸福論(3)『好色一代女』/The riddle of experience vs. memory.

 昨日の続き。文学部門では、『好色一代男』のほかにもう1冊、『好色一代女』が紹介された。もっとも、こちらのほうは、好色に満ち足りた幸せな人生というよりも、いったん登り詰めたあとでしだいに落ちぶれていく遍歴を描いた作品のほうに思えた。 しかし番組の中では、
  • 普通に結婚して家に拘束される人生に比べると、そこから解放されることで幸福のレベルが上がった可能性はある。
  • 自分の自由をトコトン追求した。
  • 転落人生ではあるが、経験を積むことによるその人独自の境地、悟りは幸福に近いもの。
  • 幸せとは、断念ののちの悟りである。
といった点で、幸福論に繋がるというようにまとめられた。この好色一代女は30種類ほどの職業を遍歴したが、当時、女性ができる職業選択の幅は、ファッション系接待業、愛人稼業に限られていることも指摘された。

 番組では、この好色一代女が幸せであったかどうかという議論もあった。このことで思い出すのが、カーネマンのTEDトークである。

Daniel Kahneman (2010). The riddle of experience vs. memory.

 2012年12月7日の日記にも引用したように、Kahneman (2010)は、「Happiness」という1つの言葉でいろいろなことを語りすぎることに警鐘をならしている。【日本語訳はリンク先からダウンロードできるスクリプトによる】
Everybody would like to make people happier. But in spite of all this flood of work, there are several cognitive traps that sort of make it almost impossible to think straight about happiness.
皆に幸福になってもらいたいことがわかります しかし そのような努力があるにも関わらず 幸福について 明瞭に考えることを ほぼ不可能にしてしまう認知の罠が 幾つかあります

...The first of these traps is a reluctance to admit complexity. It turns out that the word "happiness" is just not a useful word anymore, because we apply it to too many different things. I think there is one particular meaning to which we might restrict it, but by and large, this is something that we'll have to give up and we'll have to adopt the more complicated view of what well-being is. The second trap is a confusion between experience and memory; basically, it's between being happy in your life, and being happy about your life or happy with your life. And those are two very different concepts, and they're both lumped in the notion of happiness. And the third is the focusing illusion, and it's the unfortunate fact that we can't think about any circumstance that affects well-being without distorting its importance. I mean, this is a real cognitive trap. There's just no way of getting it right.
...罠の一つは 複雑さを認めることへの抵抗感にあります。 幸福という言葉は もはや役立つ言葉ではない― という事が明らかになりました この言葉を様々な事に あてはめすぎるからです この言葉には 特定の意味合いがありますが 概して 狭い意味に 限定することは諦めて 幸福な状態とは何か もっと複雑な見方を しなくてはいけないのです 二つめの罠は 体験と記憶を混同してしまうことです 生活の中で見いだす幸福と 自分の人生の幸福度合い この違いです、 この二つは非常に異なる概念ですが どちらも幸福という一つの観念にまとめられがちです 三つめは錯覚に焦点を置くこと 幸福の状態を左右する状況を ゆがめて考えてしまうのは 残念なことです これは まさに認知の罠です 正確に理解する方法が無いのです
 要するに、心理学の諸研究に基づいて幸福を議論する場合、幸福な過ごし方の内容についての議論【being happy in your life】と、過去の一定期間がどの程度幸福であったのかを評価すること【being happy about your life or happy with your life】は区別されなければならないということである。上掲の好色一代女が幸せであったかどうかという議論は、後者、すなわち、過去の一定期間についての評価に関する議論である。

 以上述べたことにも関連するが、どのくらいの長さのスパンで議論するか、という点も重要である。番組の冒頭のほうで伊集院さんが、

幸せというのは、ご飯が美味しいということ。いくら美味しいご飯でも、きのうおとといのヤツよりちょっと美味しくなかったら幸せじゃないし、明日にすごい不安を抱えていたり、家族が病気なら美味しくない。

と述べておられたが、この場合の幸せというのは、いまの状態についての評価。但し、きのうおとといと比較したり、明日の不安が結びついているという点では、前後合わせて3日間を含むスパンの中での議論ということになる。幸せな状態が長く続くことに越したことはないが、人はみな死ぬ以上、人生全体の幸せを考えるとなれば、死ぬときの苦痛や死によってすべてが失われることにどう向かい合うかという問題を併せて考えなければならない。宗教の存在理由の1つはそういうところにある。いっぽう、後悔しても始まらない、先のことはくよくよするな、というように、あえて時間的スパンを「いまを生きる」に限って前向きに生きようとする考え方もある。

次回に続く。