じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 2013年度版岡山大学構内の紅葉(11)図書館横の桜と半田山の紅葉
 図書館西側の桜(サトザクラ系)は図書館の新館が竣工した時に植えられたと記憶しているが、春の花も秋の紅葉も年々見事になってきた。11月6日にも同じアングルからの写真があるが、その時と比べると半田山の紅葉のほうがいちだんと進んでいる。


2013年11月27日(水)

【思ったこと】
131127(水)個人主義的人生の必要条件(2)

 昨日の続き。

 この時期にこの話題を取り上げたのは、高齢者施設のお年寄りのQOLについて考えるところがあったためである。高齢者施設では、少しでも利用者さんに楽しんでもらえるよう様々なイベントを企画しているが、そんなものあほらしいといって参加を拒む方も少なくない。通常、そういう方は「人付き合いを好まない方」というように分類されてしまう。

 よく話を伺ってみると、そんなものあほらしいと判断されるのは、決して、そのイベントの工夫が足りないからではない。楽しかろうとつまらなかろうと、とにかく、個人的な楽しみを得るだけの遊びに過ぎず、何1つ、世間の役に立っていないことが、根本的に「あほらしい」理由になっているようにも思われる。

 いまの高齢者世代では、自分一人のためだけの個人主義的生き方よりも、家族のため、会社のために頑張ってきた人が少なくない。そういう方々は、体が動くうちは、生涯現役を貫いたり、町内会とか民生委員といった役回りで活躍することに生きがいを感じておられた。それが、何らかの病気や加齢によって困難となり、やむなく介護施設に入居するようになる。しかし、これから先は、個人主義者になりなさい、御自身の楽しみを追求しなさいと勧めても、そんなに簡単に価値観を変えることはできない。いくら「目的をもった遊び」が大切だと説いても、遊んでいるヒマがあったら道端の草取りでもしたほうがよっぽど有意義だと思っておられるかもしれない。

 こういうケースではどうすればよいのか。まずは、それぞれのお年寄りの価値観を最大限に尊重し、最期まで世のため人のために尽くすことが生きがいになるという方については、その方の身体的・精神的状況を配慮したうえで、可能な社会奉仕作業を可能な限り見つけてきて、それに従事していただけるようサポートすることが必要ではないかと思う。

 いっぽう、世のため人のためという考えを捨てて御自身の楽しみに熱中していただくためには、個人主義的な理論武装も必要になってくる。その説得対策としては、
  1. 若い時は世のため、人のために日夜頑張ってこられたのだから、ここらでそろそろ、今までできなかった個人的な楽しみに興じていただいてもよいのでは?
    →人生は社会奉仕期間(若い時)と個人主義期間(定年退職後)から構成されるものだと見なし、両期間のバランスをとることが望ましいという考え方
  2. 人は生まれた時から本質的に個人主義的であり、自分のためだけに楽しんだとしても何ら人の道から外れるものではないという、本質主義的な考え方
  3. 将来ふたたび元気になるための手段として、遊び感覚でリハビリに取り組むという、手段論。
などが考えられる。

不定期で次回に続く。