じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2013年度版岡山大学構内の紅葉(5)
  • 写真左上:カイノキの紅葉と耐震改修工事中の時計台
  • 写真左下:時計台前のアメリカフウと桜の紅葉と文学部
  • 写真右:岡大・東西通りのハナミズキの紅葉。




2013年11月9日(土)

【思ったこと】
131109(土)第6回日本園芸療法学会広島大会(11)浅野理事長の教育講演(4)継続の理由

 昨日の日記で「時間性」を取り上げた。時間性は音楽にもあるが、音楽の場合の時間が「コマ(場面)」や「間」であるのに対して、園芸の場合は「流れ」すなわち「継続」ということにあると論じられた。また、継続ができる理由としては、
  1. 小さくかよわい植物を守り育てるという行為により、ヒトの本能が触発される
  2. 育つ変化が視覚化でき興味が沸き立つ
  3. 開花や収穫といった終了あるいは完了のターム(期間)がありわかりやすい。
が挙げられていた。

 これらの点について特に異論はないが、1.に関しては、植物は「守り育てる」対象であると同時に、「勝手に育つ」という特徴も併せ持っている点に留意する必要があるように思う。以前、NHKの「あの人に会いたい」という番組で、社会学者の鶴見和子さんが、夏越しに成功したシクラメンの鉢花をそばに置いて、再生の力を語っておられたが【2010年1月28日の楽天版参照】、我々はしばしば、植物の生命力、復活力に元気づけられるものである。
 もちろん、「育てる」という関与の度合いは、洋蘭などの温室植物の場合と、庭の樹木の場合と、あまり手のかからないサボテンの場合では異なる。以前、松尾先生が何かの講演の時に、サボテンは変化が少ないので園芸の対象になりにくいというようなことをおっしゃっていたと記憶しているが、知らぬ間に育つそのサボテンであっても、一年に一度、美しい花を咲かせた時には我々を元気づけてくれるものだ。

 このほか、よく、ペットを飼うことと園芸が比較されるが、上記3.にも挙げられているように、ペットの死と異なり、一年草の植物が時期を終えて枯れることについては、それを嘆き悲しむ園芸愛好者はまず居るまい。一年草や二年草の植物を育てるということは、一代限りの株を大事に育てるということだけでなく、その種を収穫して翌年の発芽に繋げるという、何代にもわたる関わりを意味しているのである。もちろん、これとは別に、特定の樹木が、愛着、敬愛、時には信仰の対象になることもある。

 また、日本の気候の場合には、開花や収穫のタームはそのまま季節の移ろいを反映する。そして、植物を通して知る四季の変化を人生そのものに結び付けることができる点も忘れてはなるまい。

 次回に続く。