じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 大学構内で見かけたキノコ。9月9日から11日の変化をみると、胞子がいっぱい吹き出しているので「ムラサキホコリタケ」と思われるが、あまり紫色になっていないので「キクメタケ」の可能性もあり。


2013年09月11日(水)

【思ったこと】
130911(水)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(16)選択と後悔(10)銀メダリストが銅メダリストより後悔する理由/ニアミスがもたらす後悔とその対処

 今回は、第七章で「後悔をもたらす第二の要因」として挙げられているニアミス(Near Misses)について考えてみたい。挙げられている例としては、
リムジンバスが渋滞に巻き込まれたため、出発予定時刻より30分遅れて空港に到着した。Crane氏の乗ろうとしていた便は、30分前、定時に出発していたと告げられた。いっぽう、Tees氏の乗ろうとしていた便も、出発予定時刻はCrane氏の便と同じであったが、出発が遅れて、バスが到着するわずか5分前に出発していたと告げられた。2人のうちどちらのほうが動揺する(upset)と思うか?
であった。これに対しては回答者の96%が、Tees氏のほうが動揺するだろうと答えた。

 上述の例は、いっけん、選択がもたらす後悔とは無関係の話題のように思われる。なぜなら、渋滞による遅延は、乗客にはどうしようもない出来事だからである。しかし、遅刻がニアミスであればあるほど、つまり、あとちょっとで間に合っていたというような場合は、「途中で何か別の選択をしていれば間に合ったのに」という後悔がおこる可能性がある。例えば、「リムジンバスに行く前にトイレに寄っていなかったらば1台早いバスに乗れたかもしれない」とか、「リムジンバスで前のほうの席に座っていたら早くバスを降りて間に合ったかもしれない」、「バスのトランクに荷物を預けなければ間に合ったかもしれない」などなど。要するに、ニアミスの場合には、それを防ぐ能動的な行動があったはずだという思いがいろいろ浮かんでくる(その行動をするかしないかという選択機会が想起される)。ニアミスでない場合は、あの時何かをやっていてもムダだったということで後悔も起こらない。

 第七章ではもう1つ、オリンピックの銀メダリストと銅メダリストのどちらが結果に満足していると思うか?という話題も取り上げられていた。常識的に考えれば2位のほうが3位より良いに決まっている。しかし、銀メダリストの場合は、あとちょっとで金メダルが取れたことを後悔するので、あまり幸せになれない。いっぽう、銅メダリストは、「あとちょっとで金メダル」よりも、「もうちょっと悪ければメダルを取れなかったのでラッキー」というように、下位のほうとのニアミスを考える。なお、この事例は、Medvec, Madley,& Filvovich (1995)【JPSP, 69, 603-610.】の研究からの引用となっている。

 以上の事例が示すように、「ニアミスがもたらす後悔」といっても「ニアミス」自体が後悔を引き起こすのではない。「ニアミス」であればあるほど、それを防ぐ能動的な対処行動が存在しており、だからこそ「行動しなかったことへの後悔」が生まれるのである。

 このWeb日記で何度か、米長邦雄氏の『将棋に勝因はない。あるのはすべて敗因です。人生でもそうじゃないかな』や、野村克也氏の『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』を引用させていただいたことがあるが、勝つために必要な要因は複合的であり、いろいろな原因がすべてうまくいく方向に働いた時に「勝ち」という結果が生まれる。その勝因の中には、明確に当人の努力の成果に帰するべきものもあるし、周囲の人たちのサポートに帰するべきものもあるが、それだけでOKなら、勝率は100%になるはずだ。実際にはそれに加えて、当人が気づかない(言語化して挙げることができない)原因も多数あるし、当人にはコントロールできない偶発的要因も多数あり、それらがすべて揃った時(変動が下限を越えて安定した時)に勝利という結果が生まれるのである。いっぽう、負けるというのは、勝つために必要な諸要因のうちのいくつかが欠けていた時のことをいう。「もう少しで勝てた」というニアミスであればあるほど、欠けていた要因が何であるかは同定しやすくなる。それがまさに「負けに不思議の負けなし」ということであろう。

 もっとも、ニアミスの具体的原因だけにこだわってしまうと、次の機会にはまたまた別のところで失敗が起こってしまう。優秀な監督やスポーツ選手はそのあたりをちゃんと心得ていて、野球である外野手がフライを捕り損ねてサヨナラ負けを期した場合でも、敗因をその外野手個人のミスには帰属させない。「フライを捕り損ねた」というのは、外野手全体の捕球の練習が足りなかったからであり、1選手のミスは、確率現象の中でたまたま現実に生じた一例であるというように考える。ミスをした選手をいくら責めても、次の試合では別の選手が同様のミスを起こすだけになる。いっぽう、チーム全体における確率現象ととらえて対処すれば、次の試合では選手全体のミス発生の確率を下げることにつながる。

 というように考えていくと、当初挙げた事例においても、具体的な1つの行動についてあれやこれや後悔するのではなく、関連するすべての行動を再点検し、総合的に改善していくほうが建設的と言える。リムジンバスの事例で言えば、30分の遅延がありうることを見越して、より早く出発するための総合的な対策を考える。銀メダリストが次回に金メダルを狙うためには、その試合における失敗を後悔するのではなく、金メダルの水準に到達するために何を補い、何を維持し、何を向上させるのかを明確にしたうえで総合的に対処することが必要であろう。

次回に続く。