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日本行動分析学会第24回年次大会


2006年9月1日(金)〜3日(日)
関西学院大学・上ヶ原キャンパス

目次
  1. 科学的精神の重要性
  2. 科学的精神と実験的方法
  3. 工学と行動分析
  4. 行動分析学の基礎研究がもたらしたもの
  5. e-Learning時代のインストラクショナルデザイン
  6. 「技術が作り出す随伴性」と「技術を作り出す随伴性」ほか
  7. もっとペンギンを知る
  8. 大会参加者数/行動変動性の実験研究とその応用可能性
  9. ゆっくり食べることのダイエット効果?
  10. 役立たない手がかりに引きずられるわけ
  11. 目先の利益に囚われやすい人の勉強は一夜漬けになりやすいか?
  12. 確率価値割引と現実の行動/心理学実験・実習科目における行動分析学テーマ


【思ったこと】
_60904(月)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(1)科学的精神の重要性

 9月1日から3日まで関西学院大学上ヶ原キャンパスで開催された日本行動分析学会第24回年次大会の参加感想の連載1回目。なお私個人が年次大会のほうに参加したのは1日と2日の2日間のみであり、9月3日は、これとは全く別の、ダイバージョナルセラピー関係のセミナー《大阪・淀屋橋近く》のほうに参加した。そちらの感想は後日、別タイトルで記録に残す予定である。

 今回の学会はまず、某私立大学長のI先生の公開記念講演から始まった。I先生は、御自分で言っておられたように現在は完全に行政職にあるということであったが、それより前、44年間にわたって関学の心理学教室、さらには日本の心理学界の発展に尽くしてこられた重鎮である。

 私個人は、大学院修士課程の頃(1976年頃)から何度か研究室におじゃましたことがあり、私自身が研究紹介をさせていただいた時にはご自宅まで招いてくださったり、また、著名な心理学者レスコーラが滞在していた時にも、歓迎パーティに誘ってくださったことがあった。そんなこともあり、絶対に遅刻してはならないと、時計を気にしながら会場に向かった。

 御講演ではまず、心理学教育が、コンテンツよりも態度、つまり科学的精神を身につけるという点で重要であることが強調された。その精神は、単に「科学は大切です」といったスローガンを唱えるだけで身に付くものではない。「自ら研究計画を立ててそれを実施し、結果を処理し、研究論文にまとめ上げる」ための技能と能力を養成し徹底的に訓練するなかで達成される。

 I先生が学ばれたアイオワ大学ではBoulder Model(Scientist-Practisioner Model:科学者実践家モデル)に基づく大学院教育が行われた。そこでは徹底した厳しいコースワーク、系統的で広範にわたる教育課程、さらに方法論が重視されている。そして、その結果授与される博士号は、research and publicationに有能者であることを証する哲学博士(Ph.D)でなければならないというのが、このモデルの主張であった。もっともその後、全世界的な反体制運動の影響もあり、1973年以降は、Ph.D教育路線と、PsyD教育路線(Doctor of Psychology。心理学の臨床家を養成するプログラム)の2路線システムに分かれていった。

 とにかく、I先生のお立場は、基礎心理学重視、科学的精神を重視した心理学ということになる。それゆえ、基礎心理学から独立したような「臨床心理学部」の創設には断固として反対しておられるとのことであった(←「心理学」以上に細分化した名称はつけるべきではない、というお考えも表明された)。




 ご講演の後半では、我が国の心理学専門教育について、一貫したお考えが表明された。これは大学教育、大学院教育一般についてもしばしば指摘されることであるが、我が国ではアメリカの制度は取り入れても、中味が伴ってこないという問題がしばしば指摘されている。じっさい、心理学の教育課程についての議論もつい最近まではなされて来なかった。その一因は、これまで、大手出版社発行の心理学概説書を教科書として採用することで実質的に中味が規定されていたというところにもあるが、これは私自身が教育を受けた1970年代の頃のことかと思う。最近では新しい心理学も次々と誕生し、教育課程がバラバラになっていることは否定できない。

 そういう混乱があったにもかかわらず、規制緩和の影響を受けて、2000年から2003年までの4年間になんと54の心理学関係学科が認可され、入学定員は5257名も増員されたという。この種の関係学科は戦前には15しかなかったというから、たいへんな膨張ぶりである。それだけに新たな弊害も起こりつつあるといってよいだろう。
【思ったこと】
_60905(火)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(2)科学的精神と実験的方法

 I先生は、心理学教育が、コンテンツよりも態度、つまり科学的精神を身につけるという点で重要であることを強調されたが、このことの意味について私なりに考えてみた。

 ここでいうコンテンツというのは、例えば「○○理論では××は次のように定義され、△△という現象は以下の公式に当てはまる」といった、具体的な現象、概念、理論に関する知識的な内容ではないかと私は受け止めた。そう言えば、今回のパワーポイントスライドの中で、I先生ご自身が御留学中に提出されたリポートが「初公開」された。高い評価を受け、当時の著名な心理学者スペンスから弟子入りを勧められたという貴重な映像であったが、そのタイトルは「D×K or D+K?」であることが読み取れた。「D×K or D+K?」という議論は私が学部学生だった30数年前にはしばしば話題にされていたが、いまとなっては歴史的遺物にすぎないと言っても過言ではあるまい。要するにコンテンツには時代とともに変わる部分があるということだ。

 しかしそのいっぽう、その時に培われた実験的方法は、今なお最先端の研究に活かされている。トラックの運転に例えるならば、どういう荷物を積むかということは時代によって変わる。しかし、荷崩れしないようにちゃんと荷物を積んだり、トラックを安全に運転したり、万が一故障した時に応急修理ができるといった技術は、荷物の中味が変わっても活かすことができるというのと同様であろう。

 もっとも、心理学界の中には、実験的方法だけが科学的であるという固定観念に囚われ、現実から遊離した実験室実験にあけくれ、実験群と対照群の間に有意差が見られたという結果をもって「科学的に実証された」と過度に一般化する研究者も皆無とは言えない。いま挙げたトラックの運転の例にあてはめるならば、「梱包できない荷物は運ばない(←実験的方法のレールに乗らない現象は研究対象としない)」、「家屋でもピアノでも、何でもかんでもバラバラに解体して積み込む(←諸要因の相互の連関や全体的なバランスを無視して実験操作を行う)」といった弊害にも目を向けるべきであろう(このあたりの議論は、長谷川(1998)や、長谷川(2005)などをご高覧いただきたい)。

 ということもあり、ここで言われている「科学的精神」は、必ずしも実験的方法という狭い意味に限定するのではなく、
  • より多面的な物の見方、あるいはいろいろな可能性を想定できる力。いわゆる「クリティカルシンキング」
  • 多様な研究方法の中から最善の方法を選択したり組み合わせたりできる力
  • 自然科学万能ではなく、社会構成主義的な視点も取り入れること
  • 行動の原因を「心」あるいは身体の内部に求めるのか、それとも外界との関わりの中に求めるのか、について好みやフィーリングではなく、しっかりした論拠が示せること
  • 絶対的な真理があると仮定してその解明をめざすのか、予測や制御を目的とした有効性の改良に力点を置くのか、について好みやフィーリングではなく、しっかりした論拠が示せること
といった議論を踏まえたうえでの「精神」として養成されるべきだ、というのが私の考えである。

【思ったこと】
_60906(水)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(3)工学と行動分析

 昨日に引き続いて、某私立大学長のI先生の公開記念講演に引き続いて

●テクノロジーと行動分析

というテーマの公開シンポが開催された。

 なお、前回までの連載では、偉大な業績を残され、かつ私自身個人的にお世話になっていた講演者に敬意を表して「先生」とお呼びしていたが、以後は、過去の報告・感想と同様、「○○氏」の呼称で統一させていただくこととしたい。

 シンポではまずS氏が、

●究極のローテクはハイテクである:行動のエンジニアリング

と題して、興味深い話題を提供された。ちなみにこの大会は休憩時間が全く設定されておらず、I先生の講演終了後殆ど間を置かずに別教室でこのシンポが始まっていた。I先生にご挨拶していたことなどもあって、私が入室した時にはすでにS氏の話が始まっており、冒頭の肝心な部分を聞き逃してしまった。

 あくまで途中から聴き取った内容に限られるが、S氏はまず、学問研究の世界で
  • 工学はサイエンスではない
  • テクノロジーより理論
という風潮が根強いことを指摘された。このことで思ったのだが、スキナーの研究は、少なくとも1970年代前半頃までは「行動工学」と冠して紹介されることが多かった。しかし、最新のウィキペディアの記述を見ても「行動工学」という言葉は見当たらない。どこかで意図的に「工学」の呼称を避けようという動きがあったのだろうか。

 同じウィキペディアで「工学」を参照すると
工学(こうがく、engineering)は、科学、特に自然科学の蓄積を利用して、実用的で社会の利益となるような手法・技術を発見し、製品などを発明することを主な研究目的とする学問の総称である。大半の分野では数学と物理学が基礎となる。

工学と理学の違いは、理学がある現象を目の前にしたとき「なぜそのようになるのか?」を追求するのに対して、工学は「どうしたら目指す成果に結び付けられるか」を考えることにある。すなわち、工学ではある実験によって一定の関係が得られたら、それがなぜ起こるのかにはあまり関心を寄せず、その実験式をとりあえず受け入れる。なぜそのような関係になるのかを追求するのは理学の役目だからである。

また、理学では「思想」なり「信条」といったことをその理論内に取り込まない傾向があるが、工学では「設計思想」が重要であり、また各工学の学会(電気学会、土木学会など)では信条規定が定められている。

更には、理学では「安全」といった概念が扱われない傾向があるが、工学では安全が重要なウェイトを占める。

【以下、略】
となっている。この引用箇所において、「製品などを発明することを主な研究目的とする学問」という部分を「生活環境の改善、問題行動の消去や問題が起こらない方向への転換、望ましい行動の確立・維持、より能動的で主体的な行動が実現できるような機会の保障」というようにでも書き換えれば、行動分析の研究分野のかなりの部分は、工学の範疇に収まるようにも思える。但し、「なぜそのような関係になるのか」という疑問には、「関心を寄せない」のではなく「行動随伴性の原理で説明が尽くされている」と考えているようには思うが。

 とにもかくにも、「行動工学」というのは、1970年代前半までとはかなり異なる意味で使われるようになってしまった。しかし、S氏が強調されたように、ハイテクが進歩しても、その根底にある行動の基本原理は変わらない。ハイテクを使う人間行動も同様であろう。

【思ったこと】
_60907(木)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(4)行動分析学の基礎研究がもたらしたもの

 昨日に引き続いて、

●テクノロジーと行動分析

というテーマの公開シンポの感想。

 話題提供者のトップバッターのS氏は、行動分析学の基礎研究がもたらしたものとして
  1. 行動の測度:反応率(rate)を指標とする意義
  2. 制御変数の同定:実験者刺激と機能刺激との区別の必要
  3. 行動の定義:行動そのものより環境への効果を重視
    • 行動そのものより達成(accomplishment)を重視
    • 死人テスト
という3点を挙げられた(←以下を含めて、あくまで長谷川の聞き取りに基づく)。

 このうち、2.に関しては、有名なReynolds(1961)のハトの実験に言及された。これは例えば、歩行者用信号機(こちらに写真あり)で、「青信号=渡れ」「赤信号=止まれ」という弁別訓練を行った場合、
  • 信号の色で弁別する人
  • 信号の中の人の絵の違いで弁別する人
  • ランプの位置(上のランプは止まれ、下のランプは渡れ)で弁別する人
という3通り、もしくはそれらを複合したいろいろなタイプが出てくる。実験者は、信号の色と絵と位置という3つの刺激を操作したつもりでも、被験者(被験体)はその一部しか利用していない可能性があるというような話。(2002年2月17日の日記に関連記事あり)。

 スキナーは「環境に対する働きかけの営み」として行動を定義したが、ハイテク、ローテクの議論においてもこの視点を忘れてはならないというのが話題提供の趣旨であったと理解した。

 このほかS氏は、教育場面における行動変容の技法を確立したLindley(リンズレイ)のPrecision Teachingに関して
  • 行動理論の基礎原理を使用(随伴性、シェイピング、チェイニング、フェイディング、弁別訓練)
  • 正答率ではなく反応率を使用
  • すべての記録をSCCの上に示す
といった点を挙げ、基礎研究から応用への成果として高く評価された。

【思ったこと】
_60908(金)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(5)e-Learning時代のインストラクショナルデザイン

●テクノロジーと行動分析

というタイトルの公開シンポの2番目の話題提供は、Y氏による、

●e-Learning時代のインストラクショナルデザイン〜行動分析学への期待

であった。

 Y氏によれば、「e-Learningの究極の目標は、個々の学習過程を最適化・カスタム化することにある」、この意味でICT(情報通信技術、Information and Communication Technology)の普及は重要。かつて家庭教師を雇わなければできなかったことが、ICTにより万民のものとなり、多様化した興味や関心、いろいろなレベルの到達度、学習環境に対応できるようになった、というような話であった。

 Y氏が強調された新たな学習形態
  • 個を尊重した学習(学習者中心の学習観)
  • 個にやさしい学習(個別学習、学習の最適化)
  • いつでもどこでも(フレキシブル学習、遠隔)
  • 多様化したライフスタイル、メディア環境に対応
については私も同感であるし、行動分析の基本理念に一致していると考えているが、ここでは、敢えて、疑問に思う点を挙げておくことにしたい。




 まず、「個を尊重」とか「個にやさしい」というのはその通りだとは思うが、人間というのは結構まわりに影響されやすいものであり、
  • まわりの人と一緒でないと勉強する意欲がわかない(←行動分析的に言えば、「勉強行動が強化されない」)
  • 集団の中である程度競争し、評価されないと、頑張ろうという気にならない(行動分析的に言えば、「勉強行動には付加的強化、社会的好子、阻止随伴性が必要」)
という傾向がある。

 習熟に著しい差が出るような外国語学習、数学、情報科学系などの分野では個別学習はたぶん効率を上げるだろう。そのいっぽう、生涯学習の一環としていろいろな教養を身につけるような場合は、むしろ、「みんなと一緒に学び交流する」、「講演者の顔や声から熱意を感じる」といった面が大切であり、「個の尊重」は「個別」ではなくむしろ「集団」の中で発揮されるべき、という考えがアリではないかと思う。




 そう言えば、2カ月ほど前、FD関係のセミナーで拝聴した講演の中に学部・大学院と連携したeスクールについての話題があった。ここで紹介された大学は、全国でもトップクラスの規模であり歴史も古い。その報告・感想記事に
その大学が実施しているeスクールというのは、受講生がネット上のコンテンツ(文章や図版などのインストラクションデザイン)にアクセスするという学習形態を連想しがちであるが、ここではむしろ、教員が教室で講義を行っている様子を動画で配信するという形態のほうが重視されているように見受けられた。

 実際、講義の様子を映し出す動画のほうが、教員の熱心さが伝わりやすい。いわゆるパラ言語の提示にもあたる。また、これはあくまで私個人の考えであるが、コンテンツ作成を考えた時にも、講義を録画して編集するやり方のほうが、手間も時間も遙かに少なくて済む、というメリットがあるものと推測される。
と書いたように、そのeスクールではでは、必ずしも多様な個別学習の機会は与えられていない。講師がじかに出演したほうが効果があがるというわけだ。現実にそういうやり方で成功しているわけだから、理屈を並べて反論するわけにもいくまい。

 けっきょくのところ、e-Learningのスタイルをどうすれば効率的かというような議論は、受講生の特徴やニーズ、科目の内容、達成目標、その他、受講生個人のライフスタイルやQOLにまで依存するとしか言いようがないように思う。




 もう1つ、これは雑学的知識としても面白いと思ったのだが、Y氏が紹介したスライドによれば、現代の平均的な若者(米国?)は21歳までに
  • ビデオゲームに1万時間
  • 20万通のEメイルを受け取る
  • テレビ視聴に2万時間
  • 携帯電話通話に1万時間
  • 読書時間は5000時間未満
を経験するそうだ。出典は聞き逃したが、これらの行動は赤ちゃんの時には起こらないので、仮に12歳から21歳までの10年間にこれだけの時間を費やすとして1日あたりの所要時間を概算すると、1日平均1時間費やしてもトータル3652時間にしかならないことが分かる。1日平均3時間でやっと1万時間、平均5時間半でトータル2万時間を越える。これはちょっと長すぎるようにも思うが、ま、こんなものかもしれない。

 このことは若者がe-Learningに向いているという論拠にもなるが、逆に言うと、だからこそ、もっと古典的な教室場面での集団学習を重視すべきだという主張にもつながりそうだ。





 このほか、Y氏の話題提供の中ではEDUCAUSEが紹介された。いずれにせよ、e-Learningの普及の中でスキナーの考えが受け入れられやすくなっているのは確かかと思う。

【思ったこと】
_60910(日)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(6)「技術が作り出す随伴性」と「技術を作り出す随伴性」ほか

 報告・感想の連載6回目。

●テクノロジーと行動分析

というタイトルの公開シンポでは、3名の方による指定討論が行われた。

 このうち1番目のM氏の御発言は

●先端的技術は行動分析学研究に新しい展開を生み出せるか?

という、実質3番目の話題提供と呼ぶべき内容であった。

 M氏によれば、そのポイントは
  1. バイオフィードバック:オペラントの定義を再検討する契機を提供
  2. 私的出来事への強化随伴性を設定できるか?
という2点にある。

 ご発言の時間が短かったこともあって十分には理解できなかったが、先端技術がもたらした種々の測定装置を活用することにより、オペラントの自発のメカニズム、レスポンデント的な反応を結果により統制する可能性、あるいは、私的出来事に関する観察されにくい行動を強化できる可能性が広がったというような内容であったようだ。

 M氏はまた、「技術が作り出す随伴性」vs「技術を作り出す随伴性」という比較対照で興味深い話題提供をされた。前者は
  • 技術に内在する随伴性
  • 技術を使わせようとする随伴性
  • 社会との交互作用で生まれる随伴性
後者は
  • 人為的随伴性と自然随伴性
  • 文化の設計 に関係する。携帯電話の普及過程などはまさにそういうものだと思う(←私個人は携帯電話・メイルを一切使わないので何とも言えないが)。

     ちなみにM氏とは、1994年10月の日本心理学会第58回大会で、“心理学研究の自己評価(1):基礎的統計解析の誤用と対策”というテーマのワークショップを立ち上げた時からのお付き合いがあるが、何だか最近になって、かなりスゴイことを発表されているなあという印象が強くなってきた。行動分析学の理論的・思想的リーダーとしてのご活躍が期待される。




     2番目の指定討論は、少し前にもお会いしたばかりのSS氏(←話題提供者とは別の方)であった。SS氏は「イノベーションは果たしてできるか」、「ビジョンの設定はあったほうがいい」というような発言をしておられたが、短時間であったのは残念であった。

     3番目のY氏は、主催校御所属の方で、行動分析とは違う観点から指定討論をされた。私のメモが不鮮明であったため誤解してしまったかもしれないが、確か「世界(心)を知る=知識」、「世界に働きかける=技術」という比較軸で発言されていた。その中で面白いと思ったのは、前者と後者を対照すると
    • 「迷信」、「占い」 vs 「呪術」、「まじない」
    • 「宗教」 vs 「祈り」
    • 「芸術」 vs 「演奏」
    • 「科学」 vs 「工学」
    といった対照が可能であるというような話題。もっとも、これは比較というより、後者は前者の一部であると理解することもできるように思った。

     このほか話題提供のS氏の内容に関して「随伴性以外の原理はあるか?」というような質問をされていたが、時間の関係でS氏からの回答は披露されなかった。私なりの考えだが、この回答は
    • 阻止の随伴性をどう位置づけるか
    • より長期的な視点での随伴性(例えば、目的論的行動主義の視点)をどう位置づけるか
    といったあたりに見出せるのではないかと思う。

  • 【思ったこと】
    _60911(月)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(7)もっとペンギンを知る

     学会初日の夕刻には

    ●もっとペンギンを知るための行動分析学

    というタイトルの公開講演が行われた。この講演は、「日本動物心理学会」、「応用動物行動学会」、「ヒトと動物の関係学会」との共催であった。余談だが、共催団体3番目のヒトと動物の関係学会は平成7年に設立、平成11年には会員数1300名を超えているとか。人間・植物関係学会だったら、今年の6月に年次大会を開催したばかりだが、うーむ、会員数や活動内容を比較すると、「動物」のほうが数倍以上の規模となっている。この差はどこから出ているのだろうか。

     ところで御講演の内容であるが、私自身は、そのあとに引き続いて行われた別のシンポの指定討論者となっていたため、途中から打ち合わせのために退室し、最後まで拝聴することができなかった。但し、ご研究の一部は翌日、このプロジェクトメンバーのお一人による口頭発表でも紹介されていたので、だいたい把握することができた。ここでは、御講演と口頭発表のセットについて、感想を述べさせていただくことにしたい。




     講演ではまず、ペンギンにキーつつき訓練を学習させる際のいろいろな苦労話が紹介された。

     ハトにボタン(もしくはパネルキー)をつつかせ、一定の条件を満たした時に(回数、時間などの基準を満たした場合、あるいは弁別課題で正解を出した場合)餌を与えるという学習訓練であればすでに半世紀のノウハウが蓄積されているが、同じ鳥とはいえ、ペンギンを被験体とするのは世界でこのプロジェクトが初めてであった。当然、ペンギンならではのいろいろな工夫が必要となった。

     例えば、今回の被験体の中には、2匹でずっと一緒に飼われていたペンギンが居た。これらを個別に訓練しようとして引き離すと、それだけで寂しがって暴れ出すという。けっきょく1羽が実験に参加している時は、もう1羽は装置の近くで「見学」させるという形で、なだめることができたとか。このことによる「観察学習」があったのかどうかは言及されなかった。

     また、好子(強化子)の与え方にも工夫があった。ペンギンが正解できた時には、好子(強化子)として生のサカナが与えることになるが、丸ごと1匹与えたのではすぐに満腹してしまって学習が進まない。そこで、サカナを分割するとともに、条件性強化子(クリッカー音)を併用した。これは要するに、クイズで正解した時に「ピンポン」という音を出すようなものだ。

     今回紹介されたのは、ペンギンの視覚弁別訓練における移調の有無を検討するという実験であった。ここで移調の有無は
    • 4.8cmと9.6cmの縦線を2つのパネルに同時提示し、長い方をつついたら正解であるように訓練する(半数の個体は、短い方を正解とする)。
    • 訓練が完成したのち、9.6cmと14.4cmの縦線、もしくは4.8cmと3.2cmの縦線を同時提示して、長い方を選ぶか、短い方を選ぶのかを観察する。
    という手続で検討された(数値は長谷川による概算)。

     4.8cmと9.6cmの縦線で「長い方が正解」という訓練を受けたペンギンが、もし、縦線の固有の長さ(=9.6cm)だけを手がかりに反応しているのであれば、9.6cmと14.4cmの縦線が同時提示された時にも9.6cmのほうを選ぶはずだ。また、そうではなくて、相対的に長い方を選ぶように学習していたのであれば、テスト条件では14.4cmのほうを多く選ぶはずである(これを「移調」と呼ぶ)。実験の結果、ペンギンは相対的に長いほうを選んだ。また、短いほうが正解であるように訓練されたペンギンたちは、テストで相対的に短いほうを選んだという。ということで「移調が確認された」というのが今回の研究の結論であった。

     ちなみにSpenceの理論によれば、テスト時の縦線が極端に長かったり短かったりした時には生じないらしい。例えば、長い方が正解であると学習していても、9.6cmと2mの縦線が出た時に2mのほうを選ぶとは限らない。このことはこれから検討されるとのことだ。




     ということで、公開講演と翌日の口頭発表の2回にわたり、世界で初めての興味深い話題を拝聴させていただいた。講演者M氏は以前から、動物を被験体とした実験的行動分析の研究で数々の成果を挙げており、また、装置の改良やハイテクの導入といった面でも超一流の腕を持っておられる。今後のご活躍が期待される。

     なお、いま述べたご研究の価値を低めようとする意図は全く無いとお断りした上で敢えて申し上げるが、動物を被験体とした研究というのは、どういう種類であっても、

    ●なぜその動物を被験体に選んだのか

    という意義づけがどうしても必要になってくる。これには、理論上の意義と実用上の意義の2タイプがあると私は思う。

     理論上の意義とは、ヒトの行動を理解する上でその被験体を用いることが非常に有用である場合、もしくは、一般化された学習理論・法則を覆すような特異な学習が確認されるような場合である。

     また実用上の意義とは、それを解明することが人間の生活上きわめて役に立つという場合。例えば、ゴキブリの習性を調べることは駆除に役立つ。また犬や猫のしつけ方を研究することは、ペットとの共同生活上、大いに役に立つことだ。

     ペンギンを知ることにどういう意義があるのか、途中で退室せざるを得なかったため、残念ながら聞き逃してしまった。
    【思ったこと】
    _60912(火)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(8)大会参加者数/行動変動性の実験研究とその応用可能性

     大会終了から早くも10日が過ぎようとしているが、本日、たまたま大会公式サイトにアクセスしてみたところ、この大会の参加者は、合計447名(予約参加者182名、当日参加者258名、招待者7名)であると報告されていた。2003年に岡山で開催した時の総参加者数は312名(一般173名、学生139名)、公開行事のみ参加21名、事前払い込み参加者157名(一般107名、学生50名)となっていたので、1.4倍の増加と言えよう。関西圏ということで、関西在住者が日帰りで気軽に参加できるという利便性もあったとは思うが、とにかく、年々参加者が増えていくことは学会の発展にとって望ましいことである。

     もっとも、大会当日、学会費納入率が悪いというような掲示も見かけた。学会誌が定期的に刊行されておらず、学会に入会し会費をきっちり払うという行動が強化されていない点も一因になっているようだが、種々のイベントを増やすなどして、日常的な活動を維持していく必要があるように思う。




     さて、大会初日の最後には

    ●行動変動性の実験研究とその応用可能性

    というシンポジウムが行われ、私も指定討論者として名を連ねた。

     このことについては、近々、紀要に「行動変動性研究の半世紀(課題)」というような論文をまとめようかと思っているので、ここでは詳しく語らない。指定討論の中で私が指摘したことは、
    • 「変動性」は一意的には決まらない。一連の研究テーマの総称として用いるのが妥当である。
    • 「変動性」は時間軸、状況、ニーズによって異なった形で測定され、その有用性もさまざまに変わってくる。
    • 「安定性」、「規則性」、「固着」などの意味はそれぞれ異なっている。「変動性」もそれぞれの対義語として、異なった意味を持つ。
    というような点であった。より詳しい内容は、本連載終了後、別のタイトルで新たな連載として記す予定である。

    【思ったこと】
    _60913(水)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(9)ゆっくり食べることのダイエット効果?

     大会2日目(9月2日)は2会場に分かれて口頭発表が行われた。開始時刻が10時からとなっていたため、ホテル利用者としては始まるのがずいぶん遅いなあと感じたが、これは、関西圏の日帰り参加者に配慮したためらしい。旅費に大幅な差が出るが、時間だけから言えば、京都あたりから電車を乗り継いで参加するのと、岡山から新幹線・新神戸経由で参加するのとでは大した差は無さそう。

     私が参加した会場ではまず、

    ●食べるペースに違いをつけることが摂食行動のセッション内減少に及ぼす影響

    という発表から始まった。ゆっくり食べさせるとダイエットに効果がある言われているが、実際はどうか。ポテトチップス、あるいはソーセージを「普通に食べさせる」群と「よく噛んで味わって食べさせる」群で実験的に比較したところ、総摂取量にはあまり差がないというような結果が得られた。但し、より細かく分析したところ、食べはじめ、途中、終盤のペースには違いがあり、このあたりをうまくコントロールすれば、我慢せずにダイエットするコツがつかめるかもしれない。

     質疑では、私自身から、この実験は単一の食品を摂取させているが、そのことによって飽和化が起こりやすい(←すぐに飽きてしまう)可能性は無いのか、複数種類の食品を組み合わせて食べる場面での検討も必要ではないかという質問をさせていただいた。しかし、少なくとも、「もうこれ以上はまずくて食べられない」というほどには飽きられていなかった模様である。

     このほか、私のところを卒業したA氏から、肥満改善の行動療法では、、「何分間かけて食べる」、「かならず○○回噛む」というようなもっと具体的な指示が出されているのではないかという指摘があった。これはかなり重要なポイントであると思う。肥満改善をめざすとなれば、たぶん、「よく噛んで味わって食べる」というレベルのペースダウンではダメで、ある程度、あごがくたびれても、苦痛であっても、とにかく、ゆっくりと噛むことが求められるのではないかと思う。それでもなお、単に食事量を制限してひもじい思いをするよりは楽ではないかと思う。

    【思ったこと】
    _60914(木)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(10)役立たない手がかりに引きずられるわけ

     大会2日目(9月2日)朝に行われた口頭発表についての感想の続き。

     昨日の日記で
    私が参加した会場ではまず、

    ●食べるペースに違いをつけることが摂食行動のセッション内減少に及ぼす影響
    という発表から始まった。
    と記したが、これは私の全くの勘違い。トップバッターは

    ●二者択一選択課題における手がかり刺激と反応の一致傾向について

    というタイトルだった。たいへん失礼しました。

     さて、この実験はこういうものだ。2枚のカードを裏返しにして左右に並べ、どちらかを選ぶと正解(得点)となるようなゲームがあったとする。当たる確率は五分五分。その際に、的中率50%で「←」または「→」の矢印を同時に出す。被験体にはあらかじめ、矢印の指示に従った場合の的中率は50%であると伝えておく。

     数学的に考えると、この条件のもとでは、「←」、「→」という指示に従っても従わなくても得点率は変わらない。ところがこれまでの実験によれば、この矢印に従う率(指示に一致する比率)は65%程度になるということが分かっている。この原因としては、
    1. 矢印に従った場合の的中率を過大評価しているのではないか
    2. 矢印の形が影響を及ぼしているのではないか
    といった説が考えられる。今回の発表では、矢印の形の影響を検討するため、矢印に替えて、四角マークの色(赤が左、黒が右)で指示する群、漢字で指示する群を設けて、指示に従う比率を比較した。実験ではコンピュータディスプレイに刺激が提示された。

     実験の結果、矢印が提示された場合が従う確率が最も高く(60%以上)、漢字が提示された場合が最も低く、これら2群の間には有意差があった。但し、漢字群でも、指示に従う比率は50%を超えていた。ということで、手がかりとして役に立たない指示であっても、それに引きずられる傾向が見られること、但し、その影響の度合いは、矢印、四角形の色、漢字といった、形や色の違いによって異なるという結果が得られた。




     発表後の質疑によれば、この実験では1人300トライアルが行われたが、今回の報告では最初の100トライアル部分についてのみ集計されたという。試行数が長くなると、指示に一致した選択をする比率は徐々に下がってくる模様である。

     この種の実験は個体差があり、どうやら指示に従わないような被験者も居たらしい。質疑では、なぜ個体内比較で検討しなかったのかという質問も出された。

     またこれは私自身が質問したことであるが、この実験場面では、被験者はどのように頭を使っても的中率を上げることができず、全般にかなり退屈であった可能性がある。矢印などの指示に従う傾向が50%を超える一因としては、「選ぶことに頭を使うのは面倒だなあ。実験者への義理もあるので、矢印で指示されたほうを選んでおこう」というような行動が起こっていた可能性はあると思う。

     また他の条件に比べて矢印に引きずられやすい理由としては、日常生活場面で、矢印に従って選ぶとお得になることが多い(=矢印の向きを弁別刺激として利用する行動は強化されやすい)という点が挙げられる。例えば、目的地に進む時には矢印に従う、直進方向の矢印しか無い交差点で右折や左折をしたら交通違反で罰金をとられる、など。

     なおこの種の研究は、占い師の予言や、コイン投げの結果に従う行動にも一般化できる。どっちを選んでも五分五分であるような選択を迫られた時、占いやコインを信用しているわけでもないのにその「予言」に従う行動をとることがある。但し、今回の実験結果(矢印が四角や漢字より影響されやすいという結果)を拡大解釈するならば、どの占い師の「予言」に従うかは、占い師それぞれの的中の実績ではなくむしろ、占い師の外見(顔つき、服装、身振りなど)の影響を受ける可能性が高いと言えるかもしれない。

    【思ったこと】
    _60915(金)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(11)目先の利益に囚われやすい人の勉強は一夜漬けになりやすいか?

     大会2日目(9月2日)朝に行われた口頭発表についての感想の続き。

     口頭発表の4番目は、

    ●価値割引と試験勉強場面の学習行動の関係

    というタイトル。

     これは要するに、「割り引かれてもいいから今すぐに受け取るか」、「少し待ってもよいから、後日、満額を受け取るか」というような話。

     例えば、1カ月後に5000円を受け取ることと比較して、「今すぐなら4000円に割り引いてお渡ししますがどうしますか?」、あるいは「今すぐなら4900円に割り引いてお渡ししますがどうしますか?」というように、いろいろな金額を示されたとする。その際、すぐに受け取れるほうを選ぶ時、いくらぐらいの割引を許容するかは個人差がある。かなりの程度で割り引かれてもいいからすぐに欲しいという人は、「遅延のある報酬の価値を低く見積もる」という意味で「遅延価値割引が激しい人」と呼ばれる。一般にはそういう人は、「目先の利益に囚われやすい人」、「物事を短期的なスパンでとらえがちな人」と見られがちである。

     そんななか、遅延価値割引の激しい人ほど、大学での成績が悪いというような研究がある(Kirby ほか、1995)。今回の発表では、これを具体的に裏付けるため、実際に漢字ドリルの課題を与え、遅延価値割引の激しさによって、勉強時間や成績に違いがあるか、また一夜漬けなどの行動が見られるかどうかを検討した。その結果、成績や勉強時間には差が見られなかったが、価値割引が激しい人ほど前日の勉強時間が多いという結果が得られた。




     報告された結果は「遅延価値割引の激しい人の勉強は一夜漬けになりやすい」ことを示唆しておりなかなか興味深いが、疑問が無かったわけでもない。

     まず、方法に関することだが、この種の実験では
    • 今すぐの250円 vs 1ヵ月後の5000円
    • 今すぐの500円 vs 1ヵ月後の5000円
    • 今すぐの750円 vs 1ヵ月後の5000円
    • .....
    • 今すぐの4750円 vs 1ヵ月後の5000円
    というように「今すぐ」の金額が250円刻みでリストに挙げられており、どのくらいの額になったら「今すぐ」を選ぶかが事前に調査された。さらに「1ヵ月後」のところは「6ヶ月後」、「1年後」、「5年後」、また満額の金額は5000円のほか10万円でも調査され、遅延日数と主観的価値に基づいて描画される台形の面積からその人の価値割引の激しさが測定されている。

     このやり方自体は客観性があってよいとは思うのだが、こういう調査だけで、「価値割引の激しい人」、「価値割引の穏やかな人」というように固定的なタイプ分けが可能なのだろうか、またそのタイプ分けだけで勉学行動など、日常生活の諸々の行動まで違いが出てしまうものなのだろうか。これはちょっと信じられない。




     私自身がもしこういう質問をされた時にまず頭に浮かぶのは、差し迫ってお金が必要かどうかということだ。給料日前で貯金の残高がゼロに近いような時だったら、かなり割り引かれても今すぐお金を受け取りたいとは思う。しかし、資金にゆとりがある時だったら、今すぐ受け取っても何の使い道もない。以前として低金利のご時世だ。金利1%を超えるようなら、遅延があっても受け取る額が多いほうがいい。要するに、「遅延価値割引」の程度は、その人の固有の性質ではなく、その時々の金欠状況によって変わってくる可能性は無いだろうか。

     今回の実験では大学生99名が被験者であったということだが、その中には、貧困生活を強いられている学生、もしくは、生活はまあまあだが、遊ぶお金が今すぐに欲しいという学生も含まれているに違いない。そういう学生は事前テストで「価値割引の激しい人」にタイプわけされるだろう。また、おそらくそういう学生は、日夜アルバイトにあけくれており、なかなか勉学ができない。まして実験目的だけの漢字ドリルなどに取り組むヒマは無いので結果的に一夜漬けになりやすい。であるならば、同じような結果が出ても不思議ではないが、この場合は、単に時間的な制約や生活諸行動の優先順位の違いを反映していただけであって、「目先の利益に囚われやすい人は...」、「物事を短期的なスパンでとらえがちな人は...」という議論には至らない。




     いずれにしても、人々をタイプ分けした上で「○○タイプの人は△△という傾向がある」というように、個々の人間の行動傾向を固定的に捉えて議論をするのは行動分析的な視点とは言えない。あくまで研究初期、仮説や見通しを立てるための探索的段階として行うべきであろう。そこから先の研究としては、「人間はどういう時に目先の利益を優先しがちであるか」、「目先の利益に囚われやすい状況でどういうセルフコントロールを実施すればより長期的な視点が持てるようになるか」というような方向を目ざすべきであるというのが私の考えだ。

    【思ったこと】
    _60916(土)[心理]日本行動分析学会第24回年次大会(12)確率価値割引と現実の行動/心理学実験・実習科目における行動分析学テーマ

     9月1日〜3日開催された同大会から早くも2週間が過ぎた。各種学会やセミナーに参加したときは2週間以内に報告・感想を書き終えるということを鉄則にしているし、16日からは日本教育心理学会総会も始まっていてその感想も書かなければならないので、本連載は、今回をもって最終回としたい。

     さて大会2日目(9月2日)朝に行われた口頭発表の5番目は

    ●報酬受取の主観的確率判断と確率価値割引の報酬量効果との関係

    というタイトルであった。これは前回感想を述べた

    ●価値割引と試験勉強場面の学習行動の関係

    という発表とある程度関連している。じっさい、発表者は同じ大学院に属する方で、指導教員も同じ方であるとお見受けした。

     ここでいう確率価値割引というのは、「確実に250円が貰えるのと、確率20%で5000円が貰えるのとどっちを選ぶか」というような話。前回の「遅延価値割引」と同様に、割引のカーブが双曲線関数によく当てはまることから、「遅延」と「価値」をひっくるめた単一プロセス説というのが提唱されている一方、両者では報酬量効果が逆になるという研究もあり(Holt ほか、2003)、より詳細な検討が求められている。そこで本研究では、報酬量の大きさを5000円、10万円、100万円、「確実に貰える」と対照される確率を20%、40%、60%、80%に設定して主観的等価値を調べた。また客観的確率と主観的確率判断の関係についても検討された。

     その結果
    • 金額が大きい方が価値割引は激しいという報酬量効果が認められた
    • 客観的確率が高いほど主観的確率は高くなった
    • 同じ確率を伴う報酬でも10万円のほうが5000円よりも当たる確率は主観的には小さいと判断された。このことが確率価値割引の違いの一因になっている。
    というような結論が得られたという。




     以上の結論はなかなか興味深いものであったが、前回の「遅延価値割引」同様、いくつかの疑問は残っている。

     まず、これは「遅延価値割引」の時にも述べたことだが、人々をタイプ分けした上で「○○タイプの人は△△という傾向がある」というように、個々の人間の行動傾向を固定的に捉えて議論するというのは、研究スタート段階の探索研究に限るべきだというのが私の考えだ。探索研究の次の段階では、同じ個人の中で、どういうコントロールをしたらどう行動が変わるのかという視点をもつことが大切。

     第二に、確かに日常生活場面ではわれわれは種々の確率現象に遭遇しているが、その際の選択は必ずしも「主観的確率」の数値の大きさではなく、もっと局所的な当落の推移(例えば「前回外れたから今度こそ」というような)や、強化スケジュールの変動性の影響を受けている可能性があるように思う。早い話、パチンコにハマっている人は、パチンコで儲かる確率を誤認しているわけではない。出玉率が低いと知っていてもなお、のめり込むのである。

     余談だが、この夏にちょうど「JAL みんなの夏空キャンペーン」というのがあった(7月14日から8月31日、応募締切は9月19日)。搭乗券半券2枚または6枚でいくつかのプレゼントコースを選べるというものだが面白いのは、例えば半券2枚の場合、
    • もれなく:無料ダウンロード5曲分
    • もれなく:ぐるなび加盟店でJALスペシャル特典
    • もれなく:空港店舗で最大1000円引き
    • もれなく:ICクラスJクーポン国内線1区間分
    • もれなく:三谷幸喜×和田誠 カフェタンブラー
    • もれなく:稲葉賀恵デザイン スカーフ柄ハンカチ
    というように、確実に貰えるプレゼントコースがある一方で、
    • 抽選で30000名様に:JALオリジナル「ウラじんせーエンジョイ!たまごっちプラスJALほわいと」
    • 抽選で2000名様に:JAL国内線往復航空券
    • 抽選で100名様に:JAL日本=韓国エコノミークラス往復航空券
    • 抽選で500名様に:JAL IC利用クーポン5万円相当分
    という「確率価値」のコースが与えられていたことであった。「もれなく」を選ぶか「抽選で」を選ぶか、また、「抽選で」の中ではどれを選ぶか、というのは、まさに今回の実験の現実バージョンになるかと思う。これを読まれた方は、どのコースを選択されるだろうか。

     私自身は、通常、こういうオプションがある場合には、「もれなく」を選ぶのが普通だが、今回のケースでは「もれなく」のどのコースにも全く魅力を感じなかった。ということで抽選コースの中の、「抽選で2000名様にJAL国内線往復航空券」か「抽選で500名様にJAL IC利用クーポン5万円相当分」を選ぶか、ということになったのだが、これは困った。というのは、当選者の人数が多いからといって、当選確率がそれに比例して増えるというわけではないからだ。応募者の大半が「2000名様に」のほうを選んだとすると、極端な場合、もう1つの「抽選で500名様にIC利用クーポン5万円相当」の応募者は500名未満となり全員当選ということもありうる。この予測はきわめて難しい。まだ応募締切となっていないので、ここでは私自身の選択について述べることは差し控えておきたいと思う。




     さて、大会2日目午後には

    ●心理学実験・実習科目における行動分析学テーマ

    というシンポがあった。司会のA氏によれば、米国では高校生向けの有用な心理学実験手引き書が発売されているという(1999年版もあるが1981年版のほうが面白いとか)。このほか3氏からそれぞれの報告があった。このシンポはあくまで、実践例の紹介という趣旨だったと思うが、心理学の授業としては今や、
    • 実験的方法によって何が分かるのか
    • 実験的方法にはどういう限界があるのか
    が問われており、その根本をしっかり意義づけした上で実習に入らないと、受講生から「実験は面白かったが、なぜこういうことをするのか分からない」という感想が寄せられかねない時代にあると思っている(9月5日の日記に関連記事あり)。





     大会2日目の総会と懇親会はキャンセル。9月3日は大阪・淀屋橋の会場で行われたダイバージョナルセラピー研修会に出席したので、本大会の参加報告・感想はこれをもって終了とさせていただく。