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第11回エコマネー・トーク

キャンパス発エコマネー


2002年3月1日(金)
主催:エコマネー・ネットワーク
会場:アサツーティ・ケイ銀座オフィス




目次
  1. キャンパスエコマネーの発展形態
  2. エコマネーの原理と三者以上の互助関係
  3. エコマネーにおける「できますよ」効果と「感謝をあらわす」効果
  4. 世代内の交流か、世代間の交流か
  5. ひよこさんからメイル届く
  6. どんぐり倶楽部の実験
  7. マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる
  8. 「実験研究」と「試行積み重ね」のどちらがに情報的価値があるか
  9. 紙のお金と、通帳型と、ポイント管理のどれがよいか
  10. コミュニティの適正規模、孤独を愛する人への対応など


【思ったこと】
_20303(日)[心理]第11回エコマネー・トーク(1)キャンパスエコマネーの発展形態

 3月1日(金)に行われた第11回エコマネー・トーク(主催:エコマネー・ネットワーク、会場:アサツーティ・ケイ銀座オフィス)に第10回に引き続き参加した。今回は、「キャンパス発エコマネー」がテーマであった。プログラムは以下の通り。
  1. 加藤敏春氏(エコマネー提唱者・経済産業省&東京大学大学院総合文化研究科併任教授)レクチャー「あたたかいお金エコマネー〜生活者起点のコミュニティの創造」
  2. 岡田真美子氏(姫路工業大学環境人間学部環境宗教学・教授):事例報告「キャンパス発ITエコマネー」
  3. 福田順子氏(城西国際大学経営情報学部福祉環境情報学科・教授):事例報告「どんぐり倶楽部の実験」
  4. パネルディスカッション:「大学キャンパスとエコマネー〜大学と市民のパートナーシップ」
  5. 意見交換会
  6. 懇親会

[Image]  1.の加藤氏のレクチャー[右の写真参照]は、通常なら1時間ぐらいかかりそうなエコマネー概説用パワーポイントファイルからの抜粋。前回も強調された「『会社』でも『家族』でもない、仕事と遊びが融合したライフスタイルとともに、ねばねばとした人間関係ではなく、さらさらと暖かい人間関係を求める」という「第3の社会」、『I 相互扶助(交流)→II 課題発見→III 協働」という「エコマネーの発展の3段階」が特に強調された。

 今回のテーマに関して加藤氏は、1997年のエコマネー提唱後まもなく、早稲田大で地域に向けたインターネット教室が行われた事例を紹介された。大学生が地域住民にパソコンの使い方を教えるという趣旨だったようだが(←長谷川の聞き取りのため不確か)、これは2カ月程度の限定的な取り組みに終わったという。

 次の「キャンパス発ITエコマネー」は、姫路で行われた「千姫」についての事例報告であった。この千姫は、隊員証を郵送する(←身元確認を兼ねている)ほかは、すべてネット上での情報交換に基づいて交流が行われていた。参加者はネット上で、「やります」あるいは「お願いね」を登録する。コーディネーターは不在(←人手不足のため)。 2回の実験で155〜180名の参加があり、総取引数は431件。事務局振り出しよりも、参加者が自ら発行したエコマネーのほうが多く、全90万7400姫のうち80万姫ほどを占めていたという。

 もう1つの「どんぐり倶楽部」も大学生と地域住民との交流という点ではよく似ていた。こちらはネットは使わず、サービスメニュー表と電話が主体であった。上記の千姫よりはやや規模が小さかったようだ。




 次に、私自身が新しく知ったこと、今回の講演にヒントを得て考えたことを述べていきたい。

 まず、上に引用した加藤氏の発展段階の分類に従えば、「千姫」や「どんぐり」は第一段階の「 相互扶助(交流)」に相当するものであると考えられる。過去の事例で言えば、栗山第1次(250人)、宝塚第2次(510人)がこれにあたる。

 千姫プロジェクトで登録された「できること」「お願いね」はいずれも個別的なニーズに根ざしたものであり、全体として何かの課題に取り組むものではなかった。「家事(料理、買い物、掃除)」、文化・教育、動物、遊び、介護、手助けなど7種類に分類された「どんぐり」のサービスメニューも基本的には同様である。こうした交流で醸成された信頼が課題発見型の第二段階や協働型の第三段階に発展するのかどうかは定かではない。すべてのエコマネーが3段階の発展形態をとるのか、それとも、第一段階だけで自己完結するタイプのエコマネーもありうるのか、このあたりは、いずれ加藤氏にお伺いしてみたい。

 いずれにせよ、加藤氏は第一段階を経ないと第二段階には移行できないと言っておられるのではないかと思う。私のような観念先行型の人間は、例えば環境問題に取り組もうとすると、最初から課題解決型のエコマネーを考えてしまうのだが、それに先だってメンバーのパートナーシップの形成を考えるあたりはさすが行政の専門家の発想であると思った。

 さてひとくちに、キャンパスエコマネーと言っても、
  1. 大学内での勉学互助(各自の研究発表の相互リビュー、卒論下書きのチェック、留学生の援助、共同研究、自主ゼミなど)
  2. 大学環境内での諸活動(パソコンやネットに関する互助、草取りや掃除などの環境整備、リサイクル活動など)
  3. 大学と地域住民との交流
という3つのタイプがあると思う。このうち1.や2.については実は私自身が構想を練っている最中であり、今年中には具体化してみたいと考えているところだ。いっぽう、今回の事例報告はいずれも3.に関するものであった。次回は、その具体的内容や成果について考えを述べてみたい。
【思ったこと】
_20304(月)[心理]第11回エコマネー・トーク(2)エコマネーの原理と三者以上の互助関係

[Image]  昨日の続き。キャンパス発エコマネーの事例報告にふれる前に、エコマネー一般についての私の考えを述べておきたいと思う。ついこのあいだまで、私は、エコマネーは般性習得性好子【注:「好子」(コウシ)は行動分析学用語。「正の強化子」と同義】の特殊形態(トークンあるいは代用紙幣)であろうと思っていた。しかし、加藤敏春氏の著作や、エコマネートークに参加しているうちに、仮にトークンであるにせよ、人と人との交流という面で特別のネットができあがっていることに気づいた。

 例えば左上の図は、二人の間で「観葉植物の育て方を教える」というサービスと「ピアノの弾き方を教える」というサービスが交換されていることを示す。しかしこのケースではエコマネーは全く不要である。両者の間では双方向のサービスが同程度にやりとりされていればよいのであって、エコマネーのようなものは必要ない。夫婦間でエコマネーが必要ないこともこのグラフから見て取れる。

[Image]  では、右図のように、A、B、C3者の間で
  • AはBにパソコンの活用法を教える
  • BはCに英語表現について指導する
  • CはAにピアノの弾き方を教える
という「3すくみ」関係がある時はどうだろうか。この場合、図以外のサービスはお互いに必要としていないと仮定する(Aは英語表現に熟達、Bはピアノが上手、Cはパソコンを使いこなすことができるので他者からのサポートを必要としていない)。このような双方向のサービスが成り立たない場合でも、「親切」とか「仲良し」という抽象概念に価値を与えることで一定の互助関係を生み出すことはできる。しかしエコマネーを導入すれば、それぞれのサービス行動に対してエコマネーを支払うという強化随伴性が成立するので、格段の活性化がはかれるものと期待される。

[Image]  左下の図はさらに特殊なケースであり、ここではA、B、C、Dという4者のあいだで4通りのサービスが提供される。それぞれのサービスに対してはエコマネーが支払われるものとしよう。ここで興味深いのは、AとB、およびCとDの間では何の関わりも存在しないことだ。犬猿の仲であってもいい。にも関わらず、4者はサービスとそれに対するエコマネー支払いによって全体で互助関係を維持し、コミュニティを形成しているのである。

 以上の考えはあくまで長谷川の思いつきによるものである。最後に、このモデルについての留意点をいくつか。
  1. 今回のエコマネートークのディスカッションの中で、ある質問者が、「お金が使えることで、今まで肉ばかり食べていた人が魚を食べられるようになった」という例を出したところ、加藤氏は、「いや、最初のお金は、肉と魚の交換のためではない。コミュニケーションツールとして登場した。エコマネーの『マネー』という呼称は、コミュニケーションツールとしての原点に戻れという意味だ」と言っておられた。ここにあげた諸関係もまさにそういうことを意味するのだろう。
  2. エコマネーは単なる般性習得性好子ではなく、「私がこういうサービスをすれば、別の機会に、こういうサービスを受けることができる」というルール支配行動の具体化であると考えることもできる。つまり、エコマネーを受け取ること自体によって強化されるのではなく、強化機会の保証書のようなものかもしれない。
  3. 今回のような互助関係モデルでは、「課題解決型」や「協働」への発展的移行が説明できない。今後修正を必要とするかもしれない。
  4. 上記の図では、「サービスを受けること」を好子として扱ってきたが、「サービスを提供すること」自体にも行動内在的な好子が含まれている。それゆえ、例えば、昔の話をする人は、話をしたことに対してエコマネーを受け取る一方、話をする機会を与えてくれたことに対してエコマネーを払おうという気持ちになるのである。
【思ったこと】
_20305(火)[心理]第11回エコマネー・トーク(3)エコマネーにおける「できますよ」効果と「感謝をあらわす」効果

 今回は、

●岡田真美子氏(姫路工業大学環境人間学部環境宗教学・教授):「キャンパス発ITエコマネー」

という事例報告について感想を述べることにしたい。

 まず、報告のタイトルに「IT」が冠せられている点であるが、これは
  • 「できること」:自分が提供できるサービスの登録
  • 「お願いね」:自分が受けたいサービスの登録
  • 登録リストに基づく当事者間の交渉(人手不足のためコーディネーターは介在しない)
がすべてネット上で行われたため。ネット上でありがちな「なりすまし」を防ぐため、あらかじめ郵便で「隊員証」を交付。それにIDとパスワードを記載することで安全を確保したという。

 この件に関しては、後のディスカッションで「女子学生との交際を目当てにエコマネーが悪用されることはないか」、「ストーカーに悪用されることはないか」といった質問が出されたが、次の福田順子氏の「どんぐり倶楽部」事例報告を含めて、そのような事故は起こっていないということであった。懇親会の際にも個別にやりとりがあったが、この件に関しては、サービス提供の場を限定するなどの措置(例えば見知らぬ人の家に一人では行かないなど)がやはり必要ではないかと思った。

 岡田真美子氏によれば、エコマネー「千姫」は次の3つの効果をもたらすという。
  1. 「できますよ」登録効果:自分に会える、自分探し、自己開示
  2. 人の輪効果「つなぐ」:日常知り合えない人との交流
  3. 振り込み効果「あらわす」:自己実現、認められ、感謝される喜び、感謝を表せる喜び
 このうち1.に注目された点は、さすが環境宗教学・感性哲学・仏教文献学をご専門とする岡田氏だと思った。つまり、自分に何ができるのかをリストアップしてみることは、エコマネーの対象にならなくてもそれ自体に意義があることなのだ。

 この1.の点に関連して岡田氏は、さらに「キャンパス千姫効果」として次のように述べておられた。
指示待ち学生がいなくなった。
  • いつも自分のできることを捜す癖
  • 丁稚ができるようになった
 行動分析的に言えば、「いつも自分のできることを捜す」とは、狭い範囲の強化随伴性に実を晒して行動を維持強化するのではなく、自分の行動リパートリーを言語化し、多様な強化機会に自らを投じる行動を形成するという意味になるかと思う。

 もうひとつ、交流の後の「振り込み効果」に注目された点もさすが岡田氏である。つまり、単にトークンとしてのエコマネーを無表情かつ機械的に支払うのではなく、感謝を表すという行動が自然に形成されることを目ざしているのである。これに関する「キャンパス千姫効果」として岡田氏は、「感謝できることを絶えず捜している」という行動が形成されることを指摘された。

 エコマネーというとコミュニケーションツールとしての側面に目が向けられがちであるが、こうした、「できますよ」登録効果や振り込み効果が確認できるとすれば、大学教育としても十分な成果が期待できるように思う。もっとも、私のような立場から言えば、体験談の蓄積ではなく、心理学的手法をも取り込んだ実証的なデータが欲しいところでもある。次回に続く。
【思ったこと】
_20306(水)[心理]第11回エコマネー・トーク(4)世代内の交流か、世代間の交流か

 今回のトークの公式報告がこちらにアップされていたので、まず、御紹介させていただく。

 次に昨日に続いて、岡田真美子氏「キャンパス発ITエコマネー」の感想の続き。

 岡田氏のデータによれば、千姫プロジェクトの第一次実験参加者は155名、第二次は180名であった。年齢構成を見ると、20〜40歳台が8割近くを占めているが、0〜9歳が1%、70代が3%ということで、ほぼ全世代が参加していることが分かる。

 時間の関係で質問し損ねたが、この種の取り組みで一番興味があるのは、同一世代内のやり取りと、世代間のやり取りの比率である。統計学的には、参加者全員から任意の2名を選んだ時の年齢の組合せに比べて、実際に発生したやり取りがどの世代内(あるいは世代間)に片寄っていたのかを知れば、エコマネーの役割が見えてくるはずだ。

 もし、20代は20代、50代は50代の間だけでやり取りをしていたとするなら、わざわざエコマネーを導入しなくても、各世代のニーズにマッチしたサークルを作ればよい。いっぽう、10代の子供と60代の高齢者間の間で多様な交流が生まれているならば、エコマネーは世代間の交流に大きく貢献しているという証拠になる。「やり取り」件数の増加ばかりでなく、こうした内訳を細かく分析することが、今後の発展のヒントになるのではないかと思う。

 岡田氏は最後に、「維持(他人の苦労に学ぶ...)」、「展開」、「更新(実験として行うことによりリセット可能)」という3つを活動のポイントとして挙げておられた。このうちの「展開」では、説得性原理ではなく親近性原理をうまく使うのだという。つまり、「〜をすると良いことがある」という形で相手を勧誘するのではなく、自然な活動の中で「何か面白そうだ」という雰囲気を作っていくということらしい。行動分析で言うならば、ルールによる行動統制ではなく、直接効果的なオペラント強化で参加者の輪を広げろということか。

 
【思ったこと】
_20307(木)[心理]第11回エコマネー・トーク(5)ひよこさんからメイル届く

 この連載についてエコマネーのMLに報告したところ、ひよこさんからいくつかご指摘をいただいた。ちなみに、ひよこさんとは岡田真美子氏ご当人のことだ。今回のトークで配布された岡田のプロフィールには「ドイツ・ボン大学で哲学博士、趣味は勉強をすることと授業をすること、特技は水泳・小堀流踏水術2段」と書かれてあったので哲人(鉄人?)のような女性を想像していたが、なっなんと、ひよこが登場されたのでビックリしてしまった。

 3/3の日記および3/5の日記に関して、ひよこさんからご指摘いただいた点を、一部長谷川の言葉に置き換えて要約させていただくと、
  1. 今回報告があった431件のやり取りというのは最初の2か月のもの。次の2ヶ月でまた400件を超えるやり取りがあった。
  2. 「できること」、「お願いね」という登録メニュー表はレストランの見本模型みたいなもので、あれによる取引は全体の5分の1以下であった。メニュー表に載らない取引の事後申告も多く、サービスの分析はメニュー表ではなく家計簿の結果でしないとあまり意味がない。
  3. 私が「個別的なニーズに根ざしたものであり、全体として何かの課題に取り組むものではなかった」と書いた点については、一部には、「次第にエコな生活をめざそう」というような課題解決型の流れもできており、個人的なニーズの解消レベルで自己完結するものとは言えない(←この部分は長谷川の言葉)。いずれにせよ、まず目的ありき、ではなく、まず いっしょに楽しいことをしよう、という発想は大切。
  4. 3/3の日記で長谷川が書いた「キャンパスエコマネーの3つの形態」
    1. 大学内での勉学互助(各自の研究発表の相互リビュー、卒論下書きのチェック、留学生の援助、共同研究、自主ゼミなど)
    2. 大学環境内での諸活動(パソコンやネットに関する互助、草取りや掃除などの環境整備、リサイクル活動など)
    3. 大学と地域住民との交流
    に関しては、姫路でも、1.も2.も、また1+3、2+3も行われていた。例えば、学生に何かしてもらうときにも、学生に頼まれて教員が動く時にも、イベントの準備も、企画書書きも、みんなエコマネーのやり取りがある。つまりサービスがあるところエコマネーがある。
  5. パートナーシップが形成されるその過程がすでに課題解決をうながす協働の時間。実際にマネーをうごかすとそのことが良くわかる。「おこす」→「つなぐ」→「まわす」で、つなぐ、ということが非常に大切。なによりもまずエコマネー実験を実践することが、エコマネーを知る一番の早道。いろいろな課題を掲げるより、まずパートナーシップを築くことを課題にすると、無理なくたのしく、そのさきの課題に取り組んでゆける。
以上、長谷川の言葉に置き換えた部分もあるので、誤解している点や理解の至らない点があればご容赦ください。

 上記のうち3.に関しては、グリーン購入によってエコマネーをゲットするとか、ディスカッションの中で加藤先生が、「ゴルフ道具を車に積みっぱなしにしない」「家族で順番にお風呂に入る時には間隔を開けない」、「車の急発進をしない」などを守った時に自己申告でエコマネーをゲットするというアイデアが披露されたことを思い出した。

 4.の「キャンパスエコマネーの3つの形態」に関しては、果たして単一のエコマネー体系だけで成り立つものなのか、それとも、互換性のないエコマネーを2種類以上並行的に流通させるほうがよいのか、私自身まだ考えが進んでいない。垣根を取り去るという点から言えば、何でも使えるエコマネー1種類のほうがよいに決まっているけれど、やり取りを活発にするという視点からは、タイプの異なる複数のエコマネーの流通があってもよさそうに思う。

 5.の「いろいろな課題を掲げるより、まずパートナーシップを築くことを課題にする」という発想は、マロットらのいう「目的指向システムデザイン」(『行動分析学入門』、ISBN4-7828-9030-3)とは対立するようにも見えるが、

●コミュニティ内での社会的・般性習得性好子を創造することは、ツールではなく、それ自体がすでに課題解決を内包している

と考えれば、納得ができる。
【思ったこと】
_20308(金)[心理]第11回エコマネー・トーク(6)どんぐり倶楽部の実験

 今回は、2番目の事例報告「どんぐり倶楽部の実験」(福田順子・城西国際大学経営情報学部福祉環境情報学科・教授)について感想を述べることにしたい。

 まず「どんぐり」という名称の由来だが、肝心なところを聞き逃してしまった。特に深い意味はなかったのかもしれない(昨日まで紹介した「千姫」が姫路城のヒロインにちなんだ名前であることは容易に分かる)。

 千姫が155〜180名規模だったのに対して、こちらのほうは第一次試験流通(2カ月)で約40名の参加となっている。以下に示す7つにカテゴライズされたサービスメニュー表に基づいて登録が行われ、事前説明会と電話による交渉が行われるという仕組であった。
  • 「a.家事」:買物代行、簡単な料理、料理法指導など
  • 「b.文化、教育」:日本語指導、通訳、講義開放、野球指導など
  • 「c.IT」:パソコン関連など
  • 「d.動物」:犬の散歩など
  • 「e.遊び、リラクゼーション」:話し相手、マッサージなど
  • 「f.介護、手助け」:子どもの世話、介護など
  • 「g.その他」:モーニングコール、ビデオ録画代行、悩み事相談など
配布されたのは1人あたり1万どんぐり。おおむね1時間で1000どんぐりとなっていた。

 わずか10分間の報告だったので詳しく伺うことはできなかったが、上記のサービス内容を拝見する限りでは、大学キャンパスが役割を果たしているのは講義の開放程度のものであり、どちらかというと大学生が直接地域に入ってボランティア活動を行うか、もしくは地域住民どうしの交流(料理法指導など)という部分が多いのではないかと印象を受けた。この場合、地域住民から大学生に対してはどういうサービスが提供されるのだろうか、あるいは、エコマネーの流れが一部の人たちだけの間でループを作ることは無いのか、ちょっと気になった。

 もっとも、「大学」vs「地域」というような垣根を設ける発想のほうから問い直さなければならない。これに関して、公式報告の中で田崎善克氏は、
.....私たちは「大学」そして「地域コミュニティ」という枠組みの中で交流の接点を探しがちではないでしょうか。しかしながら実際に交流をするのは、大学そして地域コミュニティの中にいる「私たち」です。つまり、私たち個人が、いかに各人の程度に応じた能動的な交流を図ることができるか? この点が非常に重要な課題ではないかと感じます。そして能動的な個人の交流が集積することによって、初めて「大学」そして「地域コミュニティ」というメリットが活かせ、本当の交流が可能になるはずです。
と述べておられた。大学が教育・研究機関として行う地域連携と、大学関係者が能動的な個人として行う活動は同一には論じられないとも言える。



 ところで、昨日までに紹介した岡田氏(ひよこさん)のところでは、「卒論の資料あつめ、研究補助、パソコン技能の教授、学内環境調査の協力など」にもエコマネーが使われていると聞いた。これに対して、福田氏の「どんぐり」のほうでは、教員が学生に何かを頼む場合にはエコマネーは使われないとのことだ。時間が無くて質問の機会を逸してしまったが、福田氏の「どんぐり」では、「教師vs学生」という関係に依拠するやり取りは意図的にエコマネー対象から外しておられるような印象を受けた。

 このほか、福田氏のご報告の中では「あまり肩をはるな」、「あまり、入れ入れと勧めないほうがよい」、「エコマネーと環境問題に関しては、必ずしも『環境=自然環境』ではなく、福祉環境という捉え方も必要」(←いずれも長谷川の記憶に基づくため表現は不確か)といったご発言が大いに参考になった。
【思ったこと】
_20310(日)[心理]第11回エコマネー・トーク(7)マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる

 今回のトークの会場でも少しばかり話題になったのだが、「エコマネー」という概念と「地域通貨」は区別されずに使われることが多い。今回事例報告された「どんぐり倶楽部の実験」(福田順子・城西国際大学経営情報学部福祉環境情報学科・教授)においても
  • 呼びかけちらしのタイトルが「エコマネー(地域通貨)実験」のお願い
  • 讀賣新聞千葉版2001年11月27日記事:善意の行動に対してお金と同じように使うことができる地域限定通貨「エコマネー」が、先月から東金市で導入されている。
  • 千葉日報2001年7月6日記事:一定地域に限定して助け合いの善意を結ぶ地域通貨「エコマネー」が、東金市で今秋に実験スタートする。
  • 地域情報紙・シティライフ東金エリア版2001年9月29日記事:エコマネーは地域通貨とも呼ばれるが、実際のお金ではない。住民の助け合う気持ち(善意)を、お金に代わって仲介するもの。
というように、「エコマネー=地域(限定)通貨」というように同義のものとして紹介されることが多い。

 「地域に限定して通用する通貨」という点でエコマネーが地域通貨の一種であることは間違いないが、決して同一ではない。この点に関して加藤氏の『エコマネーの新世紀“進化”する21世紀の経済と社会』(2001年、勁草書房、160〜161頁)は
 現在地域通貨への関心が高まっているが、単純な地域通貨の"輸入"論は危険である。それぞれの地域通貨はそれなりの目的を有しているからである。大まかにいえば、LETS【長谷川注:Local Exchange Trading Ssystem、地域交換取引制度】は経済的不況、低所得者対策、タイムダラーは少数民族(マイノリティ)、コミュニティ対策として登場している。その対比でいえば、エコマネーは、少子高齢化社会の到来、環境問題の解決などの課題を解決し日本のコミュニティ再生をめざすことを目的としている。目的や趣旨においては、イタリア「時間銀行」に近い。NPOがめざす「共」構築の通貨ともいえる。
 ただし、このようにエコマネーを位置づけることは、エコマネーの運動展開において、LETS、タイムダラー、「時間預託」、ふれあい切符などと切り分けを行うという趣旨ではない。図表の左上の位置づけを有する地域通貨はかつて登場しておらず、その意味で、エコマネーの運動展開を図っていくことは時代の要請ともいえるものであるが、前述のように、LETS、タイムダラー、ふれあい切符、「時間預託」などの地域通貨は、自立分散型社会を形成しようという点において共通の基盤を有しており、エコマネーの運動展開においてもこれらの動きと連携していくこととしている。
と述べている。

 加藤氏によれば、エコマネーを他の通貨と区別しているのは、「ボランティア経済か貨幣経済か」、「信頼関係か債権債務関係か」という2軸である。地域通貨そのものはずっと以前から各種提唱されているが、加藤氏のオリジナリティは、「ボランティア経済+信頼関係」のエリアに、新たな概念として「エコマネー」を提唱した点にあると言えよう。

 加藤氏も述べているように多様な地域通貨は互いに対立するものではなく、むしろ連携していくものであるが、それぞれの本質的な違いを十分に理解し、一緒くたに論じないように心がけることはぜひとも必要であると思う。




 「ボランティア経済+信頼関係」については、加藤氏の『エコマネーの世界が始まる』(2000年、講談社、50〜67頁)等に詳しく書かれているのでこれ以上触れない。ここでは、「エコマネーは物と交換できるか」について私の考えを述べてみたいと思う。ここでいう物とは、例えば不要となった電気製品や家具や衣類など、あるいは家庭菜園で作られた野菜、ホームメードのクッキーなどのことを言う。

 当初私は、貨幣経済に与しないものであれば(つまり、商品的価値が無いものであれば)、エコマネーの交換対象になりうるのではないかと考えていた。しかし、今回のような、サービスを主体とした交流では、それらは不適である。なぜなら、

マネーは、物と交換した瞬間に交流を終結させる

という性質に気づいたからである。例えば3/4の日記に示した「三者以上の互助関係」の図をご覧いただきたい。エコマネーに基づく交流は、メンバーが互助を必要とする限り無限に循環されるだろう。しかし、ここで、例えばAさんがBさんに不要となった冷蔵庫を譲り、代わりにエコマネーを受け取った場合はどうだろうか。BさんがAさんから受けたのはもはやサービスではない。その瞬間、BさんはAさんではなく冷蔵庫から「サービスを受ける」ことになるのだ。

 実は、日頃、「お礼の品」として贈られる菓子折にも似たような意味がある。菓子折を渡すということは、自分の受けたサービスの代価を「支払う」という意味と同時に、

●今後、私のほうから貴方様にはサービスいたしません。

という交流の打ち切りの意思表示であるとも言える。仮に菓子折を贈らない場合は、近々、相手方から別のサービスを受けることになるはずだ。

 では菓子折ではなくエコマネーを支払うということはどういうことか。それは

●これからもサービスを提供しましょう

という意味であるが、必ずしも、相手方からのサービスではなくコミュニティの誰かからのサービスという点で、特定の2者関係に限定されるものではない。エコマネーの効用は、このように、2者間の交流の頻度ばかりでなく3者以上の多様な繋がりを形成するところにあると言えるだろう。

 以上、エコマネーは「モノではなくコトを交換する」ことが基本になるかと思う。但し、モノであっても、サービスの結果として完成されたモノであれば交換の対象になると思う。例えば、小学生がおじいさん、おばあさんのために絵を描く(←結果として作品を贈る)、屋根瓦の補修をする(←結果として屋根ができる)、空き地に花壇を作る(←結果として花壇ができる)、などは結果としてはモノとの交換になっても、サービスが含まれているので、交流の終結には至らないと思う。
【思ったこと】
_20314(木)[心理]第11回エコマネー・トーク(8)「実験研究」と「試行積み重ね」のどちらがに情報的価値があるか

 別の話題を取り上げていたために3日ほど空いてしまったが、3/1に行われた「エコマネートーク」の感想の続き。

 今回のトークでは兵庫県姫路市の「千姫」と千葉県東金市の「どんぐり」の事例報告が行われたが、
  • 「千姫」ではプレ実験→第1次実験→第2次実験
  • 「どんぐり倶楽部」の事例報告タイトルは「どんぐり倶楽部の実験」
というように、いずれも「実験」という言葉が使われていた。また「千姫」主宰の岡田氏は「「更新」実験のよさ:リセットができる」とも言っておられた。

 長年、実験心理学の世界にどっぷり浸ってきた私のような立場から見れば、こういう形で「実験」という言葉が使われることには多少違和感があった。心理学研究における実験的方法の意義と限界(1)でも指摘したように、私が考える「実験研究」というのは、少なくとも
  1. 研究対象に対して何らかの働きかけを行うこと。
  2. システマティックな働きかけであること。
という2点を満たしていなければならない。「うまくいくかどうか分からないが、とにかく実際にやってみて、うまく行きそうな部分は伸ばし、うまく行かないところは改めていけばよい」という取り組みであるならば、それは「試行」(エコマネーに関して言えば「試験流通」)とは言えても、独立変数を厳密に統制し従属変数の変化を観測するというレベルの「実験研究」とは呼べないからである。

 しかし、それでは、この種の取り組みで実験研究は本当に求められているのだろうか。心理学の卒論や修論の序文にありがちな
○○については、現実場面で広く行われており、その有効性を支持する事例も多数得られているが、実験的に検討されたことは一度もなかった。そこで本研究では.....を操作し、○○の有効性を実験的に検証することを目的とする。
などという意義づけは本当に意味があるのだろうか。

 昨年6月にオーストラリアでダイバージョナルセラピーの研修を受けた時にも思ったことであるが、実は、日本国内で実際に高齢者福祉施設を運営したり現場で活動している人々にしてみれば、心理学者なるものがダイバージョナルセラピーを実験的に検討して何らかの有効性を「実証」したところで、現場に活かせる情報は殆どゼロに等しい。せいぜい「○○大学でその有効性が実証されている」というお墨付き程度の宣伝効果しか無い。

 実験的研究の弱点については、心理学研究における実験的方法の意義と限界(2)「象牙の塔」と現実をつなぐものでも述べた通りであるが、特に
  • 1つの要因や1つの行動変化ばかりに注目して、全体の連関や変化を見失う恐れ
  • 無限に近い要因が関与する現実場面からの乖離
という2点は、現場から見れば致命的な欠陥であるとも言えよう。




 もう1つだけ脱線するが、実験研究が現場に役立たない例として「結婚」を挙げることができるだろう。AさんとBさんが結婚すべきかどうか迷ったとする。結婚の有用性は、はたして実験的に検証できるだろうか。その際にとりうる方法というのは、
  • デートして時間を共有してみる
  • 貯金通帳を共同で使ってみる
  • 一緒に暮らした場合と、別居した場合の充実感を「充実尺度」で比較してみる
などという実験が考えられるが、いくらそれを反復検討したところで、おそらく最終的な結論は出てこない。ある人との結婚が人生をどう変えるかということは、結局のところ、結婚してみないと分からないのである(←結婚生活19年の私の実感こもった発言)。




 元の話題に戻るが、エコマネーで重要なことは、一般法則の発見や実証ではなく、それぞれの現場が実情に合わせて取り組みを活性化することにある。人間の健康に例えるならば、医学的・栄養学的な知識の集積よりもむしろ、健康で活発な個人を増やすが第一ということだ。各自が披露する「健康法」には過信や迷信が含まれているかもしれないが、そのような体験例が100も200も寄せ集まれば、「一致と差異の併用法」(『クリティカルシンキング 入門編』ISBN4-7628-2061-X、68〜75頁参照)によって、健康に有益な情報がある程度引き出せることになる。

 個体内ではきっちりした実験計画に基づくものでなかったとしても、各団体からの多様な実践報告が集められれば、全体としては、有用な情報になりうる。基本的な指針とツールだけを固定し、あとは参加者の自発的能動的関わり(=オペラント)に委ねたほうが、人工的な統制実験から要因を見出すより遙かに優っていると言えるかもしれない。




 以上、実験的検討のマイナス面ばかり書いてきたが、だからといって、実験心理学や行動分析学で培われた方法が全く無用ということにはなるまい。各地の実践報告が他地域で活用されるためには、やはり、何がどう操作されたのかは客観的、再現可能な形で記述されていなければならない。成果についても、ただ「面白かった、楽しかった」ではなく、個人や集団のどういう側面がどう変わったのかを多様に測定しておく必要がある。プロジェクトがうまく進まなかった時に、その原因を「やる気のなさ」などの精神主義に帰属させず、「行動とその結果」という随伴性概念に基づいて改善させていくためには、操作や測定をきっちりさせておくことが大前提となると思う。
【思ったこと】
_20318(月)[心理]第11回エコマネー・トーク(9)紙のお金と、通帳型と、ポイント管理のどれがよいか

 エコマネーやり取りの形態としては
  1. 印刷された紙幣型のエコマネーを実際に受け渡す
  2. 利用者が自ら、「金額」や「収支」を「通帳」に記入する
  3. ネット上でポイント管理する
という3方式が行われていると聞く。前回の第10回エコマネー・トークの参加報告の中で、この件に関して
エコマネーは、ネット上の数値の増減では表現できない。ちゃんとデザインした紙幣のように、物理的媒体でやりとりすることが大切。
と記したことがあった。理由は、その直後に、タンジブル(tangible)な結果を随伴させることが、生身の人間の直接的な交流を強化する上で最も効果的であると考えたからである。

 この点から言うと3.は、効率はよいかもしれないが、数値の変化だけでは具体的な結果は見えてこない。サービスを受けたことに感謝しながら、紙幣のように形のあるものを直接手渡してこそ、効果があるのではないだろうか。少なくとも行動分析の知見からはそのように推測できる。




 では2.はどうなのだろうか。通帳型は具体的な受け渡しが無いため、1.より効果が少ないのではないかと思っていたが、最近ではむしろ、通帳型のほうが、やり取りの内容を記録していくという点で累積的な価値があり、自分探しや自己実現にも役立つと考えるようになってきた。

 昨年末に連載した「地域通貨とエコマネー」の12/5の記事の中で私は
地域通貨の紹介番組で、いくつかの地域では、紙幣型ではなく通帳型で「取引」をしている地域がいくつかあることに気づいた。交流だけを前提にするならば紙幣型のほうが優れていると思われるのだが、なぜだろうか。おそらく、記録がもたらす「累積価値」を高める効果があるように思えるのだがいかがだろうか。いろいろなアルバイトの収入が記帳されている通帳は、残高がゼロであってもそれ自体大切な宝物となる。これと同じように思われる。
と書いたのは、まさにこのことを意味している。使わなければ意味が無いのだから、通帳の残高は常にゼロに近い。しかし、通帳は、やり取りが重ねられるごとに、記録行数が増えているという点で累積効果がある。千姫プロジェクトの資料の中に
第1次実験 千姫大賞:表彰は「やり取り件数」で〜千姫は貯めてもほめられない 高所得よりむしろ利用回数
という記載があったが、利用回数というのはまさに通帳の記帳行数に反映するのだ。




 さらに、3/5の日記に記したように、エコマネー「千姫」は
  1. 「できますよ」登録効果:自分に会える、自分探し、自己開示
  2. 人の輪効果「つなぐ」:日常知り合えない人との交流
  3. 振り込み効果「あらわす」:自己実現、認められ、感謝される喜び、感謝を表せる喜び
という3つの効果をもたらすと主張されている。通帳に取引内容を具体的に記しておけば、「自分が何ができるか」、「何を求められたか」、「どういう人から求められたか」、「何をしたか」、「何をしてもらったか」、などが記録に残ることによって、自分の得意とするジャンル、これから開拓すべきリパートリー、交流の質の変化などが分かってくるだろう。これは大学教育でよく使われる「ポートフォリオ型自己育成」と相通ずるところがある。[ポートフォリオについては例えば昨年2月17日の日記の後半部分を参照されたい]。

 今回のトークでは、「千姫プロジェクト」や「どんぐり倶楽部」に参加した学生たちが感想を述べるコーナーがあったが、このように、参加者個々人が何を体験したのか、どう変わったのかを知ることはたいへん大事ではないかと思う。そのさい、エコマネー発行量や流通量がコミュニティ全体の活性化指標となる一方、通帳に記された交流記録は、構成員個々人の自己実現指標として重要な役割を果たすはずだ。

 なお、上記で、ネット上でポイント管理はあまり推奨されないように書いたが、ネット上であっても、これらの取引内容が具体的に記録に残るならば同様となる。但し、いつでも記載内容を閲覧できることが肝要かと思う。
【思ったこと】
_20319(火)[心理]第11回エコマネー・トーク(10)コミュニティの適正規模、孤独を愛する人への対応など

 3/1に行われたエコマネー・トークの感想の10回目。キリのいいところで連載を終了したいと思う。

 今回は、エコマネーが流通するコミュニティの適正規模、不参加者への対応について考えてみたい。

 2002年3月現在で、「エコマネー」を推進しようとしているのはおよそ100地域。その中でも最も先進的と言われている栗山町の場合は、第2次が553人。第3次は800人〜1000人を想定しているという。また今回報告のあった「千姫」は第1次実験が155名、第2次実験は180名、「どんぐり倶楽部」は40名であったという。

 参加者が多ければ多いほど多様なサービスがやり取りできることは確かだが、その分、お互いの顔が見えにくくなる。登録は完了したが、結局何の交流も無かったというメンバーも出てくるに違いない。また、顔が見えにくくなれば、若い女性との交際だけを目的にした参加者も出てくるだろうし、ことによるとストーカー的なつけ回しをする人も出てくるかもしれない。特に都会で不特定多数に募集をかけた場合、単なる住所氏名確認程度でリスクが回避できるのか、今後の検討課題になるかと思う。

 少々脱線するが、この件で連想してしまうのが、「日記才人」というWeb日記リンクサイトの膨張である。私が参加した5年前(当時は「日記猿人」と呼ばれていた)には、この日記を含めて参加者は700人足らずであり、しかも全員が毎日書いているわけではないので、その気になれば全部の日記に目を通すこともできた。ところが、3月3日現在の累積登録数は1万7337にふくれあがった。5秒に1篇ずつ日記を読んだとしても、1分間で12、1時間で720、24時間で17280となるので、現実に読破することは困難。こうなると、もはや「コミュニティ」全体の交流は無い。私自身、1日に30人程度の方の日記を拝読しネット上でのメッセージ交換を続けているにすぎない。




 一個人における交流の適正回数というのもあるはずだ。今回報告された「千姫」の第1次実験(2001年10/9から12/9の2カ月)では、やり取り件数(利用回数)が一番多かった人は38回であったという。60日あまりの期間で38回、つまり2日に1回程度であるならばそれほど負担にならないと思うが、もし、1日あたり2時間も3時間も利用ということになると、煩わしさを感じる人も出てくるかもしれない。もっともエコマネーの発想は「ねばねばとした人間関係ではなく、さらさらと暖かい人間関係を求める」ことにあるのだから、共依存のような現象に至ることはあるまいが。いずれにせよ、この問題は、加藤氏が論じられている時間や幸せについての議論、あるいは内山節氏の『自由論〜自然と人間のゆらぎの中で〜』(岩波書店、1998年、ISBN4-00-023328-9)などと関連づけて論じる必要がありそうだ。




 極端な場合として、交流を望まず孤独を愛する人、何らかの理由で不参加を表明している人にどう対応するかという問題が出てくるのではないかと思う。エコマネーの対象が、グラウンドワーク、ゴミのリサイクル、介護福祉など広範囲にわたってくると、

●それをしなくても構わないが、すればよいことがある

という「好子出現による強化」ばかりでなく

●それをすれば現状が保てるが、怠るとよくないことがある

という「好子消失阻止」あるいは「嫌子出現阻止」の随伴性も不可欠となってくる。例えば、放置自転車問題などそうだが、自転車を駐輪場にちゃんと駐車した場合にエコマネーを受け取るようなシステムを作ったとしても、不参加の人は相変わらず駅前に迷惑駐輪を続けるだろう。環境問題は、「モラル」や「意識」の問題ではなく、本質的には

●塵も積もれば山となって大きな害となるような結果は、人間の行動を変える力を持ちにくい。

という行動分析の原理に依るところが大きい。これを改善するには、人為的に結果を付加する必要があるわけだが、善意(=「好子出現による強化」)だけですべてが解決できるかどうかははなはだ心もとない。エコマネーが、相互扶助(交流)→課題発見→協働というように発展を遂げる中で、このことに注意を向けていく必要があるかと思う。




 もとの話題に戻るが、岡山大学では、21世紀構想に基づき、「自然と人間との共生」研究プロジェクトがスタートしている。私自身は、そのメンバーとして、主として大学構内における環境問題の総合的な解決のためにエコマネーを活用できないかどうか、準備を進めているところだ。

 不完全ではあるが、以上をもって今回のエコマネー・トークの感想を終了させていただく。