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家族介護者教室

“「老いる」ということ〜感謝し感謝されるかかわりを大切に〜”


2001年10月6日(土)
岡山市・北ふれあいセンター



目次


【思ったこと】
_11006(土)[心理]「老いる」ということ(1)小中学生には、まず元気なお年寄りを見せろ

 連休初日は、妻に誘われて近くの福祉センターへ。

家族介護者教室“「老いる」ということ〜感謝し感謝されるかかわりを大切に〜”

という講演を拝聴した。講師は、ノートルダム清心女子大教授の高塚延子先生。長年の実践経験に基づく貴重なお話を伺うことができた。

 この日の2時間のご講演は、
  1. 「老い」についての誤解
  2. 「新老人運動」の提唱者の日野原重明・聖路加国際病院理事長の紹介ビデオ
  3. 介護を必要とするお年寄りへの接し方
という三部構成になっていた。今回は、このうちの1.について感想を述べたい。

 高塚先生は、現在2つの大学で福祉関係の授業をされているが、老いに対しは暗いイメージを抱いている学生が多い。そこで、介護についての具体的な指導に入る前に、小倉遊亀(おぐら・ゆき)さんの紹介ビデオを通じて、高齢のお年寄りの元気な生きざまを見せ、イメージを明るくことにつとめたという。このような発想は、机の上の学問からは生まれてこない。長年の実践経験があればこそ、その必要性を察知されたのであろう。



 最近では「奉仕活動の義務化」の先取り、あるいは、総合教育の一環として、高齢者福祉施設を訪れる小中学生も多い。そんななか、ある地域の学校では小学生をいきなり介護施設に連れて行ったという。ところが訪問後の感想を聞いてみると[いずれの長谷川のメモによるため不確か]
  • 寝ていた
  • おしめしていた
  • 語りかけたけれど返事がなかった
  • かわいそうだった
  • くくられていた。悪いことをしていたんだろう
というようなマイナスの感想がかえってきた。

 これは私にとって非常にショッキングな話だった。これでは何のための教育か。まるで、高齢者が「可哀相な人」、「弱い人」、「汚い人」、「できればなりたくない存在」であることをインプリンティングしているようなものではないか。

 高塚先生も強調しておられたが、小中学生にはまず、元気で、社会の役に立っている老人に会わせ、尊敬やあこがれを懐かせるような教育を進めるべきではないか。「おじいさんやおばあさんから教えてもらう」体験なしに福祉施設を慰問したって、「おじいさんやおばあさんは退屈で可哀相だから歌や劇をやって慰めてあげました」という感想しか生まれてこないのは当然だ。

 この種の問題は、核家族化で、高齢者の生活空間と子供の生活空間が物理的に引き離されてしまったことに大きな原因があるように思う。96歳で亡くなった私の祖父の場合も、最後は寝たきりになったが、私が子供の頃は、工作の仕方をいろいろと教えてくれた。業者に頼まず何でも自分でこなす時代を生きてきただけに、柱時計の分解掃除、井戸のパッキンの取り替え、ニワトリ小屋づくり、あげくのはては、ブリキ板を半田づけして太陽熱温水器まで作った。残念ながらそうしたスキルは私自身には全く継承されなかったけれど、とにかく、そういうことへの尊敬やあこがれを体験した後に、寝たきりの状態に接したのであった。

 こう考えてみると、奉仕活動の一環として高齢者施設を慰問させる前に、小中学校の授業の中で、いろいろなお年寄りから話を聞く機会、魚取りや野菜作りや日曜大工の技術を教えてもらう機会をもっと確保することが大切ではないか。今回の講演でその必要性を強く感じるようになった。次回に続く。
【思ったこと】
_11007(日)[心理]「老いる」ということ(2)新老人運動/「葉っぱのフレディ」

 昨日の続き。高塚延子先生の講演は、
  1. 「老い」についての誤解
  2. 「新老人運動」の提唱者の日野原重明・聖路加国際病院理事長の紹介ビデオ
  3. 介護を必要とするお年寄りへの接し方
という三部構成になっていた。このうちの2.では89歳でいまなお現役でご活躍されている日野原重明さんご登場のビデオが紹介された。日野原さんの睡眠時間は1日5時間、つまり毎日19時間の活動をしておられる。これを一般人の活動時間に換算すると365年も長生きしている勘定になるとか。しかも、移動中はクッションつきのボードを持ち歩き(今の若者で言えばクッション付きのノートパソコン)、待合いのベンチでも飛行機の中でも原稿書きをされるとか。食事もきわめて短時間という超人ぶりだ。

 日野原さんは、昨年の9月30日に、「新老人運動」を旗揚げされた。ここでいう老人とは、75歳以上の元気なお年寄りのことを言う。75歳までは完全な現役、そこから先はボランティアで才能を社会に活かすというのがこの運動の趣旨らしい。

 日野原さんも指摘しておられたように、65歳以上の人口と、生産人口と言われる15〜64歳の人口の比率は1999年が24%、2025年になると46%になるという。若い人に頼っていたのでは到底、高齢者を支えることはできない。この意味でも、65〜74歳のパワーはぜひとも必要になってくる(ちなみに2025年には私は73歳。まだまだ現役としてで駆り出されていることだろう)。

 もう1つ重要なことは、それまでの仕事と違う新しいことを始めよということだった。日野原さんご自身、「葉っぱのフレディ」の音楽劇の脚本にチャレンジされた(あらすじはここから。関連記事が週間医学界新聞や、ZAKZAKにあり)。生きた時間は短いが、生きたという事実は生き続けるというようなセリフからいのちについて考えさせられる。

 ビデオで日野原さんは、「愛すること、創(はじ)めること、耐えること」と色紙にしたためた。かつて、よど号乗っ取り事件の時に犯人たちに手を縛られた時にも耐えたのだという。

 こういう元気なお年寄りの姿を見ていると、私の人生もまだまだ半分ちょっと過ぎたあたりという感じがしてくる。といって、60歳の時にガンで亡くなった母親の寿命から逆算すればあと11年余りしか生きられない。いまはとにかく現役で頑張るしかない。次回に続く。
【思ったこと】
_11008(月)[心理]「老いる」ということ(3)「終わりよければ.....」という発想

 昨日の続き、この連載の最終回。高塚先生の講演は
  1. 「老い」についての誤解
  2. 「新老人運動」の提唱者の日野原重明・聖路加国際病院理事長の紹介ビデオ
  3. 介護を必要とするお年寄りへの接し方
という三部構成になっていたが、今回はこのうちの3.について感想を述べることにしたい。

 3.では、介護をする際の留意点について、長年の実践経験に基づく貴重なお話しを伺うことができた。

 2.で言及した「葉っぱのフレディ」でも描かれているように、どんなに元気なお年寄りでも最後は死を迎える。マザーテレサのいちばんの偉業は、誰にも見取られることもなく孤独に死を迎えようとしている人に、せめて最後ぐらいは安らかに迎えさせてあげようという趣旨の「死を待つ人の家」を作ったことにあるという。人生はオセロゲームのように黒(ここでは不幸)と白(ここでは幸福)を織り交ぜて最後に至るものであるが、最後に置いた白石によってすべてがひっくり返ればそれでよしと考える。逆に、人生の中盤で白石が多くても、最後に黒ばかりになってしまうようでは空しいものだ。

 この「終わりよければすべてよし」とする発想については、賛否両論があるかと思う。私自身は、最後にどんな惨めな死に方をしても、過去の栄光が消えることはあるまい、一発で白黒が反転するオセロよりは、むしろ、ある程度の石を取ったり取られたりする囲碁程度のものではないかと考えているのだがどうだろうか。

 さて、話を元に戻し、そういう最後を迎える前の段階では介護に際して何に気をつける必要があるのだろうか。高塚先生が言われたことの中で特に参考になったのは、「聖フランシスコ兄弟の家」という施設に掲げられているという標語のうちの
  • 「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と決して言わない人は幸いです。
  • 楽しかった昔をとりもどす方法を知っている人は幸いです。
という部分。高齢者は記憶能力のうち、最後まで「保持」の能力を残している。昔の思い出話をするのは、まさにそれを使っているからであり、面倒がらない姿勢が大切だという。「音楽療法」、「絵画療法」、「写真療法」なども、私などが主張する「いま、能動的に関わる」ことよりも、昔を思い出すことに意義があると言っておられた。この点はもう少し検討してみる必要がありそうだ。

 もう1つ、そしてメインテーマであったのが、感謝についてのとらえ方。感謝というのは、老人のほうがまだしゃきっとした人の側にいて、最後まで残された「相手に喜びを与える」というたった1つの力を使っていることなのだと言われた。このあたり、どちらかと言えば孤独を好む私にはなかなか実感できないところがあるが、大切なことだとは思う。

 講演後、この「感謝」が自立を妨げ共依存をもたらすことは無いだろうかと妻に話したところ、少なくともヘルパーの講習を受けている人だったら、そこらへんはちゃんと分かっているはずだと言われた。

 以上、うまくまとめることはできなかったが、3回にわたり講演の感想を述べた。今後の高齢者福祉の議論に活かしていきたいと思っている。