じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa



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心理学この百年

1999年10月8日〜10月12日
【思ったこと】
991008(金)[心理]心理学この百年(1)性理学、変態心理学、千里眼研究...

 10月2日から10月23日までの毎土曜日、岡山大学文学部で「岡山大学創立50周年記念 文学部教養講座 人文学と社会--この百年--」という公開講座(有料、申込み受付終了)が行われている。私もそのうちの1回分を分担しており、9日の午後に「21世紀に残る心理学・忘れ去られる心理学」というテーマで話をすることになっている。

 少々不穏当で挑発的なタイトルになってしまったが、要するに講座全体の企画目的に合わせて20世紀の心理学を振り返り21世紀を展望するという趣旨だ。

 わずか90分の講演なのでどこまで話せるか分からないが
  1. 現代心理学の成立の経緯
  2. 「心理学」という名前の由来
  3. 二次資料に頼ることの危うさ(パブロフの実験装置とアルバート坊やの「神話」のはなし)
  4. 日本の心理学研究成立の経緯
  5. 戦前と戦後の主たる研究の動向
  6. 現時点における心理学研究の問題点(学術誌論文の引用頻度、業績主義の弊害など)
  7. 21世紀に求められる心理学とは?
というような内容を考えている。

 ところで心理学の歴史というと、ヴントとかワトソンのことがすぐ頭に浮かぶけれど、日本国内での心理学の歴史のことは、私自身がかつて受けた授業の中でも殆ど取り上げられてこなかったように思う。これに関して今のところ参考になりそうな書籍と言えば『通史 日本の心理学』(佐藤達哉・溝口元、北大路書房、1997年)ぐらいのものだろうか。

 この本はまず前史のところで「心」という漢字が心臓の形から作られたものであること、やまとことばの「こころ」は「凝る」が語源ではないかといったことが記されている。「凝る」がどのようにして「こころ」に繋がったのかは定かではない。

 「心理学」という名前は、西周が1875年から1876年にかけて日本で最初に「心理学」というタイトルの本を訳出したことがルーツとされている。但し少し前にはpsychologyの訳語としては「性理学」という言葉もあてられていたという。「心理学」という訳語が安定したのは1887年頃というのが同書の分担執筆者太田恵子氏の見解だ。

 訳語のことで思い出したが、さいきん、ある出版社のセールスマンが「変態心理学」の復刻版のパンフレットを持った来た。この「変態心理学」というのは今で言うところのアブノーマル・サイコロジー(異常心理学)のことで、かつては東京帝大の講義題目にちゃんと掲げられていたという。「変態」という言葉が今のような使われ方をするようになったのはいつ頃からなのだろうか。ちなみに、「変態心理学」の講義が東京帝大から消えたのは、福来友吉博士の失脚をきっかけとしている。但し失脚の理由は、千里眼など超自然現象や心霊研究に端を発したものであり、上掲書の137〜155ページに興味深い経緯が記されている。
【思ったこと】
991009(土)[心理]心理学この百年(2)公開講座終わる/元良勇次郎・心理学通俗講話・『心理研究』誌

 昨日の日記に記したように、土曜日午後は岡山大学公開講座で90分の講義を担当。午前中はトレーナーに作業ズボンという格好で用水からナマズを救出していたが、昼食後は一張羅に着替えて講演内容のチェックと追加資料の印刷など。話し忘れたことがあっても次の回に補足できる通常の学部講義と異なって、こういう講座は1回勝負となる。それだけに伝えたい内容に的を絞り時間配分に気をつかわなければならない。

 昨日もとりあげたように、この講義では日本国内の心理学研究成立の経緯にもちょっとふれた。私が引用したのは元良勇次郎と松本亦太郎。

 このうち元良勇次郎(1858-1912)は『通史 日本の心理学』(佐藤達哉・溝口元、北大路書房、1997年)では「心理学研究者としてわが国で最初に自立し得た」人として紹介されている。私が引用したのは、1912年に創刊された『心理研究』巻頭にあった7項目の発行趣旨の言葉。この『心理研究』というのは我が国最初の心理学専門誌であるが、当時の公開講座のような企画「心理学通俗講話』の内容も活字化されており、通俗誌としての性格を併せ持っていた。幸い、岡大の図書館には第一巻が保管されており、そのままコピーしたものを資料として配付させていただいた。

 元良氏の示した7項目(漢字・仮名遣いを現代文に改めた原文は上掲書の161頁に引用されている)の中には、心理学に関する知識の普及、実際的応用への興味促進、教育・法律・芸術・精神修養などへの心理学の応用、海外の研究紹介、心理学に関係する時事問題の評論、読者との責任ある質疑応答、精神科学関連書の批評紹介などが掲げられている。投稿者の推定年齢(←心理学会名簿に大学卒業年が記されている)33.06歳、。最頻値27歳、殆どの論文が1回程度しか引用されないという現在の『心理学研究』(9月5日の日記参照)に比べると、『心理研究』は一般社会に開かれた内容と姿勢を持っていたことが読みとれる。

 なお、この『心理研究』誌は、『日本心理学雑誌』とともに1925年に廃刊。翌1926年から『心理学研究』誌に引き継がれた。次回は、松本亦太郎についてふれる予定。
【思ったこと】
991011(月)[心理]心理学この百年(3)松本亦太郎と優良種族育成論

 一昨日の日記の続き。本日は松本亦太郎氏をとりあげたい。『通史 日本の心理学』(佐藤達哉・溝口元、北大路書房、1997年)によれば、松本亦太郎は1865年群馬県生まれ。1886年に第一高等中学校に入学、夏目金之助らと同級であったが文科主席で卒業。1896年に米国イェール大学に入学し「音空間の研究」でPh.Dを取得。翌年には助手に任じられたものの1897年にドイツのライプツィヒ大学に官費留学。ヴントの指導を受けた。1906年に京都帝国大学文科大学の心理学講座教授に就任。これが我が国最初の心理学講座であったという。その後、東京帝大の元良勇次郎氏の死去に伴って1913年から東京帝大の教授になり1926年に定年退官。1943年に死去された。

 このように、松本亦太郎は、日本の実験心理学研究の開祖として知られているが、その活動範囲は多岐にわたっていたようだ。一昨日にとりあげた『心理研究』(1912創刊、1925年に廃刊)も『心理学研究』(1926年創刊、現在に至る)も、第一巻の最初の論文は松本亦太郎氏が執筆されたものだが、そのタイトルは前者が「優良種族の消長」、「藝術進路の心理學的考察」となっていて、実験心理学とは無関係の内容になっている。

 幸いなことに岡大の図書館ではいずれの論文も容易に複写ができる。このうちの「優良種族の消長」をざっと拝見してみたが、今の時代であればたちまち人権問題あるいは障害者差別として非難を受けそうな記述があったのには少々驚いた。この講話は第十六回心理學通俗講話會講演として行われたものの記録であり、そのの終わりのあたり(29頁〜)を見ると
 第一は低能、精神病、盲唖、犯罪人と云ふやうな劣等なる人間を減少せしむるには如何にすれば宜いかと云ふ如き問題を研究し又或る気候の処【マダレつきの「処」】で生存しようとするには、どう云ふ結婚を奨励するのが宜いかと云ふ如き、局部的具体的の問題を研究するのである。
と記されている(ネット上の表示の都合で旧字体の一部を改めた。以下同様)。もっともこうした記述があるからという理由でこれを差別文書と見なすわけにはいかないだろう。当時にはそうした発言に拍手喝采を浴びせる時代的背景があったからだ。こうした考えがどの時点で、現在の臨床心理学の流れに転換していったのか、それについてどのような内部点検がなされてきたのか調べてみる必要がありそうだ。

 松本氏はさらに優良種族学の目的について
要するに優良種族學は人間心身の特質の自然の分配を二様の点に於て人為的に矯正せんとして居るのであります。是即ち第一は民族全体の文明的価値を向上せしめようとし、第二は、卓絶の度を高めるのみならず、卓絶したものを益【ますます】多数ならしめようと云ふのであります。
とした(31頁)上で
...偶然の勢力に翻弄されて居る以上我々人間は到底未開人たるを免れぬ。苟も開明の人間であるならば、偶然の勢力を意志的に制御して利用する道を講ぜなければならぬのである。人間の文明価値は我々の努力と工夫に依ってだんだんに之を上昇せしめて行かねばならぬのである。優良種族學は文明民族の衰頽に対する科学的反抗の声であります。此反抗の為めに文明民族の生命を延長せしむるは必しも不可能の事では無い、つまり不都合の多い世の中を我々人間の理想に適ふ様な状態に改造して行くのが文明民族の仕事でありはせぬかと思ふのです。大変に長い間お話をいたしまして相済みませぬ。是で御免を蒙ります。(拍手喝采)
当時の時代的背景についてもう少し調べてみる必要がありそうだが、一方で知覚心理学の実験に取り組んでいた松本氏が、講演でこのような現実問題にふれて優生学的立場から我々人間の理想に適ふ様な状態に改造するために偶然の勢力を意志的に制御して利用する道を模索しておられた点は興味深い。おそらく当時の国策にも合致していたのであろう。
【思ったこと】
991012(火)[心理]心理学この百年(4)みんな輝いていた?

 
 昨日の日記の続きで、この連載の最終回。昨日は松本亦太郎氏の「優良種族の消長」という論文(『心理研究』第一巻、1912年)を引用したが、それに限らず、当時の研究論文には興味がそそられるものが多い。同じ『心理研究』第一巻の総目次の「講話」のタイトルを順に追っていくと、
  • 優良種族の消長
  • 骨相と人相
  • ポンチ書と機知
  • 「うらなひ」の話
  • 日本画に現れたる松と鶴
  • 一葉女史の小説に現れたる子供
  • 縁起の話
  • 趣味の社会的教化
  • 指紋の話
  • もの忘れの心理
  • 漢字の心理
  • 生来犯人
  • 心理上より見たる修養
  • 狂歌及び川柳に現れたる滑稽趣味
  • 結婚と遺伝
  • 近視眼の詩人と其心理
となっており、眉唾モノもありそうだが、興味をそそられることは確かだ。これらは、心理學通俗講話會講演として行われたものの記録であるから、聴衆へのサービスという面も否定できない。

 次に1926年発刊の『心理學研究第一巻』の総目次の最初の部分を見ると
  • 藝術進路の心理學的考察
  • 現代心理學に於ける方法論的基調
  • 内地人児童と台湾人児童との心性比較調査報告
  • 二歳児の距離知覚
  • 道徳判断に関する統計的研究
  • 練習の効果曲線及び疲労曲線に就いて
  • 心理学に於ける行動研究の諸意義
  • 継起的瞬間露出器の構造と其使用法
  • 軍隊性能検査
  • 軍隊に於ける心性の比較
  • テストの採点とその整理方法
  • 児童の色彩好悪
  • 成人に於ける色彩嗜好に関する研究
  • 色彩の美に就いての実験
  • 色及び音の調和に対する感情の現はれ方
というように続いている。当時の時代背景を反映したタイトルもあるが、全体にタイトルを見ただけで「何について書かれてあるか」が誰にでも推察できるような内容になっている。

 これに対して、と言っては何だが、いまの『心理学研究』誌掲載の諸論文には、タイトルだけ見た限りでは、あまり興味のわかないものが多いことも事実。9月5日の日記で紹介したように、
  • 1982年以降、『心理学研究』に投稿された論文の第一著者は638名で、これは日本心理 学会の最新の会員数の13.5%にすぎない。
  • 著者の推定年齢(←心理学会名簿に大学卒業年が記されている)は33.06歳。最頻値は27 歳。投稿者の年齢幅は22歳から67歳まで及ぶが、そのうち20〜39歳の投稿者による 論文が全体の82.10%を占めている。
  • 10件以上引用された研究者は38人。殆どの論文は1回程度しか引用されていない。
というのがいまの『心理学研究』の現状だ。テクニカルの面では格段に進歩したし、先行研究の積み重ねも遙かに進んでいるとは思うけれど、導き出される結論部分で、何が新しく分かったのか、現実に還元できる部分がどれだけあるのか、ということを考えるとさてどんなものかと思ってみたくもなる。心理学史の研究は業績になりにくく、あまり取り上げる人も居ないが、このあたりで、過去の研究で提起された諸問題がどういう形で解決されていったのか、あるいは依然として未解決なままになっているのか、整理してみる必要があるようにも思う。