R.W.Malott教授講演

“行動分析学から見たセルフマネジメントについて”
(1996年10月19日)
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国際会議のあとR.W.Malott教授は、慶應大学で特別講義をされ、さらに、鳴門教育大の島宗先生のところにしばらく滞在されました。御滞在中は、学校、公文教室、自動車工場、(阿波?)人形劇、饅頭製造工場などを次々と訪問されたそうで、たいへん貴重な体験になったと喜んでおられました。

岡山と鳴門の間はたぶん150kmぐらい離れているかと思います。高速道路が高松の手前までしかのびていないので、3時間近くかかりました。修士課程学生1名、2回生1名、1回生7名という“大集団”で参加させていただきました。

講演会では、主として“重要な問題になぜすぐに取り組まないのか”、つまり“先延ばし(procrastination)はどうして起こるのか”について行動随伴性の視点から説明し、どうやって先延ばしが起こらないようにセルフマネジメントをしていくかという内容のpresentationが行われました。

周知のように、行動分析では、ある行動をすることによって行動直前の状態が行動後にどう変わったのかということを重視します。先延ばしをする行動の最大の特徴は、1回の反応によってもたらされる変化があまりにも小さい(infinitesimal)ということにあります。positiveな例で言えば、毎日の博士論文の執筆行動(1日に執筆できる量は論文全体から見ればごくわずか)、negativeな例で言えば環境汚染(1回あたりの排水や排気の量は何の変化も及ぼさない)をあげることができます。但しいずれも、1回の変化は小さくても“塵も積もればたいへんな結果をもたらすことになるので、何とかして行動を維持しなければなりません。それを実現させるのがセルフマネジメントということになります。

Malott先生の講演は、DOS/Vノート型パソコンで作成した音声や映像つきの画面を透過型のカラー液晶を通してOHPで投影するというやり方で進行するのでたいへんわかりやすく、強いインパクトを与える効果をもっているように思います(但し、講演をビデオで録画するのは難しい)。

講演後の懇親会で、なぜput offやpostponeの代わりに難しい"procrastinate"という言葉を使ったのかという質問が出ました。これに対してMalott先生は、”"procrastinate"はネガティブな印象を与えるが、postponeを使うと中性的な意味になってしまう”という説明をされました。つまり、“雨が降ったので遠足を延期した”という時には"postpone"は使えるが"procrastinate"は使えないのだそうです。上に述べた“先延ばし”は“ぐずぐずしていてなかなか始めない”という意味ですのでとうぜん"procrastinate"を使うことになるのだと思います。


[Image]岡大から参加した学生と講演前に歓談するMalott教授

さて、私はかねがねMalottのセルフマネジメントの理論で“**しないと5ドル失う”という阻止の随伴性が強調されている点について、もっとpositiveな形のマネジメントはできないものかと疑問を持っていました。さらにSkinnerの“罰なき社会”についてMalottがどう考えているのかも聞きたいと思っていました。今回、国際会議とこの講演会の2度にわたり直接お話しする機会があったのでさっそく尋ねてみたところ...、

まず、Skinnerの“罰なき社会”については、はっきり誤りであると指摘されました。そして、ソファの近くの壁を示して、“この壁にぶつかれば痛いだろう。だから、我々は、壁にぶつかることを回避するように歩く。これはpositiveな統制ではない。Skinnerの理想社会でも壁をなくすことはできない”というようなことを言われました。

今回の講演会の夕食会の時にも、“(締切間際まで修論の執筆がうまく進まない人の場合について)修論の下書きを書かないと5ドル失うというかわりに、論文を書いた日は1ポイント獲得し、ポイントがたまったら好きなテレビが見られるような伝統的なセルフマネジメントのやり方ではどこが悪いのか”という質問をしてみました。Malottはこれには否定的でした。つまり“そのやり方では、論文を書かなくても失うものがないから、積極的に行動を変えることにはならない、deadlineがある課題に取り組む場合にはaversiveな制御しかできない”という理由によるものです。この指摘には私も同意しますが、何か、もっと楽しいpositiveな形の統制はできないものかと、思案をしている最中でもあります。