冬のソナタに捧げる

2006年1月25日バージョン Copyright(C)長谷川芳典







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「冬ソナ病」から立ち直り、私自身の心の落ち着きを取り戻すために、
19話「公園で二人はお互いの愛情を確かめながらも、お互いに振り返らずに別れる。」からラストの再会シーンまでの部分をカットし、100%納得できるようシナリオを書き換える試みです。

登場人物のカタカナ表記
  • チョン・ユジン
  • カン・ジュンサン/イ・ミニョン【韓国語では、語の先頭は濁音にはならない?らしいので、名前だけ呼ぶときは「チュンサン」と表記することにします】
  • キム・サンヒョク
  • オ・チェリン
  • コン・チンスク
  • クォン・ヨングク
  • キム・ジヌ(サンヒョクの父)
  • カン・ミヒ(チュンサンの母)
  • チョン・ヒョンス(ユジンの亡父)
  • キム次長
  • イ・ジョンア
  • ミヒャン【私が新たに勝手につくった登場人物。名前の由来はご自由に想像してください。ユジンのパリの下宿の養女。ユジンより3歳年下。】

原作品との相違点と目的
  • 「実は異母兄妹ではなかった」は、ユジンがフランスから戻るまで誰も知らない。
    →異母兄妹でなかったことを知った後で、ユジンとチュンサンが分かれるのは納得できない。
  • サンヒョクは、ミヒャンを愛するようになる。
    →原作では、サンヒョクがあまりにも気の毒。



本文



(1)第19話の途中
公園で二人はお互いの愛情を確かめながらも、お互いに振り返らずに別れる。【原作の通り】

(2)
別れたあと、ユジンは、もっと自分を高めてから2人の関係を見つめ直そうと思い立ち、3年間のパリ留学を決意する。パリに渡ったユジンは、パリ在住の韓国人老夫婦の住む家に下宿する。老夫婦は、ミヒャンという、ユジンより3歳年下の女の子と一緒に住んでいた。ミヒャンも韓国人であったが、7歳の時に、両親を事故で亡くした。老夫婦はそのことを不憫に思い、また夫婦の間に子どもが居なかったことから、養女としてミヒャンを育てることになったのである。


(3)
パリで、老夫婦、ミヒャンの3人と一緒に暮らすようになったユジンは、決して忘れることのできないチュンサンの写真がミヒャンの部屋の棚に飾ってあるのを見つけて驚き困惑する。

ユジン:チュンサン、...この写真チュンサンでしょ。どうして、チュンサンがここに居るの?
ミヒャン:いえ、その方は、イ・ミニョンさんていうのよ。私の命の恩人なの。今から8年ほど前のこと、ミニョンさんは、アメリカからパリへ留学にやってきてここで過ごしていたのよ。とっても優しい方だったわ。
ユジン:でも、命の恩人って?
ミヒャン:ミニョンさんが来られてしばらく経った時、私は、重い骨髄性の病気にかかったの。その手術の時に、輸血してもらったのよ。
ユジン:そうだったの。
ミヒャン:でも不思議ねえ。その手術って、DNAがよく似た人の血液が無ければ成功しなかったそうなの。そんな人って、10万人に1人しか見つからないの。ところが、奇跡が起こったのよ。ミニョンさんの血液を調べたら、私の手術にピッタリ合っていたのよ。お医者さんが言っていたわ。兄妹か従兄弟でなければそんなことあり得ないって。
ユジン:ミヒャンさん。ミニョンさんとはどんなふうにお付き合いしていたの?
ミヒャン:ミニョンさんは私の命の恩人だし、とっても素敵な人だったけど、私とは付き合ってくれなかったのよ。あの人、アメリカから来る前に一度交通事故に遭ったことがあるんですって。それより前のこともちゃんと覚えているんだけれど、時々、何か思い悩んでいたわ。誰か大切な人を失ってしまったような...って。
ユジン:それでどうなったの。
ミヒャン:留学が終わる頃になって、オ・チェリンさんという方と恋人同士になって、そのまま韓国に帰ったわ。だけど、変なのよ。韓国に戻ってからは、一度も手紙が来ないのよ。どうしたのかしら、オ・チェリンさんと結婚したのかもしれないけれど、一度くらい連絡してくれてもいいのに...。


(4)
そのあと、3年間近くの間、ユジンは同じ下宿に住み、下宿の老夫婦やミヒャンと楽しい生活を送った。でも、ユジンは、チュンサン(ミヒャンにとってはイ・ミニョン)のことをミヒャンには語ろうとしなかった。

いっぽう、ユジンと別れてからアメリカに渡ったチュンサンは、そこで脳の手術を受ける【原作の通り】。しかし、命は助かったものの次第に視力を失っていった。2年後、チュンサンは完全に失明した。不憫に思った母親のカン・ミヒは、韓国のとある島に、チュンサンのために新しい家を建ててやることになった。その家の設計は、チュンサンが失明前に描いた図面通りであった。そうしてさらに1年の月日が経ち、その家は完成した。


(5)
パリでの留学がまもなく終わる頃、キム・サンヒョク、コン・チンスク、クォン・ヨングク、オ・チェリンの4人が、観光目的でパリを訪れ、ユジンに会いに来た。試験勉強で急がしいユジンに代わってミヒャンは4人をパリ見物に案内した。サンヒョクとミヒャンはとても親しくなっていった。


(6)
パリでの留学が修了したユジンは、韓国に戻る。かねてから祖国に行ってみたいと言っていたミヒャンもこれに同行した。

ソウルで、ユジンとミヒャンは、キム・サンヒョク、コン・チンスク、クォン・ヨングク、オ・チェリンの4人と歓談する。いっぽう、チュンサンの消息はアメリカに居るらしいという噂があるだけで、誰にも分からなくなっていた。


(7)
ミヒャンが韓国滞在から再びパリに戻ろうとする直前、とんでもない事件が起こった。ミヒャンが階段で足をすべらして背骨を強く打ち、手術をしなければならなくなったのである。その損傷の度合いから輸血が必要となったが、前の手術と同様に、DNAがよく似た人の血液でなければ成功しないことが判明したのである。
その時、ユジンが外科医に向かって言う。

ユジン:先生、私の血液を調べてください。以前にミヒャンが輸血してもらった人と、この私は実は兄妹なんです。ここでミヒャンは、初めてユジンとチュンサン(イ・ミニョン)との間に起こったことを知る。

さっそく緊急手術の用意が整う。ところがここで重大な事実が判明した。

外科医がユジンに向かって言う:残念だ、キミの血液型は適合していない。だいいちキミはチュンサンという人と兄妹だとか言っていたが、そんなことあり得ない。例え異母兄弟であっても、同じ父親から、この2つの血液型の子どもが生まれることは医学的にはありえない。

ここで初めてユジンは、じつは「実は異母兄妹ではなかった」可能性があることを知る。しかし今はそれどころではない。ミヒャンを救わなければ。

ユジンは、ミヒャンと血液型が適合する輸血提供者を捜すために、知っている人たちすべてに、血液検査をしてくれるように頼む。すると、思いもよらぬ結果が分かった。なんと、キム・サンヒョクの血液だけが、ミヒャンの手術に完全に適合していたのであった。


(8)
ミヒャンは、キム・サンヒョクからの輸血のおかげで奇跡的に快復した。このあと、ミヒャンとキム・サンヒョクの間には新たな恋が芽生える。なお、戸籍をたどった結果、ミヒャンとサンヒョクは遠い親戚であったことが後に判明した。
ミヒャンが快復して落ち着きを取り戻した時、ユジンやサンヒョクや仲間たちは、ここで重大な事実があったことにやっと気づく。ユジンとチュンサンが兄妹ではないことは医学的に証明されていたのだ。


(9)
この話を聞きつけたキム・ジヌ(サンヒョクの父)がカン・ミヒを問いつめる。カン・ミヒは、自分はウソをついていないと言い張る。しかし、その後、カン・ミヒが身を投げた時に治療にあたった精神科医をキム・ジヌが問いつめたところ、実はカン・ミヒの記憶は自殺未遂直後に塗り替えられていたことが判明した。これはカン・ミヒを絶望から救うために必要な治療であったと精神科医は述懐する。チュンサンはチョン・ヒョンスの息子であると思い込まされていたのだ。

こうして、チュンサンはチョン・ヒョンスとの間ではなく、キム・ジヌとの間に生まれた子であったということが完全に確定した。


(10)
ユジンとチュンサンが兄妹ではないという事実は、ミヒャンを連れ立ったキム・サンヒョクによって直ちにユジンに知らされた。同時に、サンヒョクは、カン・ミヒにチュンサンの居所を尋ねるが、カン・ミヒはそれは教えられないと言う。それに何かを隠している様子であった。


いっぽう、チュンサンと兄妹でないことを初めて知ったユジンは、それにもかかわらずチュンサンと会うことをためらっていた。最後に別れた時の言葉を思い出したからである。果たして今でもチュンサンはユジンと会いたがっているのだろうか。もし別に恋人ができていたら、慌てて連絡をとることはその関係をぶちこわすことになる。


(11)
じつは、ユジンとチュンサンが兄妹ではなかったという事実は、キム次長を通じて直ちにチュンサンに伝えられていた。しかし、チュンサンは完全に失明していた。チュンサンは、ユジンを幸せにしてあげる自信を失っており、やはり、ユジンに連絡をとることをためらっていた。


(12)
こうしてさらに数ヶ月の月日が流れる。

 ポラリス事務所でチョンアからある雑誌を見せられ驚くユジン。それはユジンが以前設計した「不可能な家」とそっくりのものだった。【ここから先は、原作の通り】