HB彗星日記

1997年3月30日〜4月3日
妻の実家のある北九州市に帰省した時の記録です。2泊3日で、阿蘇、久住、別府に旅行しました。

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3月29日(土)
(早朝)。 雨雲がたちこめ、全く見えず。きょうの昼頃に、北九州に向かうので、早朝に見たのは3月28日朝が最後となった。
(夕刻)。 少々遠回りであったが、新しくできた中国横断道(岡山自動車道)を通って、新見経由で北九州へ。途中の高梁SAは、北西の空がひらけていて、さぞ彗星がよく見えるであろうと思った。ずっと、雨だったが、1850頃に北九州に着いた時には、少し雲に切れ間があった。しかし、北西方向の雲は厚く、眺めることはできず。


3月30日(日):1950-2015
北日本は冬型模様、九州北部も北西の風が強く、気温は低めであった。空は抜けるような青空で、この季節としては、最高の気圧配置となった。
[Image]響灘グリーンパークにて。
午前中は仕事、午後は、家族全員と2人の姪とともに、響灘グリーンパークへ。ネモフィラやアイスランドポピーがきれいに咲いていた(もっとも、これらは自然の草花ではなく、人工環境であることにも留意しておく必要があるだろう)。
夕刻、義父母を含めて総勢8人で、岩屋海水浴場へ。この場所は、北西にひらけた海岸のなかで、北九州市近辺では最高の場所であろうと、私が勝手に選んだところである。
1940すぎに、現地に行ってみると、やはり人間の考えることは皆同じで、見物の車が10台ほど止まっていた。彗星は、準冬型の日本海の荒波を前景に、真正面に高々と輝いていた。50mm標準レンズでは、水平線と彗星を同じ視野に入れるのがギリギリであるほどの高さだった。ただ、近くの港の明るさの影響もあり、星の見えぐあいは、いまひとつで、双眼鏡でアンドロメダ大銀河をとらえることは、できなかった。
[Image]3月30日20時12分。北九州市岩屋海水浴場にて。30秒露光。ISO800フィルム使用。
[Image]【写真右】3月30日20時5分。家族の記念写真。40秒露光。絞り8。ISO800フィルム使用。
[Image]【写真左】3月30日20時9分。子供たち。40秒露光。絞り8。ISO800フィルム使用。
帰りがけに、脇田海水浴場から通称コスモス街道を通って若戸大橋へ。このコスモス街道でも、家族連れで彗星見物をしているのを見かけた。ここも北九州市近辺では絶好の場所の1つと言えよう。ただ、真北方向に、石油の海上備蓄基地があり、水平線を取り込んだワイドな写真撮影には、不向きであるように思えた。
ともあれ、日本海の荒波の上に輝く彗星を眺めたいという希望がかなえられて、まんぞくまんぞく。

3月31日
昼間
九州道を通って熊本へ。私は、人工物主体の観光地は全く好まないのだが、桜の花が満開であると聞き、熊本城へ。
[Image] [Image]
お城そのものの眺めは満足のいくものであったが、月末のせいか、あるいは消費税増税前の特殊事情によるものか、わからないが、市内はどの通りも大渋滞で、お城に到着するまで1時間、市内から阿蘇方面への国道へ抜けるのに1時間以上、無駄な時間を費やした。
平日の午後2時前後に、こんな渋滞がもし慢性的に起こっていたとしたら、とうてい都市機能は保てない。熊本市民には失礼かもしれないが、こんな状態を続けていたら熊本という名前の都市は崩壊するであろう、と言っておきたい。
阿蘇からは、遠回りを覚悟の上で、宮地から箱石峠を越えて、国民休暇村南阿蘇へ。途中、根子岳が眼前に美しくそびえていた。 [Image]休暇村到着後、夕刻に見た根子岳


1930-2105
夕食後、休暇村近くの南阿蘇ルナ天文台へ。ちょうど、HB彗星のための特別観測会をやっていて、会場には5-6台の、小型反射望遠鏡や高性能双眼鏡が設置され、20-30人の見物客が来ていた。空の透明度がよいことと、双眼鏡の性能がよいこともあって、ダストテイルの詳細な様子を観察することができた。
さらに、この天文台自慢の82cm反射望遠鏡から核近辺の拡大像を眺めることができた。ふだん私の小さな望遠鏡で覗くと核も頭も1つの塊のように見えて、木星より大きな物体が飛んでいるように見えるが、実際には核は粒のように小さく、その回りに貝殻状の模様が広がっている様子を詳しく見ることができた。
いろいろな望遠鏡や双眼鏡で、直接彗星を眺めることができたのは貴重な体験であったが、写真撮影の場所としては、いまひとつ。しかも、観察会の風景を記録におさめるためか、ときどき、ストロボの光がとぶ。そこで、天文グッズやペンションの雰囲気を楽しもうとしている妻をせきたてて、2000頃から、別の撮影場所探しに車を飛ばす。
まず、なるべく標高の高いところへ、と考え、高森峠のほうに上がってみる。確かに稜線よりかなり高いところに彗星を見ることができたが、眼下の高森の街明りが強すぎて、好適地とは言えず。
つぎに、休暇村方面に向かい、途中の、“月廻温泉(?)”とかいう所の駐車場で、阿蘇の中央火口丘を前景に2枚ほど撮影。
[Image]3月31日20時28分。月廻温泉(?)駐車場にて。28秒露光。
子どもたちや義母を休暇村で下ろし、妻と一緒に、箱石峠まで上ってみる。峠から妻子ヶ鼻方向に向かう道路を少し進んだ高台で、この日最後の写真を撮る。薄雲のせいか、街灯りのせいか、あまり好いものは撮れなかった。
[Image]3月31日20時59分。阿蘇外輪山箱石峠より妻子ヶ鼻方面へ向かったろころ。35mm。28秒露光。ISO800フィルム使用


4月1日
355-510
明け方、窓の外を見ると満天の星空、根子岳のシルエットが美しかった。客室が1階だったので、窓から抜け出して星景写真に挑戦する。
[Image]【写真左】4月1日3時57分。国民休暇村南阿蘇の広場にて。40秒露光。35mm広角使用。
[Image]【写真右】4月1日。日の出後の根子岳(右)。左は、中岳や烏帽子岳のある中央火口丘。20mm広角使用。
広場(ゲートゴルフ場)から東南の空を見上げると、カシオペアがかなり高い位置にあった。ちょうど、この方角は、根子岳と阿蘇外輪山の間の谷間になっていて、遮るものがない。これならひょっとして、早朝最後の姿が眺められるかもしれないと、すぐに布団にもぐる予定を変更して、広場でずっと夜明けを待つ。芝地は霜で白さを増し、歩くとザクザク、氷を踏む音がする。1ヶ月以上に及ぶ早朝の見物で馴染みになったとかげ座の“ミニカシオペア(W型に並んだ星)”も見える。その下のアンドロメダに続く、星の配置もなつかしい。しかし、どこにも主役の姿はない。
星図上は、カシオペアの真下あたりに現れるはずで、せめてテイルだけでも見えないかと期待したが、結局、薄明のほうが優り、肉眼では位置を確認することさえできなかった。薄明の中、東南の空の木星だけが、むなしく光っていた。空がひらけていたとは言え、こんな山の中で、4月1日の早朝に彗星を見ようなどというのは所詮、無謀な試みであったようだ。

昼間
白水村から有料道路(吉田線)を通って草千里へ。全員で、杵島岳に登る。この山は、私が学生の頃に宿泊した、阿蘇ユールホステルのペアレントから勧められた山であったが、これまでどうしても高岳のほうに足が向いてしまい、“未踏峰”のままになっていたものである。さすが、ペアレントお勧めだけあって、中岳の火口も、外輪山の眺望も最高であった。
[Image]阿蘇中岳の火口 次に、中岳の火口を覗きに行く。これまで、5〜6回、ここを訪れたことがあるが、火口に白い水が溜まっているのを見たのは、これが初めてであった。
このあと、妻の要望を受け入れて、阿蘇ファームランドへ。私の好みの場所ではなかったが、裏手の草地の崖で、子どもたちと段ボールで、そり遊びなどして、妻の長時間のショッピングを待つ。
[Image]【写真右】阿蘇ファームランドにて、草滑りで楽しむ

[Image]【写真左】くじゅう長者原から筋湯へ向かう途中。妻の顔は、掲載許可が出ないのでマスクしてあります。
1930-2045
くじゅうの宿は、飯田高原の長者原から筋湯温泉に向かう途中に位置し、北の空がひらけていて、今回の彗星見物には最高のロケーションであった。心配していた天候のほうも、春には珍しい3日続きの晴天となり、時たま薄雲がかかることはあったが、最高に近い気象条件となった。
敷地内の北側にある離れの裏に陣取って、撮影と望遠鏡による見物。太陽に最接近するこの日に、このような最高の気象条件とロケーションが揃い、2月以来続けてきた私自身の彗星見物は、いよいよのクライマックスを迎えた。
明日は雨になるとの予報だったので、フィルムを撮りきるため、レンズや露光時間を変えて、何枚も写真をとった。さらに、場所を移動し、高台から広角レンズを使った撮影なども試みる。2023頃、薄雲がかかってきたので屋外での撮影を打ち切る。
[Image]【写真左】4月1日19時40分。くじゅう飯田高原の長者原〜筋湯温泉間にて。28秒露光。
[Image]【写真右】4月1日19時59分。くじゅう飯田高原の長者原〜筋湯温泉間にて。28秒露光。ISO800フィルム使用。
彗星見物自体は、これからも、望遠鏡の視野から消え去るまで不定期的に続ける予定ではあるが、今夜以上の明るさと迫力は望めないであろう。私自身にとって、というより、この彗星自身にとって、今夜は、560億km、2550年の長旅のクライマックスとなったのである。その達成感を象徴するかのように、帰り際、ちょうど彗星のあたりを、明るい流れ星が右上から左下に横切った。ドラマでも見ているような雰囲気だった。
九重山荘の客室の窓から外を見ると、再び薄雲が晴れていて、松の木の上に、彗星が明るく光っていた。試しに、窓の手すりを前景に入れた写真を撮る。
[Image]【写真左】4月1日20時40分。くじゅう飯田高原の旅館の客室より。25秒露光。ISO800フィルム使用。
[Image]【写真右】4月1日20時45分。くじゅう飯田高原の旅館の客室より。25秒露光。ISO800フィルム使用。
なお、露天風呂から彗星を見ることも、今回の旅行の目標の1つではあったが、あいにく、この宿の露天風呂は東側を向いており、男湯の北側に女湯がある。火星や北極星までは何とか見えていたが、身を乗り出して彗星を眺めようとすると覗きと間違えられるので、この件は諦めることにした。

4月2日 昼間
[Image]くじゅう花公園にて。妻の顔は、掲載許可が出ないのでマスクしてあります。
[Image]岡城址にて。妻の顔は、掲載許可が出ないのでマスクしてあります。
筋湯からくじゅう花公園を経て、竹田市の岡城阯へ。私にとっては25年ぶり。天気予報では雨になるはずだったが、薄日もさすほど。桜の花、満開。ウグイスやホオジロが鳴き、自然と一体となった故城らしい雰囲気にあふれていた。この城壁や桜を前景に彗星を入れたら、さぞかし素晴らしい写真が撮れることだろう。
竹田からは、私の好きな、日本一の炭酸泉のある長湯温泉に行く計画であったが、時間の関係で諦め、57、10号線、さらに大分自動車道を通って、別府へ。
妻と子どもたちはアクアビート。私は、義父母を宿へ送る。
いったん降り出した雨がやんだので、夕刻、別府温泉保養ランドの泥湯へ。ここは、別府に来るたびに1度は訪れるところで、ここに入ると、他の透明の温泉は、何とも物足りなく感じてしまう。この泥湯温泉からも、晴れれば彗星が見られるはずである。但し、1930までということなので、薄明の中で眺めることになるだろうが。


4月3日 昼間
早朝に、鹿児島で強い地震、647頃には、愛媛で別の地震があり、別府でも震度2-3程度の搖れがあった。外は、大雨。今回の旅行は出発日からずっと晴天にめぐまれた。もし1日でも日程がずれていたら台無しになるところだった。
午前中、妻と義父母は、竹博物館へ。私は子供たちとアクアビートへ。スーパールーレットなどで遊ぶ。以前にディスニーランドのスペースマウンテンに行った時にも思ったことであるが、さいきん、この種の施設でスリルを感じなくなってしまった。年をとると、加速度や回転に対して鈍感になるのだろうか。
午後は、茶房信濃屋で昼食をとってから、伽藍岳中腹の塚原温泉へ。
[Image]伽藍岳中腹 ところが、取付まで来てみると、この時期は閉鎖中であることがわかった(ガイドブックには、年中無休となっていたのだが)。少しだけ登ってみるが、温泉そのものは野趣あふれる私好みの温泉で、開館時期にはぜひ訪れたいところであった。ただ、伽藍岳への登山者には、あまり親切ではないようだ。
塚原温泉が閉まっていたので、明礬温泉のえびす屋温泉へ。ここは、露天風呂(混浴)のほか、男女別の砂むし、箱むし、炭酸泉と硫黄泉が揃っていて、なかなか楽しめる。特に、炭酸泉は、特に私の好む泉質であった。なお、この明礬温泉から山を登ったあたりには、いくつか“秘湯”がある。天気のよい時に、いちど訪れたいものである。
雨の中、宇佐、中津、行橋経由で北九州へ。


4月4日 昼間
900に北九州を出て、遠回りながら全線、中国道を通り、岡山自動車道(中国横断道)経由で、岡山へ帰る。このルートは、山陽道経由より、たぶん50kmほど長くなるが、車が少ない上に山間部の景色が美しい(それにしても、昼過ぎに立ち寄った某SAには、普通車4台とトラック2台しか止まっていなかった。これで経営は成り立つのだろうか、ちょっと心配)。今後も、積雪期以外は、このルートを利用したいと思っている。私たちを追いかけるように、西から強い雨雲が近づき、夜は大雨に。