970625(水)
[心理]血液型と性格をまじめに考える(8)
 きょうは、血液型性格判断における“思い込み効果”のことを書こうと思う。思い込みの例は、歴史でも小説でも数え切れないほどある。コロンブスはアメリカをインドであると思い込んでいた。ロミオとジュリエットは、思い込みによって悲劇に終わった。
 血液型性格判断の場合の思い込みとは、“**型は、OOという性格である”と決めつけてかかることである。 血液型性格判断の本ばかり読んでいると、自分や他人の性格がその本の指摘どおりであるような固定観念をもってしまう恐れがある。たとえば、「A型は優柔不断である」と書かれていると、A型の自分は本当に優柔不断な人間であると思いこんでしまう。あるいは「B型は協調性がない」という記述を読んだあとでは、B型の相手の協調性のない部分だけが目につき、協調的な側面を見落としてしまうのである。
 人は、自分や他人が失敗した原因をしばしば性格的特徴に帰属させる。そのこと自体、本当は問題視しなければならないのだが、そこに血液型性格判断に基づく思い込みが入ってくると、さらに原因の固定化がすすむ。つまり、“あの人があんなことをしでかしたのは、**型だからだ!”というような安易な原因帰属を助長する。血液型は取り替えることはできないので、失敗を反省して改善のための方策を見出す、という努力を放棄する結果になりかねない。
 子供の教育における思い込みは、さらに問題が多い。先日のTV番組では、行田市の太井(おおい)保育園で、週に2回、血液型別の縦割り保育を実施していると紹介されていた。3-6歳の子どもたちは、まだ行動特徴が定まらず、能力的にもさまざまな可能性を秘めている。そういう個性を細かく観察する以前に、「**型は、こういう特徴があるから、**型の保育をすべきだ」というような色眼鏡をかけてしまうことは、まさに思い込みの弊害をもたらす。

 以上、思い込み効果の弊害ばかりについて書いてきたが、それでもなお思い込みが起こるのは、何らかの強化子が随伴しているからに他ならない。
 たとえば、思い込みには、“迷い”を消し去る効用があると言ってよいだろう。勉強法にしても、職業選択にしても、いろいろと迷うよりは、“これがゼッタイ自分に合っている”と思いこむほうがよい結果をもたらす場合もある。情報化社会の現代に思い込みが起こるのは、無限に近い情報が氾濫するなかで、とりあえずの結論を下す、という、暫定的な整理整頓効果があるためだと考えられる。
 したがって、私は、血液型性格判断に基づく思い込みが100%悪いとは主張しない。ただ、自分や相手を知るための地道な努力を怠り、多様な可能性や長所を見逃す危険があることは、理解していただきたいと思う。