970621(土)
[心理]血液型と性格をまじめに考える(5)
 昨日、少数のサンプルでは血液型分布の比率が偏りやすいということを述べた。しかし、血液型人間「学」の本を見ると、どう見ても偶然ではなさそうなデータもかかげられている。こういうデータが一例でも見つかれば、“血液型と性格は関係がない”という一般常識の反例となると思う方もおられるかもしれない。
 さて、自然科学では一般に、ある比率の偏りが偶然か、それとも何か意味のある偏りなのかを客観的に判定するときに、統計的検定を行う。
 たとえば、コインを30回投げて表が10回、裏が20回出たとする。これは偶然なのか、それとも裏が出やすいように細工されたイカサマのコインなのか、判定する必要があったとしよう。検定をするためには、まず、正常なコインを30回投げたとき、表が10回またはそれ以下となる確率を計算する。2項分布の表から、この確率は4.9%つまり5%未満であることがわかっている。5%未満ということは、滅多に起こることではない。こういう時は、コインが正常だという主張に固執して被害を被るよりは、イカサマのコインだと判断して別のものに取り替えたほうが得策だ。よって、この例では、コインは、5%水準でクロだと判定されることになる。
 言うまでもないが、これは、絶対的な証明ではない。正常なコインでも、30回中30回とも表が出ることだってある。逆に、イカサマのコインでも、ぴったり15回ずつ、表と裏になる場合だってあるだろう。だから、統計的検定に基づく判断は、かならず誤りをおかす危険性をはらんでいる。とはいえ、現実の出来事というのは、いろいろな要因が複雑に作用しているので、経験的事実だけから真偽を判断することは、殆ど不可能に近い。もし“絶対的真理”にこだわって、どっちつかずの態度をとっていたのでは何も進歩しないし、だいいち実用的に困る。例えば、ある薬に治癒効果があるかどうかを判定するとき、100%効くことが証明されるまで待つわけにはいかない。きのう日本に上陸した台風7号の進路予想をする場合でも、24時間後の位置を100%予想できるわけではない。そういう意味で、誤りをおかす危険性を承知しつつも、統計的検定によって物事にシロクロの判断をせざるを得ないことが、世の中には、いっぱいある。
 さて、ここで注意していただきたいのは、上記の“5%水準”というのは、5%ぐらいは偶然に起こりうるということを意味している。仮に、47都道府県の県庁所在地で、それぞれの代表が30回ずつコインを投げたとしよう。すると、47×0.05=2.35であるから、そのうちの、おおむね2つの都道府県では、表が10回以下になることが期待される。もちろんこれは偶然の結果であり、何の不思議もない。この時、「XX県とYY県では、コインを投げると表が出やすい」とか、さらにエスカレートして、「XX県とYY県は、特殊なパワーが働いているため、コインを投げると表が出やすい」などと主張しても、誰も相手には、してもらえまい。
 ここで、血液型性格判断に話を戻す。例えば、100種類の職業について血液型の比率の偏りを調べたとしよう。かりに、血液型の比率と職業の違いとの間に何の関係もなかったとしても、100種類を個々バラバラに統計的検定にかければ、このうちの5種類ほどでは、血液型比率の分布は有意に偏っていると判定されてしまう。都道府県別のコイン投げと同様だ。つまり、偏りが顕著であったものだけをつまみ食いして検定にかければ、いくらでも都合のよい結論を出すことができるのである。

 このシリーズを始める発端となったテレビ番組では、コンビニでの支払い行動が血液型によって違っているかどうか、調べていた。結果は、どの血液型でも小銭を出す行動には差が見られない。ところが、受け取ったお釣りを財布に入れる前に確認した人の比率を調べると、A型が136人、O型が32人,B型が35人,AB型が19人であり、A型が多かったと言う。この話を聞くと、やはり、お金の払い方には血液型による差があると思ってしまうかもしれない。
 しかし、それではなぜ、小銭の出し方には差がなかったのか。また、店員と挨拶を交わす人の比率、買い物の時間や金額は、どうであったのか? みんな有意な差があったのだろうか?
 もし、コンビニでのいろいろな行動を調べ、最も偏りが顕著だったものだけをピックアップして紹介していたとしたら、それは全くフェアではない。「XX県とYY県では、コインを投げると表が出やすい」という結論と同じ誤りをおかしていることになる。
じつは、科学研究でも、こういうズルをする人がいる。例えば、ネズミを2種類の生育環境で飼育し、体重、寿命、活動性、学習能力など、さまざまな項目で差を調べたとする。この環境の違いがゼッタイに重要だという固定観念にとらわれている研究者は、どこかで差が出るはずだ、と血眼になって調べる。体重、寿命、活動性、...、どれにも差は見られない。あっ、やっと見つけた。A条件のほうがB条件より、禿げているネズミの数が有意に多かった。これはストレスの影響に違いない。よって、2種類の生育環境は、ストレスに違いがもたらすことがわかった...、というように結論を導くズルである。この場合、なぜ、禿げの数だけ有意さがあったのか、他の項目ではなぜ差がなかったのか、その両方を合理的に説明できる理論を展開しない限りは、我田引水・願望思考型のインチキ実験だと言われてもしようがない。

 もうひとつ、先日のTV番組では、プロ野球の優秀選手の血液型比率をとりあげていた。それによると、優秀投手の血液型には偏りがなかったが、優秀打者について調べてみたところ、最多本塁打、生涯通算安打、生涯通算打点のTop10は、いずれも殆どがB型とO型であったという。1つならともかく、本塁打、安打、打点のどれをとっても偏りがあるのだから、これこそ、血液型人間学が正しいことの証明だ、と考える人も多いかもしれない。しかし、ここには少なくとも3つないし4つのトリックが潜んでいる。