970709(水)
[心理]血液型と性格をまじめに考える(12)わかりまへんことはわかりまへんちう勇気
 人は、意外な現象があるとすぐに説明を求めたがる。さいきんも、こんな話を聞いた。  しかし、実験室の中ならともかく、無限に近い要因が複雑に作用して生じる現実の世界で、たった1つの原因によってある現象が起こったと考えるのは、そもそも無謀ではないかと思う。
 現実の世界では、多数の要因が同じ程度に作用して生じる場合がある。こういうものは、ふつう“偶然に起こった”現象と呼ばれる。“偶然”というのは、物事の最終原因を表す言葉としては必ずしも妥当ではないが、少なくとも、“この出来事は、そんなに単純な原因だけで起こったものではありませんよ”というへりくだった態度を表明していると受け止めることもできるだろう。
 何か、物事が起こった時、マスコミはすぐに専門家の説明を求める。おだてられた専門家は、不確かな情報に基づいて、ごく少数の要因だけでそれを説明しようとする。ほんとうは、“これは複雑すぎて一口では説明できません”とか“これは、殆ど偶然に近い出来事です”と言ってもよいはずなんだが...。あの専門家は何も知らないなどと言われるのがこわいからかもしれない。
 以前、血液型性格判断に関して、同じような意見を書いたことがある[長谷川芳典 (1994). 目分量統計の心理と血液型人間「学」.詫摩武俊・佐藤達哉(編) 現代のエスプリ324 『血液型と性格 その史的展開と現在の問題点』,pp. 121-129. ]。原文をそのまま引用すると、自分で書いた文章とは言っても著作権侵害になる恐れがあるので、ここでは、原文を大阪弁に変換して引用することにしたい。
 わいたちは、何ぞの比率に違いが見られるとすぐに説明を求めたがるちうわけや。表一のような数値を見ると、単に「偏りがある」と錯覚するだけでなく、その「偏り」の原因を性急に見つけようとしてしまうわ。こうした「答え欲しがり屋」の欲求を満たすべくまことしやかな「説明」を用意しとることも血液型人間「学」の根強い人気の一因になっとるように思うわ。
 少々話題が外れるが、新入社員(毎年15人採用)の中で「ラーメン」より「ざるそば」の好きな人が5年前の5人から今年は10人に増えたちう例を考えてみようわ。この事実に対して「成人病を意識して脂っこいものを避ける人が増えてきたためだ」と説明すればああそうかと思う人もいるやろうわ。せやけどダンさん例あげたろか。たとえばやなあ、その会社が長野県に支社を開設したために長野県出身で信州そばの好きな人が大量に入社した可能性もあるちうわけや。会社の近くにおいしいそば屋が開店してそば好きが増えたせいかもしれへん。さらに、複数の原因の相互作用によって生じた可能性もあれば、原因となる要素があまりにも多すぎたり複雑に絡んでいるために「偶然による違い」としか説明でけへんような場合だってあるちうわけや。「成人病を意識して脂っこいものを避ける人が増えてきたためだ」ちうのは、ホンマは「説明」ではなくて単なる事後解釈やこじつけの一つにすぎないちうわけや。それは「答え欲しがり屋」を安心させる反面、他の原因を探ろうとする頭の働きを止めてしまうわ。
 そもそも現実の世界では一つや二つの原因だけで違いが生まれることはめったにないちうわけや。まことしやかな事後解釈に惑わされることなく、わかりまへんことはわかりまへんと言える勇気をもって、いろいろな原因を地道に分析していこうではおまへんか。
 “わかりまへんことはわかりまへんちう勇気”を持てば、人間の行動を安易に説明したがる傾向は減るだろう。そうなれば、血液型性格判断などに頼る必要もなくなってくる、と思うわけだが、わかってもらえまへんかいなあ。
【上記の大阪弁の文章作成にあたっては、ホームページ大阪弁化計画を利用した。なお、私は東京で18年、そのあと京都で15年暮らしたが、大阪弁のことはよくわからない。上記の文章でも、文の途中部分にぎこちなさが目立つが、どう変えたらよいかは分からない。大阪人の方ごめんなさい。
<補足>上の文章は8日の夜に書いたものであったが、9日の朝日新聞で、河合隼雄氏がまことに適切な指摘をしておられた。上記に関係する部分を引用しておく。
今回のような事件が起こると、それの癒しを考えるよりは、早く忘れたり、否定したりしたがる人が多い。そのような方法で一番手っとり早いのは、事件の「原因」を単純に決めつけ、それによって何か話が解決したように思うというのがある。「家族」「学校」あるいは、特定の人々を「原因」と考え、それを攻撃し、自分は攻撃する側に回って安心する。これはごく一般に行われ、確かに、何か話が「わかった」と思えるし、自分に責任がないことは明らかになるし、それもよかろうと言えるが、癒しという観点からは、まったく別のことで、それによって傷を深くする人を増やすだけだ、という認識はもたねばならない。