じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典

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2004年版(1)

目次
【思ったこと】
_40604(土)[心理]美容整形や血液型番組の差別性

 6月1日だったと思うが、夕食後、妻と娘が美容整形番組を視ていた。向老期の女性のほか、写真を送っただけでお見合いを拒否され一度も恋愛をしたことが無いという女性、さらには、前歯が出ているために「河童」というあだ名をつけられ、水の入った洗面器に顔を押しつけられるなどのイジメを受けた若い女性が登場。いずれも、美容整形(ヘアスタイルや服装チェンジを含む)により変身し、めでたしめでたしで終わるというような内容だった(←番組の一部しか視ていないので、全体の趣旨は不明)。

 声高に人権、差別、セクハラを叫ぶようなことは性に合わない私ではあるが、ああいう取り上げ方をしてよいもんだろうか、と少々疑問に思った。医療上安全が保障されている範囲で自分の意志で美容整形手術を受けるのは、その人の勝手である。しかし、ああいう番組で、容姿、外見だけで女性の価値を決めつけられたということを問題視せず、容姿、外見だけを変えることで価値が向上したかのような取り上げ方をしているのは、やはりどうかと思った。

 そう言えば、6月5日夜には、私も時たま楽しんでいる「脳力探険!ホムクル!!」という番組で、「ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント!を取り上げるとか。番組の宣伝文には
最近の医学によって『血液型が性格に関わりがある』ことは、もはや否定しようのない事実となった。

最先端の科学者たちが指摘する最新学説、『血液型によって、脳には得意不得意がある』を証明する!!
などと書かれているが、ホンマやろか。血液型性格判断の話題は、だいぶ昔にこの資料集で取り上げたことがあり、現時点では特に追記する必要を認めていないけれども、いずれにせよ、いくら娯楽番組とはいえ、個人の適性や行動傾向を決定づけるほどに血液型が影響しているなどと吹聴するとしたら、それなりの製作責任が問われる。とりあえず証拠保全のためDVD録画しておくつもりだが、もし、番組の中で、特定の血液型者が不快を感じるようなことがあったら、ぜひとも慰謝料請求をしてほしい。その際には私も支援者に加わるつもりである。

【思ったこと】
_40619(土)[心理]血液型差別番組を考える(1)血液型をネタにしないと娯楽性を保てない番組、それをもり立てる大脳生理学者

 夕食後、娘が視ていたクイズ番組に、心理学ではよく知られているダルメシアン犬の絵が出てきた。その後も、いろいろな多義図形(だまし絵)を見せて、隠された別の絵を当てるという問題が出された。画像の著作権さえクリアしているのなら、そういう図形をクイズに出すことはいっこうに構わないのだが、気になったのは、血液型差別表現だ。子どもたちだっていっぱい視ているはず。「○○型が得意な問題」などとレッテルを貼ることの社会的影響はちゃんと考えているのだろうか。

 で、いったい何のクイズ番組なのかと思ったら、何のことはない、これが、かの「クイズ!ホムクル」だったのか。あとでネットで調べたら、この日のネタは「血液型びっくり対決実験…神経質A型VS 社交的O型▽超快感…芸術脳UPだまし絵クイズ」という内容であることが分かった。多義図形(だまし絵)も各種数理パズルも、推理ものクイズも、多少クイズ好きな人なら何度も目にしている使い古しばかり。「血液型」でも加味しないと娯楽性が保てないということか。

 この番組については6月4日の日記で批判的に取り上げたことがあった。そのさい証拠を保全しておこうとDVD録画はしてあったのだが、一度も再生するヒマがなかった。なお、6/4の日記には、この番組のことを「私も時たま楽しんでいる」と書いたが、あれは全くの勘違い、私が時たま楽しんでいたのは、19時から開始の「脳内エステIQサプリ」のほうだった。




 さて、今回のことが気になったので、6月5日にDVD録画した2時間物を早送りして、とりあえず、番組全体を概観してみた(←視たくもない番組を、問題点指摘の目的だけのために2時間もつきあうのはまっぴら)。

 そこで分かったのは、やはり、「A型は几帳面」、「O型は社交的」、「B型はマイペース」といったレッテル貼りがまかり通っていることだった。時折「個人差があります」というような断り書きも出ていたが、断れば免罪されるというものではなかろう。例えば、几帳面な人と几帳面でない人が居たとする。レッテル貼りが行われていなければ、単に「あなたは几帳面だ」、「あなたは几帳面でない」と、行動傾向に言及すれば済むこと。ところがこのレッテル貼りによって、
  • 「あなたはA型ですか。だから几帳面なのですね」
  • 「あなたはA型なのに几帳面ではないですね」
  • 「あなたはA型でないのに、意外と几帳面ですね」
  • 「あなたはO型ですか。だから几帳面ではないのですね」
といった偏見が生じる。「几帳面」という客観的な行動傾向がその人の血液型によって、増幅されたり、割り引かれたりするわけだ。

 「個人差があります」と断る時の「個人差」が、血液型の違いによって生じるかもしれない行動傾向の差を圧倒的に上回るものなら、そもそも、血液型別の考察は、実用に耐えうるだけの予測力も説明力も持たないはず。ならば分ける意味が無い。「血液型による違いがあります。但し、個人差があります」というのは、そうじゃなくって、

●個人差はあるかもしれないが、血液型による差違は動かしがたい真実だ

と言っていることと同じだ。血液型による予測が外れた時の言い訳にはなっても、偏見助長の免罪には決してならないということを、制作者は肝に銘じておくべきだろう。




 この番組では、北海道大学医学部のS教授が肯定的な解説をしていることも分かった。S教授が「脳」をキーワードにそれらしき発言を続けているということは前から知っていたが、それはここではふれない。とにかく、北大教授という権威づけのもとで

●A型が几帳面、繊細、慎重であるのは、免疫力が弱いから
●O型が社交的なのは免疫力が強いから

などと公言される以上は、その社会的影響についてもちゃんと責任をとっていただきたいものだ。例えば、「あなたはA型なので免疫力が弱い」という理由で、お見合いや就職を断られた場合、どう責任をとってくれるのかということ。番組を視た子どもたちの間でイジメが起こった場合も同様だ。

 本当にO型よりA型のほうが免疫力が弱いというなら、行動傾向への因果的説明を試みる以前に、まずは医療現場での応用を考えるべきではないかなあ。血液型による免疫力の差が本当に重大であるというなら、例えば、インフルエンザワクチンが不足していた場合にはA型から優先的に予防注射を実施するという方策だって考えられる。医学部教授なら、まずは健康や医療に役立つ部分から公的な取り組みに着手すべきだと思うのだが...。

 番組の終わりのほうでは、「血液型研究家」のS氏も登場されていたようだ。おやっ、北大のS教授と「血液型研究家」のS氏は、いつから共同研究を始められたのだろう。なおざっとみた限りでは、「血液型人間学」者のN氏はこの番組には関与されていない模様。

 今回は、DVD録画を早送りしただけの情報に基づく感想。時間のある時に、もういちど念入りに録画内容をチェックし、合わせて北大S教授がどういう公的発言をされているのか、もう少し調べてみたいと思っている。

 なお「血液型性格判断」について批判的なことを書くと、必ずと言ってよいほど、抗議や嫌がらせのメイルを送ってこられる方があるが、こちらに御配慮いただき、ご意見はご自分のホームページに掲載していただくようにお願いしたい。




自治体主催の生涯学習講座から



【思ったこと】
_40715(木)[心理]血液型差別番組を考える(2)星座ランキングと血液型ランキング

 昨日の日記で、今年の6月13日に、TV朝日系の「決定! これが日本のベスト」という番組で、血液型ランキングなる放送をやっていたと書いた。じつはその放送があったことは、全く別のルートを辿って初めて知った。7月11日の参院選開票速報前に、たまたま「星座ランキング」という番組があり、その紹介サイトを探していて偶然見つけたものであったったのだ。

 この「星座ランキング」の番組は、差別性という点では6月13日の血液型ランキングと何ら変わるところが無い。番組サイトの下の方には

●星座で全てが決まるものではないので星座による偏見や差別はやめましょう。

などとアリバイ的な記述があるが、断れば免罪にならない点は「血液型」と同様だ。「星座ですべてが決まる訳ではありません。」という文は、裏を返せば、「少なくとも部分的には星座で決まる」と言っているのと同じである。




 もっとも、「血液型」に比べて「星座占い」には、たわいないという感じがするし、目くじら立てて「差別」というほどのものでも無いように思う。

 第一に、「星座占い」はあくまで「占い」。当たるも八卦、当たらぬも八卦である。星座占いで何を言われたからといって、そんなに深刻に受け止める必要はない。

 第二に、星座ランキングにも当てはまることだが、12星座占いというのは、歳差の影響を考慮に入れていない。もし生まれた時の地球と太陽と、太陽の向こうにある星座の位置関係が運命に何らかの影響を及ぼすというなら、少なくとも13星座で占うべきである。




 では、星座による性格判断はゼッタイにデタラメだと言い切れるのだろうか。確かに観念先行の占星術には科学的根拠は無い。しかし、星座というのは生まれた月日によって区分されるものであるため、生まれた時期が真夏なのか真冬なのか、あるいは、早生まれか遅生まれかということが、行動傾向に何らかの影響を及ぼす可能性は否定できないように思う。

 例えば、裸で水遊びに興じる時期と、厚着をして家の中に籠もって遊ぶ時期は、生まれた月によって大幅にずれてくる。風邪をひく年齢も同様である。このズレが性格形成に何らかの影響を及ぼすことはありうる。

 もう1つは、初めて幼稚園や小学校に入る時期の違いである。例えば、4月生まれの子どもと翌年3月生まれと子どもは同じ学年に入学するため、4月生まれのほうが相対的にからだが大きく発達段階も進んでいる。いくら個体差があるとはいえ、少なくとも幼少の段階での影響は計り知れない。

 もちろん、これら2点による差が見られた場合でも、「星座」占いが正しいということには全然ならない。生まれた月の違いが、見かけの上で「星座の違い」をもたらしただけにすぎないだけだからだ。このことは、例えば、季節が反転する南半球でデータを集めること、また、12星座の区分上で、うお座 (2/19〜3/20生)と、おうし座 (4/20〜5/20生)の間で最も差がでやすく、2学年がコミで含まれている、おひつじ座 (3/21〜4/19生)でバラツキが大きければ実証できるだろう。

 とはいえ、仮に微妙な差が確認されたとしても、実用上有用で差別を助長しないという証拠が無い限りは、単なる関心集めの目的や視聴率稼ぎのために無責任に吹聴するべきではない。

 余談だが、2003年11月11日付のネットニュースで、北海道県警が、前年までの3年間に道内であった1433件の交通死亡事故で、事故を起こしたドライバーの星座ごとに特徴をまとめたという記事があった。死亡事故が多いのは「うお座」(149件)、「やぎ座」(138件)、「かに座」(131件)の順。最も少ないのは「さそり座」で99件だったなどと言っていたが、これもずいぶん無責任な「分析」であり、「うお座」に対する差別・偏見を助長する恐れがある。警察は最低限、このことの追跡調査と、他府県で同じ傾向が見られるのかどうか、見られない場合はどう解釈するのか、説明をする責任があると思う。

【思ったこと】
_40716(金)[心理]血液型差別番組を考える(3)「関係があるかないか」より「予測ツールとして有用かどうか」という視点が大切

 昨日の日記で、星座ランキングの番組のことを書いたところ、それを読まれたのか、あるいは全く偶然に話題が重なったのか、ある方が、「私の星座は、異性にもてる星座ランキングの堂々NO1であるようだ・・・そうだったのか・・・明日から、いや今日から自己認識をかえよう。」などとポジティブな反応をしておられた。

 確かに、このリストでは、概して、ポジティブな特徴ばかりがランクされている。どの星座の人も1つくらいは喜べるように配置されているようだ。

 もっとも、6月11日の実際の番組(但し残りの10分くらいしか視ていない)では、「交通事故の件数は、うお座が多い」という事例として、うお座の被験者が左折時にバイクと接触事故を起こすシーン(←ヤラセか)を取り上げるなど、特定の星座該当者に不快感を与えるようなヒドイことも言っていた。昨日の日記にもちょっと書いたが、うお座(2/19〜3/20生)というのは、早生まれにあたり、あるいは、高校卒業時に18歳なりたてで慌てて免許をとるために4月頃に事故を起こしやすいという可能性はあるかもしれないが、とにかく、該当者には迷惑な話だ。もしそんなことで、運転手採用を拒否されたり、任意保険の金額を割増されたら、たまったものではないだろう。

 この「実験」のことでふと思ったが、TV番組では、「一目瞭然」とばかりに、「仮説」に当てはまる事例を、あたかもそれがランダムに選ばれた標本であるかのように紹介することが多い。先日のホムクルの特番でも、幼稚園児が血液型型別に4名ずつのチームをつくり、デコレーションケーキを作るシーンを紹介していた。あんなものは、チームの中に、リーダー的や子どもが含まれているかどうか、暴れん坊がいるかどうかで、いくらでも違ってくるはずなのだが、番組では
  • A型のチームは、隣のB型を作り方を覗いたり、説明看板を確認に行くなど慎重。
  • B型は、まるで泥んこ遊び。
  • O型は、こぼしまくりで、おおらか。
  • AB型は、冷めている。
などと、あたかも、血液型だけでケーキ作りが特徴づけられるかのような紹介をしていた。

 私自身は視ていないが、gooの教えて掲示板「質問:この間のホムクルで、子供の絵で分かる血液型」には、「幼稚園で子供の血液型により、絵の書き方、性格がわかるらしく良く見ていなかったので教えてください。」という質問があり、それに対して、「A型はどこから見ても桃太郎な絵を描いて生真面目、堅実さを出したが、B型は飛行機や車など描きたいものを描き、桃太郎のかけらも絵にはない。」(←長谷川による要約)といった回答が寄せられていた。子育て最中のお母さんが、こんな不確かなヤラセ番組で、自分の子どもに偏見を持ってしまわないか、心配でならない。




 もう1つ不思議に思うのは、例えば、TV朝日系の「決定! これが日本のベスト」という同じ番組でありながら、「血液型ランキング」を取り上げる時には「星座」には一言も触れず、「星座ランキング」を取り上げる時には「血液型」には一言も取り上げないという矛盾だ。それらのものが人間の行動傾向の重要な決定因になっていると一貫性をもって主張したいなら、例えば「うお座は交通事故をおこしやすい」と紹介する時には、「血液型」の「知見」を組み合わせた性格判断を提唱すべきである。逆に、血液型を考慮に入れないというなら「血液型が何であれ、うお座は事故を起こしやすい」ということを実証すべきであろう。このあたり、視聴率稼ぎのテレビ局(実際には、制作を担当する子会社)がいかに、その場限りで無責任であるかが分かる。





 仮に、血液型(AB抗原式血液型)が行動傾向の違いに影響を及ぼすという一貫性のあるデータが得られたとしよう。しかしその場合でも、星座の違い(←というか、学術的に違いがもたらされる可能性としては、生まれた月の違い)や、性差や、身長や、体重や、鼻の穴の大きさ(←1呼吸あたりの酸素供給量に違いがあるかも)、口の大きさ(←1回に口に入れられる食物量に違いがあるかも)など、種々の可能要因の差を無視できるほどに大きな影響があると実証できなければ、実用上は何の役にも立たない。役に立たないだけならよいが、予断や偏見を与えるという点で看過できない問題を含んでいる。

 なお、先日のホムクルの特番では、北大のS教授が、

●A型が几帳面、繊細、慎重であるのは、免疫力が弱いから
●O型が社交的なのは免疫力が強いから

と言っていたが、仮に免疫力と性格に相関があると言いたいならばむしろ、

●免疫力が弱い人は、血液型にかかわらず、几帳面、繊細、慎重になりやすい。
●免疫力が強い人は、血液型にかかわらず、社交的になりやすい。

かどうかを、まず検討するべきであろう。

【思ったこと】
_40731(土)[心理]血液型差別番組を考える(4)「血液型」抜きのホムクルと「ちびくろさんぽ」

 夕食後、テレビで

●「晴れ」、「横浜」、「射的」、「加藤茶」、..に共通してアルのは何か

といったクイズ番組をやっていたので、しばらく面白がって視ていたが、しばらくたって、じつはこれは、私がたびたびクレームをつけてきた「ホムクル」であったことに気づく。

 この日の番組内容は、並べ方(信号や、交通標識の左右の位置)の正誤を瞬時に判断するクイズや、すべての部屋を1回だけ通り最後に出口から出なければならないという一筆書き迷路における裏技(←入口は部屋ではないので2回通ってもよい)など、一部、使い古しながら面白い問題が多かったように思えたが、何と言っても注目すべきことは、私が視ていた限りでは「血液型」が一言も登場しなかった点である。

 「血液型差別番組」という批判を受けて制作方針を変えたのかと思ったが、ネットで今後の放送予定などチェックすると必ずしも、方針を改めたわけではないようだ。たまには趣向を変える、という程度であろうか。

 ところで、このことでふと思ったのだが、このホムクルで、「血液型」を扱った時と、「血液型」が全く登場しない内容にした時で、視聴者が行う「面白さ評価」に全く違いが無かったとしたら、この番組は、必ずしも「血液型」ネタで維持されているわけではないという証拠が得られたことになる。

 じつは、このロジックは、「ちびくろさんぽ」問題として、結構知られた議論にもつながる。この議論は、信州大学の守一雄氏(またの名を「森まりも」という)のHPに詳しく紹介されていると思ったが、8月1日朝の時点では該当サイトにアクセスできなかった。Googleで検索したところでは、ウェブで読めるいろんな意見や資料のリンク集に種々の情報がリンクされているので、とりあえずはそちらを参照されたい。

 元の問題に戻るが、ホムクルで「血液型」を取り上げた時とそうでない時で、仮に「面白さ評価」に全く違いが無かったとしても、「血液型」ネタが視聴率維持に全く無意味であるとは断言できない。時たま取り上げることが視聴行動を強化しているかもしれないし(=部分強化効果)、TV番組欄の「血液型」という見出しにひかれてチャンネルを合わせる一見さんも居るかもしれないからだ。

 それと、血液型差別を助長する恐れのある不確かな情報をまことしやかに紹介すること自体は、番組視聴率への効果がどうあれ、別に議論されなければならない問題である。

 じつは、「ちびくろサンボ」の黒人少年を黒い犬に置き換えた「ちびくろさんぽ」にも同じ問題がある。あの絵本の面白さ自体は人種差別とは無関係であるかもしれないが、だからと言って、原作の「サンボ」を読んだ子どもが、黒人にたいしてステレオタイプな見方を絶対に持たないという保証はない。

【思ったこと】
_40907(火)[心理]血液型差別番組を考える(5)「学校へ行こう」にあきれ果てる

 夕食後に散歩に出かけようとしたら、某家族が、TBS系の「学校へ行こう! 好評血液型カジノ第3弾・スイカの種を飲み込むのはAB型?それともO型?」という番組を見始めた。この日は一日中、台風18号の風雨に悩まされ「また台風か」とウンザリしていたところであるが、血液型差別番組のほうも相変わらず懲りもせずに暴走を続けている。「また血液型差別か?」と腹を立てるのを通り越して、もはやあきれ果てるといった感じだ。

 さて、この「学校へ行こう」という番組だが、番組サイトの過去記録にも残っているように、これまで何度か、血液型差別ネタを取り扱ってきたようだ(9月8日朝時点では8月17日分までしか掲載されていないが、今回の分もいずれ追加されるものと思う)。

 散歩に出かける前に視た限りで得た情報になるが、この番組では、4人のタレントの血液型を、彼らの行動特性から推理するというゲームが行われていた。その手がかりとして、怪しげな「街角調査結果」が3種類与えられており、その1番目は、スイカの食べ方が血液型によって
  • A型:キレイに食べ種はまとめる
  • B型:食べ残しが多く種はバラバラ
  • O型:キレイだが赤身が残っている
  • AB型:種を飲み込んでしまっている
というように異なっているという「データ」であった。残した種がまとまっているのかバラバラであるのか、どういう客観基準で判定しているのか、赤身が残っているとは、どのくらいのレベルのことを言うのか、種をいくつ飲み込んだのかどうやって数えているのか、などいろいろ疑問が上がってくるが、とにかく、ヤラセっぽい分類でカテゴライズされていた。

 2番目の「データ」なるものは、「おばちゃんが家に帰ってくるまで開けてはいけないよ」と言って置いていった箱を開けてしまうかどうかという調査であり、A型は開けない、B型とO型は四分六くらいで開けない、その一方、AB型は「ルールより好奇心が勝り中を見てしまう傾向が高く」、22対3という圧倒的な差で、箱を開けてしまうという結果になっていた。3番目は財布の中身の違いのようだったが、違いは聞き忘れた。




 以上に挙げた「データ」と、それに基づく「血液型あてっこ」のプロセスには、科学的心理学の立場からは容認しがたい基本的欠陥がいくつか含まれている。

 まず、すでに指摘したように、例えばスイカの食べ方をカテゴライズするという時に、どういう客観的分類基準が用いられていたのか示されていない。血液型別の比率の差がでなければ番組が成り立たないという状況のもとで、番組スタッフが主観的、または制作上都合のよいように恣意的にカウントした可能性がある。

 第二に、例えば、「AB型は、箱をあけてしまう比率が高い」という結果が得られたのが真実であったとしても、だからと言って「箱をあけてしまう人はAB型」という確率は、推測に役立つほど高くはないという点だ。これはベイズの公式を理解している人ならだれでも分かる話(こちらの記事参照)。特に日本人における絶対的比率が1割に満たないAB型者を当てるなどということは、AB型者に「他の血液型では絶対に見られないという行動特性」でも発見されない限りは殆ど不可能ではないかと思う。

 にも関わらず、番組自体における「血液型あてっこ」の正解率はかなり高かった。このような高い正答率は常識では考えられない。おそらく、データの捏造、もしくは、番組制作に都合のよい結果だけを寄せ集めた可能性が高い。これを証拠立てる一番の決め手は内部告発であるが、それを待たずしても、とりあえず、興味を持たれた人が、自分のクラスや職場などで、「スイカの食べ方」や「開けてはいけない箱を開けるか」といった調査をして血液型別の比率に圧倒的な差があるかどうかを調べてみれば簡単に分かることだ。番組の「データ」に一致するような極端は偏りは見られなかったという事例がたくさん集まれば、それだけ捏造や恣意的分類の疑いが強まる。いくら娯楽番組でも、偽りや捏造が許されるわけではない。局側も社会的に実証責任が問われることになるはずだ。




 それにしても、血液型差別発言の何と多いことか。タレントたちの「○○型は、いい加減な性格だ」とか「○○型は二重人格だ」という「何気ないつもりの発言」が、該当する血液型者の心をどれほど傷つけるか、番組制作者は真剣に受け止めているのだろうか。

 加えて、子どもたちへの影響も計り知れないものがある。超能力があると信じている人たちの多くは、テレビ番組を通じてそのことを確信していく。後に、じつはあの番組はヤラセであった、あれは手品であったということが判明しても、一度形成された「信念」はなかなか撤回されない。血液型ネタの番組も同様であり、今回のような「データ」の欠陥は、ナイーブな視聴者にはなかなか見破れないものである。

 血液型差別が子どもたちの心に刷り込まれ、それが、学校内でのイジメ、結婚差別、就職差別の潜在要因になったとしたら恐ろしいことだ。人種や民族や性に基づく差別がいけないことは誰でも知っているのに、「○○型は、いい加減な性格だ」とか「○○型は二重人格だ」と言われることがどうして人を傷つける差別でないと言えるのか、我々はもっとこのことへの怒りを表明すべきだ。そろそろ訴訟を起こす時機ではないかなあ。

【思ったこと】
_41005(火)[心理]血液型差別番組を考える(6)「いんちき」心理学研究所/ホムクル血液型差別への批判に対するTBSの回答

 9月18日に「ホムクル」、10月3日に「あるある大事典」で、血液型絡みの話題が取り上げられると聞き、どのような差別発言が飛び出すか証拠を押さえる目的でDVDハードディスクに録画しておいた。その後も時間が無く全然視ていないのだが、とりあえず、パソコンでもチェックできるようにとDVD-Rディスクにダビングした。暇をみつけて、意見を述べていきたいと思う。

 さて、このことに関連して、Googleで「ホムクル 血液型」というキーワードで検索をかけたところ、6月5日に放送された例の差別番組(私自身の意見は、こちら

●「能力探検!ホムクル!!ABOAB血液型性格診断のウソ・ホント! 本当の自分&相性のすべてがわかるスペシャル」/放送日時 2004年6月5日 19:00〜20:50

に対して、種々の批判が寄せられていたことが分かった。

 なかでも「いんちき」心理学研究所の「血液型と性格が関連している」という差別 (2004.08.06 Friday、但し、批判対象は主として「あるある大事典」) というコンテンツは、今回初めて拝見したが、血液型差別に関する諸問題をコンパクトにまとめてあって、たいへんすぐれていると思った。こういうサイトがある限り、もはや私のような「血液型ご隠居」があたふたと駆けめぐる必要はなさそうだ。このほか、少し古いがこちらの議論も大いに参考になると思う。

 そんなななか、元の6月5日の番組に関して目にとまったのが、TBS自身による、TBSの「放送と青少年に関する委員会」についてのご報告という記事であった。これは放送倫理・番組向上機構の「放送と青少年に関する委員会」から意見が寄せられたことに対して、意見と回答を公表したものである。

 このご報告ページ(※3]を見てまずあきれたのは、右上のところに「TBSでは、青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組として、特に下記の5番組を推奨しています。」の1つとしてとして、「ホムクル」が挙げられていたことだ[※2]。少なくとも、6月5日の番組を視る限り、あんなものが「青少年の知識や理解力を高め、情操を豊かにする番組」であるとは到底思えない。視聴率第一の民放という宿命はあるにせよ、あの程度の番組しか作れないというなら、受信料を取られてもNHKはやはり必要と言わざるを得ない。

 さて、TBSの回答の内容だが、
その後放送されたTBSのレギュラー番組「脳力探検クイズ!ホムクル」の血液型コーナーでは,差別に繋がりかねない表現をカットするとともに,どの血液型についてもその長所を強調するかたちで扱いました。更に「個人差があります」というスーパーテロップを出来るだけ多く挿入しました。 これらの番組については,現在まで差別的に扱われたというご意見は殆ど頂いておりません。
というのは対応したと言えるだろうか。「どの血液型についてもその長所を強調するかたち」というのは、集合論的には、それ以外の血液型ではそういう長所が無いと言っているだけのことで[※1]、差別を解消したことにはならない。「個人差があります」というアリバイ的警告も同様。個人差が著しくあるのなら、「傾向」すら語れないはずだ。

 次に
今後,血液型を扱う際には,教育関係の方から青少年委員会に寄せられた「子供たちが占いや血液型診断を信じ、いかに影響を受けやすいかを知っている。」というご意見を深く受け止め,更に慎重な番組制作を行っていくつもりでおります。
という部分だが、影響を受けるのは子どもたちばかりではなかろう。幼稚園児の「血液型別実験」などをやれば、親たちが偏見を持つことは十分に考えられる。じっさい、幼稚園で子供の血液型により、絵の書き方、性格がわかるらしく良く見ていなかったので教えてください。などという質問が寄せられているではないか。

 もう1つ、
私たちは2001年に放送した『スパスパ人間学!貴方の知らない本当の性格・好かれる理由・嫌われる理由スペシャル』の中では、血液型診断については、「基本的に否定する」立場にたって取り扱いました。
 しかし、その後免疫学の分野を中心に,免疫力と血液型の関連,免疫と性格の関連が指摘されて始めています。私たちは今回の番組では、これらの新しい研究成果をもとに幼稚園児に協力していただき、彼らの性格,行動パターンに付いての実験を行いました。
 免疫学の研究は大いに結構。しかし、「指摘され始めています」程度のレベルからどうして「新しい研究成果をもとに幼稚園児に協力していただき」という飛躍になるのだ。北大教授のSとやらが研究者生命をかけて

●A型が几帳面、繊細、慎重であるのは、免疫力が弱いから
●O型が社交的なのは免疫力が強いから

などと主張しているなら、その証拠を見せてもらおうじゃないか。

 最後に、
特に心理学の分野では血液型と性格の関連は否定されているという事は十分に認識致しております。
という箇所だが、これは大いに誤解を招く。こちらにも述べたように、そもそも「血液型と性格は関連あるかないか」というような二者択一の議論を設定すること自体が間違っているのである。何かの調査で「絶対に関係が無い」などと実証することは原理的に不可能、しかしだからといって「関係がある」ことが肯定されたわけではない。研究を進めるにあたって、どういう作業仮説を持ち続けるか、このことの理解無しには学術的な議論はできない。

 ま、それはそれとして、昨今のTV番組は、学術的な議論以前の、人間の尊厳に関わる重大な問題を抱えているように思う。仮に、ある特性について血液型による違いが検証されたとして、だからといって、それをネタにして、特定の血液型者を笑いものにしたり、結婚や就職の差別をもたらす恐れのあるような番組を作ってよいものかどうかは別である。

 時間が無くなってきたので、次回にこのあたりの考えを述べたいと思う。

※1
 性格の特徴は普通、平均より高いか低いかという形で相対的に表現されるものだ。それゆえ「X型には○○という長所がある」と表現することは、論理的には「X型以外では○○の傾向が平均より低い」と言っていることと同じ意味になる。

※2
 10月6日夕刻の時点で、ホムクルはリストから外されていた。番組が終了したことによる機械的な更新なのか、どこかで批判されたためなのかは不明。

※3
 当該記事は10月13日の時点では削除されていた。なお当方では削除前の全文を保存している。


【思ったこと】
_41006(水)[心理]血液型差別番組を考える(7)「性格論議」の3つの段階

 昨日の日記の最後のところで、
 ま、それはそれとして、昨今のTV番組は、学術的な議論以前の、人間の尊厳に関わる重大な問題を抱えているように思う。仮に、ある特性について血液型による違いが検証されたとして、だからといって、それをネタにして、特定の血液型者を笑いものにしたり、結婚や就職の差別をもたらす恐れのあるような番組を作ってよいものかどうかは別である。
と書いたことについて、もう少し深く考えてみようと思う。

 これまで血液型性格判断論議というと、

(1)Xという性格(あるいは行動傾向)に関して、血液型(ここではABO式)による有意な差が見られるか。

ということに関心が向けられてきた。この命題は、1回の調査では実証も否定もできない。統計的検定というのは常に、タイプI、タイプIIという過誤を伴うものであり、1回の調査で有意差が出たからといって、偶然による偏りである可能性は完全には否定できない。一方、有意差が出なかったからといって、関係が無いと実証できるわけでもない。科学的な研究の筋道としては、とにかく、いろいろなサンプルで調査を繰り返し、その中で一貫した傾向を見出していくことが必要である。

 さて、上記(1)はあくまで学術的なレベルにおける議論である。これに対して、私が、25年以上前からずっと主張してきたのは、実用レベルにおける議論であった。2004年6月26日の日記に記したように、これは

(2)実用に耐えうるような顕著な差でなければ、日常生活行動の予測や、適性や相性の診断には使えない。そんな不確かな道具は、エラーを増やし差別や偏見を助長するだけだ。

 例えば、

血液型がY型ではXという傾向の人が55%、Xという傾向を持たない人が45%である。いっぽう、血液型がY型以外では、Xという傾向の人が45%、Xという傾向を持たない人が55%である。Y型は他の血液型に比べてXという傾向の人が有意に多い

ということがほぼ完璧に実証されたとしよう。これは学術的には有意であっても、実用的にはあまり意味を持たない。ある人がY型であるという知識を持ったからといって、その人にXという傾向があると予測することはリスクが大きすぎる。そんな手間をかけるぐらいなら、血液型は無視して、ダイレクトに「Xという傾向があるかないか」を測定した方がよっぽど正確であろう。

 さて、上記(1)と(2)の違いについてはこれまで何度も主張したことの繰り返しであるが、問題は、上記の比率部分が

血液型がY型ではXという傾向の人が99.5%、Xという傾向を持たない人が0.5%である。いっぽう、血液型がY型以外では、Xという傾向の人が0.5%、Xという傾向を持たない人が99.5%である。Y型は他の血液型に比べてXという傾向の人が有意に多い

となったら、テレビや雑誌で遊び気分で何でもかんでも取り上げてよいかということだ。予測力をもつという点では確かに実用的価値はあるかもしれない。しかしここでいう「実用」とは、あるニーズを持った人にとっての有用性という意味であり、良いことにも悪いことにも利用される。

 例えば、上記の「Xという傾向」が「インフルエンザにかかりやすい傾向」であるならば、これは、予防上、大きな実用性をもつことになる。つまりY型に優先的にワクチンを接種すればよいからだ。

 いっぽう、「Xという傾向」が「社員として使いやすい」ことにあったとすると、経営者にとっては実用性のある情報になりうるが、就職を志す者にとっては大きな差別を受けることになる。

 性格検査や知能検査は、あくまで、それを受ける者自身の自己改善に役立てるために開発されたものであって、差別や選別の道具に悪用されることがあってはならない。血液型性格判断の場合も、「血液型別ダイエット」や「血液型別英語学習法」のように、自分自身の向上に役立てる目的であるならば、目くじら立てて批判するほどのことは無い。しかし、それが、他者を評価する道具として用いられることになる時には、慎重な配慮が必要である。「Y型の人はXだ」と安易に口にすることがどれだけ他者を傷つけているのか、番組制作者は真剣に反省しなければならないと思う。

【思ったこと】
_41011(月)[心理]血液型差別番組を考える(8)「あるある大事典」における「血液型マインドコントロール」

 連休中に、10月3日に放送された「発掘!あるある大事典2 秋の芸能人血液型スペシャル」の内容をチェックしようと思っていたが、「魔鬼城」や「カナス〜森と伝説の湖〜」などNHKのシルクロードものを視ているうちに、あっという間に3日間が過ぎてしまった。もともと私は「あるある」は好きではない。視たくもない番組の点検のために時間をとられるのはウンザリだ。

 ということもあって、今回は、番組の出だし部分について、感想を述べるだけにとどめる。

 さてこの番組では、冒頭から、
  • A型:几帳面
  • B型:マイペース
  • O型:まとめ上手
  • AB型:二面性
という特徴があたかも検証されているかのように紹介され、さらに聖マリアンナ医科大学の浅尾哲朗教授に「血液型は人間の思考パターンと深い関係があると考えています」などと「権威づけ」し
  • A型:(海馬・側頭葉)過去の経験を参考にし慎重に安全策を導き出せる。昔のことを蒸し返したり小さなことにこだわりやすい
  • B型:(前頭葉)一歩先のことを想像し行動を決定するのが得意。感情の動きにも直結しているため気分によって行動が左右される
  • AB型:2つの脳を切り替える。ミステリアスな二面性。
  • O型:(後頭葉・頭頂葉)目の前の状況を重視。周囲に気を配るまとめ上手。今さえよければと大ざっぱに済ませることがよくある。
などと「解説」していた。

 じつはこれらの「研究」は、すでに今年の4月4日に放送された「発掘!あるある大事典2 第1回『春の芸能人血液型SP』」で紹介されているらしいのだが、私はその時は視ていない。念のため当該の番組記録サイトにアクセスしたところ、なんでも
  • 実は近年、世界中の科学者がこの「血液型」に注目し驚きの研究報告が続々と発表されているのです!
    「血液型の違いで罹りやすい病気が判る」
    「血液型により脳の働き方に違いがある」
  • 血液型人間学研究室 能見俊賢
    「何十万単位でデータを集めてそのデータによって血液型の特徴と傾向を伝えてきた」
  • 統計学に基づいて提唱された「血液型による性格の傾向」相性や人間関係を探る「1つの材料」として今に至っているのです。
だそうだ。ほー、そこまで「体系的」に「学問」が進んでいるならこちらも批判しやすいというものだ。今後、ヒマをみつけて、「続々と発表されている」研究にあたってみたいと思う。

 何はともあれ、番組の冒頭にそんな一方的な情報を与えられたのでは、もはや心は「白紙」ではない。「血液型と相性には何らかの相関があるのか、まずは何も関係が無いという作業仮説に基づいて検証してみよう」などという謙虚な探求心は吹っ飛んでしまう。

 さて、番組によれば、今回は、
「各血液型の男女1千人ずつ計8千人を対象に「相性の良い血液型」「相性の悪い血液型」に関するアンケート調査を実施。その結果から血液型相性ランキングを発表。
ということだが、これはまことに奇妙、というか血液型偏見を助長する危険な調査であると感じた。

 番組によれば、この調査は各血液型者男女各1000人、計8000人にQ1「相性の良い異性の血液型は?」、Q2「相性の悪い異性の血液型は」という質問を行い、「相性が合う」回答数と「合わない」という回答数の差をランキングに使ったという。しかし、この時点ですでに以下のような疑問が湧いてくる。
  1. この質問に答えるためには、回答者は身の回りのすべての人の血液型を知っていなければならない。いくら「血液型」好きの日本人といえども、8000人全員がそんなふうにして相手を見ているのだろうか。
  2. 各1000人ずつというが、これは必ずしも適正なサンプリングとは言えない。各血液型者の比率はおおむね、4:3:2:1になっているからだ。
  3. 上記2.は、我々が接する血液型者の比率にもあてはまる。つまり、日本人は普通、約4割を占めるA型者と多く接する。AB型者の知り合いはそんなに多くない。つまり、身の回りの10人を思い浮かべ自己体験に基づいて相性の良し悪しを回答した場合、A型者はおおむね4人であるのに対して、AB型者は1人だけについての「合う、合わない」で答えざるを得ないことになる。
 というようなことを考えると、回答者はおそらく、自分の身の回りの人たちとの相性を周到に分析したのではなく、「血液型ステレオタイプ」に基づく「性格類型」、つまり、実際の血液型者ではなく、ステレオタイプに植え付けられた「血液性格型」への相性について答えている可能性が高い。

 それはそれとして、こうした調査を行うことは、形式的には「あなたと相性が悪いのはどの人種(あるいは民族、国民...)か」と同じであり、人種別の思考パターンや性格を特徴づけようとしているのと何ら変わりない。かつてのナチスドイツの蛮行を思い返すまでもなく、こうした調査は倫理的に非常に大きな危険を伴う。調査の信頼性、妥当性に対する批判とは別に、調査を行うこと自体について、もっと慎重に考えるべきであろう。時間がなくなったので、言い足りないことは次回に。

【思ったこと】
_41012(火)[心理]血液型差別番組を考える(9)「ごく僅かの差」と、努力で変えられること

 昨日の続き。10月6日の日記で述べたように、ひとくちに「血液型による性格の違い」と言っても

(1)統計的には有意であるが実用的には役に立たない程度の僅かな差。
(2)実用的価値があるほどの顕著な差。

という2つでは、扱い方は大きく変わってくる。

 (1)のレベルの研究は学術的には意味がある。大いに研究すればいいと思う。しかし(1)を誇大解釈して(2)のレベルにあてはめようとすると、先入観や偏見を形成する恐れが大きい。血液型と相性の関係などはどうみても(2)に属するものであり、軽々しく口にできる話題ではないと思う。

 さて、今回は少し視点を変えて、我々は「ごく僅かの差」にどう向き合うべきなのか考えてみたいと思う。

 例えばタバコの害を説くときに、「喫煙者がXという病気に罹る確率は、非喫煙者の3倍である」というと大きな差に見える。ところが、そもそも、Xという病気に罹る確率が1000人に1人程度だったとすると、タバコを吸うことによる危険率の増加は0.1%〜0.2%程度ということになる。喫煙者の中には、確率が絶対的に小さいことを理由にタバコを止めない人がいる。食品添加物の発ガン性、大気中の有害物質、あるいはBSEの危険性なども同様である。危険性は、ごく僅かな確率にすぎない。

 では、「ごく僅かな影響」であるなら無視してよいのだろうか。結局のところ、この問題は、

(a)それを考慮した場合のメリット、デメリット
(b)それを無視した場合のメリット、デメリット
(c)努力によって変えられる要因であるか

という3点によって決まってくるように思う。

 タバコの危険性は、絶対的な確率の大きさから言えばごく僅かかもしれないが、努力すれば(=禁煙)、取り除くことができる。その一方、タバコを続けることによるメリットは全く無い。

 食品添加物の場合も同様で、特に着色剤や発色剤のようなものは、それが無かったからといって何も困ることはない。

 このようなケースでは「ごく僅かな影響」でも考慮に値する。改善のために努力するのも当然であろうと思う。

 いっぽう「血液型」の場合はどうか。少なくとも言えるのは、血液型は我々の努力によっては変えられないということ。また、それを考慮した場合のデメリット(=差別、偏見など)は非常に大きく、かつ、それを無視した場合のデメリットはほとんど無い(←輸血の場合はもちろん別!)という特徴がある。上記(1)のレベルの議論は大いに結構だが、私には(2)にアップグレードすべき理由が全く見いだせない。



2004年版(2)へ続く