じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Y.Hasegawa

10月12日(月)

【思ったこと】
981012(月)[心理]ふたたび血液型性格判断(7):ラベリング効果の普遍性
 きょうはシリーズ4回目の9/29の日記で指摘した2番目のポイントである「一般性や普遍性への理解」について考えてみることにしたい。
 9/29の日記では
非常に多数の要因が同時に作用している人間行動の場合には、そういう普遍原理のようなものを追求してもあまり生産性のある結論は期待できない。要するに「ある効果が成り立つかどうか」というような仮説検証型の議論には限界があり、けっきょくは「成り立つ場合もあるし、成り立たない場合もある」というところに落ち着いてしまう。
と指摘したわけであるが、「血液型性格判断」推進論者の中には、「○○効果は成り立つか」というように二者択一型、「無か有か」型の問題設定をして、たった1つでも反例をあげればその効果が否定されたように考えている人がいるようだ。その典型が、「ラベリング効果」についての考え方だ。

 ここでいうラベリング効果というのは、「血液型性格判断」の本を熱心に読むことによって「○○型は××という傾向がある」という固定観念が形成され、その後の実施される「血液型アンケート」等でその傾向に一致するように回答してしまう可能性のことを意味するものとする。日大名誉教授の大村政男氏は、これを「ラベリング効果」と「インプリンティング効果」に分けて論じているが、今回はその区別の是非についてまでは言及しない(いちおう、大村氏とは同名だが別物と考えていただきたい。)

 こうしたラベリング効果は、「血液型性格判断」以外の場面でも広く起こりうるものであろう。宗教団体の集会所のようなところで「あなたは神を信じますか」と聞けば当然100%近い人が信じると答えるであろうし、野党勢力の集会で「現内閣を支持しますか」と聞けばあまり高い支持率は得られない(←もっとも今のご時世では与党の集会でも高い支持率は期待できないかも)。能見正比古氏の著作の読者に「血液型アンケート」をとれば、著作の中味に一致するような答えになりやすいことは可能性として否定できない。

 ではラベリング効果が普遍的に存在するかと言えば、これまた問題がある。アフリカの密林地帯とかチベット高原に住む人々に同種のアンケートを実施した場合は、そもそも事前の刷り込みが無いのだから影響されるはずがない。

 で、けっきょくのところ、どう扱えばよいのか。まず、ラベリング効果自体は、その効果があらわれやすい実験状況を設定すれば容易に確認できるので「絶対無い」と否定することはできない。それ以外の場面では、「効果は有るかもしれないし、無いかもしれない」と考えるべきであろう。
 しかし、だからと言って、自分の好みで有るとか無いとか選べるものではない。少なくとも、「血液型性格判断」について調査を実施する人々は、いついかなる場面においても、その効果を取り除いた上で結論を出す責任を負う。「ラベリング効果は認められなかった」という別の調査結果を引き合いに出したところで責任を免れるわけにはいかない。「成り立つ場合もあるし、成り立たない場合もある」からだ。